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突っかかってこいよ論法について

今回はYayでよくある''突っかかってこいよ論法''について意見を述べます

突っかかってこいよ論法とは?

Yayやミラティブでよく使われている論法で、具体的には、喧嘩が始まった直後に、

A「おぉ、やっと喧嘩始まったな。なんか突っかかってこいよ(-①)」

B「お前が突っかかってこいよ(-②)

A「いや俺はもう突っかかってるよ(-③)」

B「は?(-④)」

A「俺の『突っかかってこいよ(-①)』自体が、もう既にお前に対して突っかかっているとも取れるんだから、俺はもうそれをしてるんだが?」

という会話を展開し、Bに対して優位性を取っていく(=「Aがもう明白にしてること」について、あたかもそれをしてないかのような認識を持ってしまったB、という構図を作っていく)論法のことです。

これはなぜかかなり勢いのある論法であり、手軽に相手(B)の的外れ感を醸し出せるので下層喧嘩師〜上層喧嘩師まで広く使われている印象があります

僕の意見

結論から述べると、BがAに違和感を抱く(②)のは当然であり、AはBに実際は知的優位性を取れていないと思います。

なぜなら①と②の2つの「突っかかってこいよ」において、文字面は同じでも、実際はそれぞれが別の意味で機能しているように思えるからです。

具体的には、(文面だとややニュアンスが伝わりにくいのですが)口頭で実際にこの状況になると、AのBに対する発言①は、「俺を''明確に''煽ったり、何らかの''明確な''指摘をぶつけて論点を新しく生み出してみろ」 というニュアンス、つまり何らかの「「「具体的」」」指摘によってこちらを批判してみろ(=例えば「お前の喧嘩って煽りがなくてつまらないよな」「お前が前に言ってた意見は実際は間違っているよな」等の具体的指摘)という風に妥当に解釈できるからです。

(要点X):Aの最初の「突っかかってこい」→「何らかの''具体的''指摘をぶつけてこい」と解釈できる

そこで、それと同じ用法を使い、Bは「お前が突っかかってこい(=何か具体的な指摘をぶつけてこい)」と返しているわけなので、そこに対するAの発言③(=もう既に突っかかってるけどね?)は、この時点でAはBに(先程の''要点''で想起される次元の)何の具体的指摘もしていないため、むしろAが的外れな言動になってしまってると僕は感じます。

ですので自分がBの立場に置かれた場合、Aが③を主張した時点で「(Aの''つっかかってこいよ''について)自分が要点Xのような解釈をするのは妥当であり、その解釈に基づいて''お前がそれをしてこい''と逆に要求しただけであり、その要求(=具体的指摘の遂行)は現時点でまだAに実行されていない」と返せば良いと思います。

Aの再反論


 このようなBの反論に対して、Aは「①の''突っかかってこいよ''の意味は、''何らかの意欲ある行動をしてみろよ''という意味であり、その用法に基づけば俺はもう既にそれを遂行してると主張することが可能である」と返してくるかもしれません。

(要点Y):Aの最初の「突っかかってこいよ」は、「何らかの意欲ある行動をしてみろよ」という意味である(し、そう妥当に解釈できる)

一見妥当なニュアンスに見えますが、この要点Yの真意付与は実際は不自然な後付けになっていると思います。

Bが①のあと「オラァ!」と1人で叫んでみたり、「死ね!」と具体的意味のない煽りを連呼したり…のようなものは①の要求で求められている範囲を明らかに超えていると感じるからです。冒頭の2人のやりとりは喧嘩序盤の「今後の喧嘩を発展させようとするフェーズ」で行われており、その文脈から考えて''喧嘩を有意義に作り出すもの''、つまり何らかの具体的指摘をAは求めてると考えるのが妥当な解釈であるように僕は思います。つまりここで実際に、Bが「オラ!死ね!!」等と主張して、「ほら、突っかかったぞ?喧嘩に(直接)繋げてみろよ」等と返したら、Aは「それは俺の言う突っかかるには含まれてない」と返すような要求の限定性(=意欲的行為全般ではなく、何らかの内実を伴うもの)を僕は感じます。

(やや抽象的な話になりますが、当然、原理的には、この''「オラ!死ね」等は含まないが、Aの最初の言動は含まれるような①の用法''を生成することはいくらでも可能と思いますが、''現実的な解釈の中で''どんな内容が求められてるのかがより本質的な論点だと思います)

他要素の検討

○Aがこれらのノートで書かれてる構造をきちんと理解した上で、喧嘩的遊びとして主張していただけの場合

→Bがこのノートの返答をしなかった場合喧嘩的にAの勝ちだが、説明されてしまった場合詭弁の結果的不成立が証明されてまさしく''喧嘩的''にBの勝ち

まとめ

(あ)BがAの要求(①)を、要点Xのように解釈するのは妥当であり、その解釈に基づけばAは全く突っかかりをしていない(ので、Bが「お前がしてこいよ」と要求するのは極自然)

(い)これについて、Aが「要求(①)は要点Yのような真意で言った(のでもう既に突っかかりは遂行されている)」と返した場合、その真意は文脈上不自然であるし、仮に本当にそうだとしてもBの解釈は全く咎められるものではない

(う)よって、「不自然な用法で①を使ったAと、それに妥当な解釈を行ったB」という構造があり、この構造を言語化すればBはむしろAに優位性をとることが出来る

これが僕の持論です。

最後に


この程度のクオリティでよければ隙間時間にたまに書いていこうと思うので、疑問やテーマをDMで振ってくれると嬉しいです。

保険を張るようであれですが、かなり走り書きで書いてるので、誤字脱字は割とあるかもしれません。読みづらかったら申し訳ないです。また、以前のノートに比べ抽象的で分かりにくい部分もあったかと思います。質問・反論等があれば、文を読むのが苦痛なので口頭で聞いてくれればありがたいです。DMでディスコ送ります。




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