【追悼文】小山内美江子さんについて思い出すいくつかのこと

去る5月2日(木)、脚本家の小山内美江子さんが逝去されました。享年94歳でした。

1960年代からテレビドラマの脚本家として活躍し、これまでにNHK大河ドラマ『徳川家康』(1983年)や『翔ぶが如く』(1990年)などの重厚な歴史物から『3年B組金八先生』(1979-2004年)の連作、あるいは『アイフル大作戦』(1973-1974年)や『バーディー大作戦』(1974-1975年)のような、活劇まで幅広い分野で多くの作品を手掛けたことは周知のとおりです。

私も滝田栄さんの颯爽とした徳川家康の姿が印象的な『徳川家康』や、刎頸の友であった西郷吉之助と大久保一蔵が御一新の後にそれぞれの理想を実現するために対立することになり、ともに不幸な最期を迎えた『翔ぶが如く』を通して、小山内さんが脚本を担当した作品に親しみました。

特に『翔ぶが如く』は日本放送出版協会から出版された手引書である『NHK大河ドラマ・ストーリー 翔ぶが如く』(1990年)に掲載された小山内さんの談話から、司馬遼太郎の原作から踏み込み、西郷や大久保を支えた家族の姿を通して幕末維新期の人々の姿を描き出そうとする様子を大変興味深く思ったものでした。

あるいは、「大作戦」の連作は一見すると1970年代のテレビドラマを席巻した、荒唐無稽な無国籍風の活劇と思いきや、登場人物の表情が作中での役割の軽重にかかわらず丁寧に描き出されている点が印象深いものでした。

こうした小山内さんの手腕の確かさがあったからこそ、数多くの作品が現在に至るまで視聴者の記憶に鮮やかな軌跡を描いていると言えるでしょう。

例えば小山内さんの代表作ともいうべき『3年B組金八先生』の連作については、私が中学2年生であった1990年にある先生が「自分にとって一番つらいのは生徒や保護者から金八先生みたいに親身になって面倒を見てくれと言われること。あれは物語だから出来るのであり、本当にやろうと思ったら身体がいくつあっても足らない」と話すほど、教育現場にも影響を与えていたことが実感されました。

『帰って来たウルトラマン』の一話「地球頂きます!」で人類が怠ければ怠けるほど成長する怪獣ヤメタランスを登場させ、郷秀樹(団次郎)だけでなく普段は謹直な伊吹隊長(根上淳)までぼんやりとした表情でブランコに乗る様子は、一面では倒錯的であり、他面では前衛的でもあり、『ウルトラマン』の連作の中でも屈指の見ごたえのある回となりました。

表面的な姿の背後にある人間のもう一つの顔をありありと描き出そうとしてテレビドラマの質の向上に寄与した小山内美江子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of Ms Mieko Osanai (Yusuk Suzumura)

Ms Mieko Osanai, a scriptwriter, had passed away at the age of 94 on 2nd May 2024. On this occasion, I remember miscellaneous memories of Ms Osanai.

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