アウトプット奴隷のススメ

tl;dr

・アウトプットすると理解が深まり、記憶に定着しやすくなる
・発信すると、知らない誰かが添削してくれることもある
・作文は読解力を向上させる
・作業に集中するためには、寝室ではない方がよい
・出掛けることで頭の切替ができる
・みんなもアウトプット奴隷になろう

イントロ

みなさん、アウトプットしていますか。
文章や動画を投稿していますか。

今日はゆる言語学ラジオのアドベントカレンダー2日目ということで、「アウトプット奴隷のススメ」というテーマで思うまま書き散らしたいと思います。
前日は御鈴さんの「ゆるWikipedia披露会」でした。

この記事を見ていただいているみなさんはゆる言語学ラジオをご存知かと推察しますので、インプット奴隷合宿について改めて説明するまでもないかと思いますが、もしご存知ないという方がいらっしゃれば、以下のゆる言語学ラジオの動画などでご確認下さい。

まあ要するに、読みたい本を持って旅行に行き、旅行先で集中して読破しましょうみたいな趣旨のイベント(で合ってるよね?)です。
なかなか読めずに本棚で書物を発酵させている身としては、こうしてインプットのためにまとまった時間を意識的に捻出するというのは、いいアイデアだなと感心しました。
私はふだん通勤中の電車内で本を読んだりするんですけど、細切れの時間で読むとなかなか集中しきれないですし、思うように読み進められません。行きの電車で読んだ内容を帰りの電車では忘れてしまったりしていて、読み返したりもします。仕事が炎上したりプライベートがわちゃわちゃしたり、しばらく日が空いてしまった日には、もう一切合切なにも覚えていません。
スキマ時間で少しずつ読むよりも、意識的に時間を取って本を読むことに集中すれば、はるかな効率で読み進めることができそう...…できるはずです。
つまりインプット奴隷合宿を行えば、私でもたくさん本を読むことができるようになり、いっぱいインプットして、スーパー知識人になれるのです!
知らんけど。

よいインプット奴隷はよいアウトプット奴隷であるべし

さて、スーパー知識人になってやることは何でしょう。当然アウトプットですね。
『いや、俺はただ知識欲や好奇心に動かされて本を読んでいるのであって、アウトプットなんて必要としていないよ』と考える人もいるかもしれません。
私も大学生の頃、そう思っていました。

(↑知識は得られるけどアウトプット出来なくなるボタン、あなたなら押しますか?)

インプットさえ出来れば満足なら、アウトプットは必要ないのでしょうか。
そうとも限りません。
では何のためにアウトプットするのでしょうか。
いくつかの理由が考えられます。

1) アウトプットした方が記憶の定着が図れて、インプットの効率も上がる。
人の脳は無限のことを記録できるようにはなっていません。物理的な実体があるものなので当然といえば当然です。
また、仮に脳が無限のことを記録できたとしても、その無限に情報の詰まったデータベースから、その場に応じて必要な情報をすばやく取り出すことは難しくなるでしょう。
そうした理由かどうかは分かりませんが、脳は “必要のないことは忘れてしまう能力“ を持っています。
“これは必要な知識だ“ と脳みそ君に分かってもらうために、アウトプットすることは有効な手段になります[要出典]。

2) アウトプットしたことを発信することで、自分の見落としや誤解に気付くチャンスを得られることもある。
今日では個人が発信するということは容易になりました。有名人じゃなくても、HTMLとか書かなくても、自分のアウトプットを世界に発信することができます。
発信をすると、運が良ければそれを誰かが見てくれます。
さらに運が良ければ、自分の間違いを指摘してくれたりすることもあります。
知らない誰かが!無料で!
発信することは、自分のインプットが間違いないかを客観的に検証することに繋がります。
クソリプや攻撃が飛んでくることもあるかもしれませんが、気にしてはいけません。恐れずに発信していきましょう。

3) アウトプットすることを通じてインプットの能力も磨かれる。
インプットとアウトプットは表裏一体です。
インプットの能力とアウトプットの能力には切っても切れない関係があります。
ある研究によると、書くことを通じて読解力も向上すると言われています。

Writing to Read: Evidence for How Writing Can Improve Reading
(※↑はアメリカの教育の改善などを目的として研究された内容です。日本でも、あるいは大人でも、同じように言えるのかは分かりません)

もしもアウトプットすることで、インプットのためのスキルが磨かれて、よりよい栄養が得られるのなら、インプット奴隷はアウトプットもするべきでしょう。
インプット奴隷合宿の後は、アウトプット奴隷合宿も是非。セットでやっていきましょう(`・ω・´)

奴隷合宿

でも、なんで本を読んだり文章を書いたりするのにわざわざ外に出かける必要があるのでしょうか。
別にそれくらい家でも出来るだろ、と考える人もいるかもしれません。
ところが、現実はうまくいきません。

コロナ禍でリモートワークが増えた際には、自宅で作業が進められない人達が数多く出現しました。

自宅で作業が捗らない理由にはいろいろと考えられます。

人目を気にしなくていいのでサボってしまうとか。自宅には趣味の物品が多くて誘惑が多いとか。
家族の声や生活音が邪魔になるとか。
つい洗濯や掃除を始めてしまうとか。
飼い猫がキーボードの上に乗ってくるとか。
えとせとら、えとせとら。

どうして自宅では集中することが出来ないのでしょうか。上記に挙げたようなことが理由なのでしょうか。

たとえば寝室と作業場所を兼用にすると、身体が無意識にリラックスしてしまうので、作業場所に向かないなどということが言われたりします。[要出典]

コロナ禍では室内作業向けの一人用テントなどが売れたとか売れなかったとか。[要出典]
作業環境を普段の空間と変えることで集中しやすくなるというわけです。
こういうヤツ(↓)ですね。

そういえば、スタバに行くとパソコンを拡げて作業している人を見かけますね。
わざわざこんなとこでやらなくてもいいのにと思っていましたが、自宅では作業に集中できないのかもしれません。仕方ないですね。
その資料とかコードとか公共の場で見ていて大丈夫なヤツなのか気になりますが、たぶん大丈夫なんでしょう。
他にも、登校や出勤の移動時間が、プライベートとパブリックを切り替えるために有効だったのではないか、という話もあります。[要出典][誰?]
リモートワークをする人たちは、自宅にいるにも関わらず、頭を切り替えるために近所を散歩してから自宅に戻って作業することもあるとか。
なんだか無駄な工程に感じてしまいますが、どうも人間という存在はそういう無駄とも思える工程を踏まないと真の効率を発揮できないようです。
だからワシが頻繁に喫煙所にたむろしているように見えるのも、そういうことです。
決してサボっていませんよ、ええ。

…つまりどういうことだってばよ?

結局、この記事で私が主張したいことは2つだけです。

・アウトプットはインプットにも良い効果をもたらす
・わざわざ出かけて環境を変えることで、作業効率の向上を期待できる

今年ももうすぐ終わりですが、この年末年始にみなさんもアウトプット奴隷合宿に出掛けてみてはいかがでしょうか。

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