石橋湛山の没後51年を記念し石橋湛山研究のこれからを考える

本日4月25日、石橋湛山が1973年4月25日に88歳で逝去してから51年が経ちました。

昨年6月に国会に議員連盟である超党派石橋湛山研究会が結成されたり、「もし現在石橋湛山が首相であったら」といった話題が提起されたりと、近年石橋湛山の事績に対する注目の度合いが以前にも増して高まっています。

過去の事例を参照すると民主党政権時にも同様の現象があったため、政治に対する国民の信頼が揺らぐ際に批判の手掛かりとして石橋湛山が取り上げられる傾向にあると推察されます。

それでは、何故取り上げられるのが石橋湛山なのでしょうか。

経済専門誌『東洋経済新報』を中心として政党政治や自由貿易、あるいは国際協調主義を主張し、戦前の日本を代表する自由主義者と見なされた石橋湛山の事績は、多くの場合先見性があったとして肯定的に評価されています。

しかし、実際には石橋の主張は世論の広範な支持を得られなかったばかりか、為政者からも無視されるなど、日本の針路に与える影響は皆無に近いものでした。

このような経緯があったからこそ、石橋は戦後になると自らの主張を実際の政治に反映させるために政界に進出し、総選挙での落選や公職追放などを経験しつつも1956年12月23日に内閣総理大臣に就任します。

そして、病気に理由に1957年2月23日に首相を辞任したものの、閣議決定した政権の主要政策の中に後の国民皆保険制度や高度経済成長を前提する事項を含んでおり、現在に至る日本のあり方の少なからぬ部分を規定したのでした。

ただ、石橋湛山への興味や関心の多くは戦前の言論活動に集まっており、石橋湛山研究の主流も言論人としての姿に求められるのであり、政治家としての石橋湛山についての検討は発展の途上にあります。

私が昨年『政治家 石橋湛山』を中央公論新社から上梓したのも、石橋湛山の政治家としての活動への本格的な考究が少ない中で、石橋が現実の政治に向き合っていたかを明らかにすることは重要であると考えたからです。

その意味で、今後の石橋研究はこれまでの言論人時代を中心としたものから、政治家時代をも含む包括的な内容になるか、あるいは手薄と言える政治家としての石橋の言動をより詳細に検討する方向へと推移ないし拡張されることが望まれます。

没後51年に際し、石橋湛山研究に携わる一人として、これからの研究の動向に思いを馳せる次第です。

<Executive Summary>
Celebrating the 51st Anniversary of the Death of Ishibashi Tanzan (Yusuke Suzumura)

The 25th April, 2024 is the 51st Anniversary of the death of Ishibashi Tanzan, a Former Prime Minister of Japan. On this occasion, we examine the prospect of Ishibashi Tanzan studies.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?