覚悟の詳細
先日、銀の診察で、院長からこんなことを言われた。
「銀ちゃんは本当によく頑張ってますね」
その一言で、思い出す。
「ホントに銀ちゃんはねぇ、奇跡の子だと思うよ」
以前、銀とナナと私のヒーリングを懸命に、真剣にほどこしてくれながら呟いた先生の声を。
銀とナナ。
院長が、先生が、しみじみとそんなことを言うほど生きてくれている。
もしかしたら、銀とナナの「ある覚悟」がなければ、あの子達はきっともうとっくにここにはいなかったのだろう、と感情が溢れだす。
銀とナナが弱るたび、いつも怖かった。
私がそうさせたのではないかと、躍起になって治そうとした。
自分が「できる」証明として、銀ナナを見ることばかりだった。
正直に言おう。私は自分の白黒のバロメーターとして、あの子達を見ていたんだ。
治せない私が許せなかった。そして呪いをかけ続けた。
そんな私だから、なかなか整わなくてヒーリングが行えず、先生いわく本来ならば数分で済むこともあるというヒーリングは、毎回12時間以上に及んだ。
先生の言葉が私の鼓膜の表面を上滑りし、入ってこなくなって、もう無理だ…と溢れそうになったときもすかさず
「諦めるな。私が諦めてないんだから。」と冷静に諌めて私を戻し、黒い私の、それでも微かな光がこぼれる針先にも満たない小さな穴を、先生は探して探してこじ開けて、いつも真剣に辛抱強くヒーリングをほどこしてくれた。
そして言う。
「私はベストを尽くしました」
そして、100%のヒーリングを私が10%にしてしまうことも折り込み済だった。
「それでも、あなたは10%は許せたんですよ」
この言葉で、どんなに私が救われただろう。
だから、今がある。
だから今、銀とナナが生きてくれている。
そして、それだけじゃない。
「銀ちゃんはねぇ、奇跡の子だと思うよ」
銀とナナ。どんな状態でも、今、生きていてくれるということ。
生きていてくれるということは、こんな私でも、そばにいたいと思ってくれているということ。
それが私があの子達に愛されていることの証左であり、それこそが奇跡だと思っていいんじゃないだろうか。
愛する私に何をされてもいいと、「愛する覚悟」を持って生まれてきた銀とナナ。
私に、「愛される覚悟」と「愛する覚悟」を。
先生が繰り返し繰り返し教えてくれた言葉の数々が、ふとした瞬間に降りてきては二日酔いの朝の起き抜けの一杯の水のように染み渡り、今までの黒い解釈を完全に上書きし、すんなりと腑に落ちていく。
銀とナナを置いて実家を出て約7年。
仕事やらなんやらで、年に数回しか会いに行かなかった。
実家の近くはいつも通っていたのに、寄り付きもしなかった。
退職してからのこの1年余り、こんなにまで銀ナナと、もっと言えば「命」や「愛」と向き合ったことはなかったように思う。
真っ黒な私には苦しいこともあった。
「こんな私でごめんね」と泣いたこと。
「今日、弱っていたらどうしよう」といつも不安だったこと。
「こんな日々がいつまで続くのだろう」と途方に暮れた日もあったこと。
だけど、この1年。
銀とナナが待っていてくれて、一緒に過ごせて、こんなに幸せなことはなかったとも思う。
真っ黒な日々の中でも
「生きててくれてありがとう!!」と泣いたことは何度も何度もあった。
本当に、すごい1年だった。
「そんな風に思うなら、何でヒーリングが効いてないって思うかなー!」と苦笑する先生も目に浮かぶ。
真っ白になったわけじゃない。
こう書きながらも、今も黒いものが蠢いている。
だけど、私は私を信じていこうと思う。
自分を信じられず、上滑りしていただけの私を
先生は「それでも私は、いつかのあなたを信じてる」「あなたがあなたを信じられなくても、私だけは信じていようという在り方でいる」と言ってくれたから。
「それが、私の仕事です!」
先生はいつも言い切る。
そんな姿が眩しくて羨ましくて、先生みたいになりたくてなりたくて仕方なかった自分もいた。
でも今は、よかった!すげぇ人に出会えた!
と我ながら自分を誉めずにはいられない。
何度だって言う。
今、銀とナナがここに生きていて、
ただ生きていることで私に「愛している」と伝えて続けてくれている。
最後まで、あの子達のそばにいる。
生きててくれてありがとうね、ありがとうね、と鼻水を垂らしてごうごうと泣いた昨日をいつも心に手のひらに持ち、歩く。
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