【旧稿再掲】ユニフォーム着こなし最前線(I)

2010年4月、私も寄稿者の一人として参加し実業之日本社から実用百科の一冊として『野球道具天国』が刊行されました。

その中の一報に「ユニフォーム着こなし最前線」[1]があり、野球におけるユニフォームの発展の過程と2010年時点における最新の動向を検討しました。

そこで、今回から4回の予定で本論の草稿をご紹介します。


ユニフォーム着こなし最前線
鈴村裕輔

最初のユニフォームは麦わら帽子に白いシャツ
野球選手が全員揃いの服を用意して試合に臨んだ最古の記録は1849年にまでさかのぼることができる。

その球団は、近代野球の生みの親の一人アレクサンダー・カートライトが作った、ニューヨーク・ニッカーボッカーズ。当時の記録によれば、白いシャツにフランネル製の白いシャツ、そして青い羊毛のズボンというのが、ニッカーボッカーズのユニフォームであり、野球の歴史に初めて登場したユニフォームであった。

これは、ユニフォームという言葉でわれわれが思い浮かべる姿からはおよそかけ離れたたものだ。

むしろ、春の風に吹かれる麦わら帽子、という光景は『トム・ソーヤ』の一場面のようであり、ピクニックに出かける際の格好といってもよいだろう。

しかし、野球が人々の余暇の一つであり、都合の付くものが都合のよい時間に集まって都合のよい場所で球を投げ、打ち返していた時代に、「同じ服を着て試合をする」というのは画期的な発想であった。

色鮮やかなユニフォームの登場
その後、1860年代後半にはシンシナティ・レッドストッキングスが赤い靴下をはいて130連勝という記録を樹立し、その格好を模倣する球団が増加したが、基本的にシャツは無地のままであった。

また、1882年には守備位置ごとに配色を変えたユニフォームが登場したが、選手や見物客からは「何が何だか分からない」という不満が出たため、この色鮮やかな試みもすぐにお蔵入りとなった。

一方、現在でもユニフォームの柄として人気のある縞模様が初めて披露されたのは1888年のこと。ワシントン、デトロイト、ブルックリンの三球団が着用したのである。

このうち、ブルックリン球団は翌年には格子模様のユニフォームを導入するという挑戦的な試みを行った。このときは1年で元の縞模様に戻したが、20世紀に入っても1917年まで3回にわたって格子模様のユニフォームを作成したほどであった。

ブルックリンはドジャースの愛称で親しまれたナショナル・リーグの強豪球団だが、格子模様のほかにも、1940年代にはサテンのユニフォームを試験的に着用させるなど、ユニフォームの分野でも革新的な存在であった。

ただし、熱を通しやすく耐久性に乏しいといサテンの性質から、このユニフォームには春先や秋口の試合では生地が冷たくなり、爪でひっかくだけで破れるという欠点があったため、選手たちはその扱いに頭を悩ませたことだろう。

「よくやったな」と肩を叩いたらささくれた指が引っ掛かってユニフォームが破けた、という笑い話が現実のものとなるのが、サテン製のユニフォームの恐ろしさだった。


[1]鈴村裕輔, ユニフォーム着こなし最前線. 野球道具百科. 実業之日本社, 2010年, 82-85頁.

<Executive Summary>
The Latest Trends of Baseball Uniform (I) (Yusuke Suzumura)

I wrote an article 'The Latest Trends of Baseball Uniform' for a book named "Baseball Equipment Encyclopedia" published in April 2010. On this occasion, I introduce the first section of the article.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?