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箸の文化を背負って

日本には「道」と呼ばれるものがたくさんある。茶道、華道、柔道などなどあげれば両手の指だけでは足らないだろう。

私の夫はノルウェー人だ。彼の国に七年住んだ。その七年のうちに、日々の食事毎に手に持つ箸にも道があると私は考えるようになった。お箸から離れて生活していればこそ余計にそんな感慨に陥ったのかもしれない。ただパクパク口を開けて食べていればいいものではない。日々の食べ物もどのように美しく食すかと言うことがある、と思った。

ほとんどフォークナイフ、それにスプーンしか見ない生活だった。が、だからこそ、私は箸道を深く自覚し、自分はその文化を背負っている日本人だということを実感、再確認したのだった。

ノルウェーの親戚、友人たちのためにお箸をお土産として持って行ったことが数回あったが、少々がっかりしたこともあった。どんなに立派な漆器の塗りの箸も食卓に上がることは皆無だった。プレゼントの包みを開けた途端、「あれよあれよ」と言う間に、髪をアップした義姉のエキゾティックなアクセサリーになってしまったことがあった。植木鉢に差し込んで植木のかわいらしいデコレーションになってしまったりしたこともあった。それに対して何か言う暇もなかった。

「ほらね、すばらしいアイデアだろう?!」

そんな風に言いたげな義姉の顔がこちらを向いていた。義兄は誇らしげに私の方を見て微笑んでいた。

私は何も言えなかった。日本の文化を何も理解していないなあ、と思いながらも、私はあの日本人特有のほほえみを彼らに返してしまったのだった。

しかし、時に彼らの目の前で、絶対に「日本のお箸!」と思ったことがあった。魚料理が食卓に上がった時のことだった。
 
彼らはほんの小さな骨でさえ、口に入れてはだめ、と大騒ぎをする。どんな小骨でも見逃すことなく、何が何でも取り除こうとフォークとナイフで大格闘を始める。そんなことをした後のお皿ときたら、とても見られない状態、せっかくの大皿料理が美しい形態をとどめてはいなかった。これからそれを皆でつついて食べるのか?と言う表現が一番合っていた。これはパーティ料理のはずだったのに、どこがそう見える、そんな状態になってしまっていたのだった。

食べる前に目出て、おのれの食欲を再確認し食べ始める?そんな美しい「道」なんて誰も考えられなかっただろう。ただ、食べ物が口の中に入ればいい?ああ、いやだ、いやだ・・・私は考えてしまった。

だから、魚の大皿料理が食卓に上がった時はお箸を活躍させる大きなチャンスだった。どれほどに私がうまくお箸を使うことができるか見せることができた。台所から菜箸を持ってくると、おもむろに小骨の多い魚をを私はさばいた。

彼らはまるで手品でも見ている様な面持ちで私の手先を見ていた。お箸は私の手の中で自由自在だった。生まれた時からお箸とともに育った私がそこにはいた。

私は日本人冥利に尽きると思った。私のしたことは魚との格闘ではなく、ただ、骨を取り除いても料理が美しく見える、おいしそうに見えるように箸を使っただけだったのだが。しかし、私の箸使いはやはり年季が入っていたというわけだ。

食卓の上の魚は、きれいに骨が取り除かれ、しかも美しく形態を残したままで横たわっていた。
「ほらね、箸を使うにも道がある」
私としては彼らにそう言いたかった。
「日本は道を大事にする国なんだよね」
そうとも言いたかった。

ノルウェーにおいて再び箸が活躍したことがあった。義母がドーナツを作った時だった。ドーナツを形作りラードを溶かし揚げ始めた。こんがりきつね色になったら引き上げる、問題はその瞬間だった。義母はフォーク二本でドーナツに挑んだのであった。そんな芸当を私は見たことがなかった。なるほどフォークのそういう使い方もあったか、そう思った。だが、ドーナツごときに両の手が必要とは、作業に幅をとることこの上ない。

私は引き出しから割箸を出すとドーナツを引き上げ始めた。箸だとこんなに簡単だよ!

箸は実に素早く作業を行った。油の中のドーナツをひっくり返したり引き上げたり、箸ってこんなにも実用的で機能的、コンパクトではないか。お箸の便利さの再確認だった。義母は「ほほぉ!」と言う目で見ていた。

私はノルウェーで伝説を残したような気がした。

娘が六歳の時、四十年前に皆で日本に帰って来た。ノルウェーは日本へも魚を輸出しているような漁業国だが、我が町、下関は昔から漁業基地があったところだ。ノルウェー在住の時以上に魚を食べている気がする。何しろ、下関は魚がおいしく、また、安いのだから。

夫は、海鮮丼が大好きになった、バイキングの末裔は今じゃあ箸を上手に操る。だが、相変わらず、小骨の多い魚を前にすると大騒動になる。その点、サバは問題が無い。特に、ノルウェー産のサバがお気に入りで「おいしい、おいしい」と皮まで食べている夫・・・そんな夫を見ながら、私は彼に声をかけた。
「日本の箸文化が十分分かって来たね、いい日本人になって来たわ。でも、そんなにノルウェー産のサバが好きだなんてまるで共食いだわ」



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