神様仏様と 感じたこと 「善」を感じない 「善」
場所 岐阜県関市
とても暑い日
様 よく来たな
よく参ってくれたな
何を 聞きたい
私 はい ふと
「善の道」について
お聞きしたいと感じました
様 そうだな
「善」とは 何か どう感じる
私 はい 「善」とは その時代や
権力者
しかれた道により
「善」が決まってくるケースと
仏の道としての 「善」
大きくこの二つがあるように感じました
様 さすがであるな
ここから先は 私も感じながらではあるが
伝えていこう
私が 感じたことは
「善」を感じない 「善」 もある様子であるな
私 「善」を感じない「善」
ああ そうか
「善」をしようとして 「善」をすることと
何かの言動をし それが後から 感謝され
後から 「善」であったこと
この後から 「善」であったと気づく感覚
最初から 「善」と思って動く感覚
「善」のレールをひいて そこに乗るのか
(それが本当に「善」であるか未定であるが)
後から 「善」であったと
振り返ることで レールがあった感覚
「善」を感じない 「善」
いいですね
様 いいのう
私が 話しをしなくても
次から次へと 感じいく
私も 見習わないといけいな
私 いえいえ
たまたまです
お陰様です
様 そうじゃのう
このような やりとり 私もこれから楽しみである
会話しをしないような 会話
でもあるな
「善」を感じない 「善」
あとから 「善」を感じる
いいものであるな
これは どの時代
誰にでも
感じて 応用できるものでもあるな
**
とのやりとりでした
「善光寺」から
「善を感じない善」
後から 「善」であった感じる「善」
とても貴重な 感覚と示唆であり
還元させていただきました
ありがとうございました
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