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大学4年生

はじめに〜3/23,25は立教大学の卒業式だった。4/1の入社式まで1週間を控えたここまで本当にあっという間だった。2・3月は大学生活でできた数少ない友人とたくさん語り、遊びに出かけた。 2020年度コロナ禍に入学した当時の状況からは想像もできないような楽しい毎日が続いていた。仲間・友人と出会える貴重な機会を大事にしたい。そんな思いがありすぎるあまり、どこかで自分のことを考えるのを後回しにしてきてしまっていた。 そこで今家にいる時間を使って大学4年生のことを少し振り返って

    • BeRealはリアルじゃない

      2022年からBeRealを使っていた私は、周りと比べると早い時期にこのアプリを活用していたと思う。 私がこのアプリに惹かれたのは、コンセプトが素晴らしかったからだ。ざっくり言うと「リアル」に焦点を当てたサービスだったわけだ。InstagramやTwitterなんかはどこか背伸びしている印象が拭えなかった。 周りの人の良いところを見て自分を攻めたし、そんなことを考えながら自分自身も投稿を続ける日々。きっと自分の自信のなさを忘れるために自身も積極的にSNSを活用していたと思

      • 多様性の胡散臭さ

        大学では多様性に関する講義を多く聞く。いや、大学だけでない。世間的にも多様性という言葉をよく聞くし、大抵の場合、「多様性は善いもの」として世に出回っている印象がある。 高校生まで実は私もその漠然とした風潮に漠然と賛同していた。誰かに拒否されたり否定されたりすることを恐れていた当時の私は、色々あって文化祭実行委員の部門長を務めていた。みんなの意見をなんでも引き受けた私は、「これがみんなの考えを受け入れる=多様性」なのだと誇りに思っていた。 しかし大学に入学すると、少し考えが

        • 日大アメフト部に関して思うこと

          最近、世間を賑わせている日大アメフト部の問題について私なりの見解を述べたい。今回の論点は以下の2点にある。 ⑴ アメフト部の廃部に関する是非 ⑵ 「問題に関わっていなかった学生」の今後 1点目のアメフト部の廃部に関する議題が波紋を呼んでおり、「廃部は妥当」とする声もあれば、「真面目に活動している学生が可哀そう、連帯責任の悪いところが出ている」という声もあり、実に多様な意見が出ている。ちなみにヤフーニュースでは日大がアメフト部を廃部にしたことの是非を調査したところ、7割弱の人

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          「リスケしよう」という人の99%はリスケしない

          タイトルの通りです笑 今回は短めにいきます! 私はこれまで「リスケしよう」と言って、本当にリスケしてくれた人に会ったことがほとんどありません🤨 ではなぜ人はリスケをするのでしょうか? 答えはシンプルです。あなた、あるいはあなたに関する事項の優先順位が低いと見なされているからです。特にリスケが何回も続く場合、あなたに関する事項の優先順位が低いというより、あなたに対する優先順位が低いです。つまり、あなたに興味がそんなにないよということです。これは恋愛でも友人と遊ぶときでも同じで

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          「スポーツを通じて人間的に成長する」の嘘

          昔から今まで運動部、スポーツクラブでの「いじめ」問題は絶えることない。SNSが発達し、あらゆる場所に情報が拡散されるようになった今でもだ。昔だったら、そういう情報は隠蔽・歪曲し、学校やクラブ内でのブラックボックス化されていた。 だが今でも、日大アメフト部や立大野球部の会見を見れば分かるように、学校やクラブは組織ぐるみで事実を隠蔽・歪曲しようとしている。そんな苦しまぎれの対応はこれからもなんだかんだでなくならないのだろう。 ちなみに筆者は「いじめ」という言葉が嫌いである。社

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          「人によって態度を変える」を考える

          タイトルを見た人はどんな感情になるのだろう。。 大抵の場合、「人によって態度を変える」ことは悪いニュアンスで受け取られる。 例えば、私に対してはあたりがキツくて邪視するように扱ってくるのに、上司や先輩に対しては礼儀正しく振る舞っている。こんな猫を被った輩はいないだろうか。私はこういった人を軽蔑の目で見ている。(幸いなことに実際には私の周りにこういった人はいないのだが) 余談だが、こういった人は長期的に幸せになることはないと思う。確かに上司や先輩に気に入られようとする魂胆は

          「人によって態度を変える」を考える

          ボランティアに対する違和感

          あなたはボランティアの経験があるだろうか。学校でやるように指示された人もいれば、今まで一度もボランティアをやったことのない人もいるかもしれない。 つい最近までの私は後者だった。就職活動を経た私は色々なことに興味を持つようになった。その中の1つが「まちづくり」だった。まちづくりを学ぶために地域のゴミ拾いのボランティアに参加した。 まちづくりを学ぶうえで公園や道路、住宅街といったハード面、住民の人々や自治体といったソフト面を見る必要があると考えていた。ゴミ拾いを通じてそういっ

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          コスパ思考の末路

          「絶対に知っておくべき情報〇選」 「9割受かる〇〇法」 YouTubeやInstagram、TikTokを見ていると、上記のような謳い文句の投稿に出会うことが多くなった。あとはそれに付随して「サムネ詐欺」と俗にいう現象もよく見るようになった。 YouTubeやLINE、Instagramといった主要SNSが周囲で使われるようになったのは、私が中学生になってからだった。特にYouTubeに関しては、ユーチューバーなんて言葉がまだあまり根付いていない頃で、音楽やそれに関する

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          『ブルーロック』が面白いワケ

          はじめに 『ブルーロック』というイカれたマンガを知っているだろうか? 名前は結構知られている作品だから知っている人は多いだろう。今回はこの作品が面白いワケを書いていこうと思う。少しでも気になった人は是非読んでみて欲しい。 ではレッツスターッッツ!! デスゲーム×サッカーという非日常『ブルーロック』とはどんな作品なのか? この問いにシンプルに答えるとすれば、300人の高校生の中からたった1人、W杯優勝の立役者となるFWを輩出することだ。 ストーリーの始めは、全国大会出場を

          『ブルーロック』が面白いワケ

          人に期待しない生き方

          「あー、やっぱりあの人全然進んでないよ」 「また〇〇さん、予定合わないのかよ💦、またリスケしないといけないけど、どうせまた予定合わないんだろうな」 一部の人はこんなことを考えたことがあるのではないだろうか? 一部の人と評したのは、当然全ての人には当てはまらないからである。こういった感情を抱くのは、ある程度その人にリーダーシップがあり、周りをまとめていくことをそれなりに経験として積んでいる人だと想定する。 なかなか予定が合わない。。 思ったようにことが進まない。。 そ

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          陸上競技におけるお辞儀は誰のため??

          今回のお題は陸上競技における試合前の選手紹介パフォーマンスに関する国ごとの特徴を見ることにある。。。つもりだったが、その構想は頓挫し、 日本における選手紹介パフォーマンスの変遷について調べることにした。もともと今回の検証では現在行われているブタペストでの世界陸上を事例としているのだが、日本も海外も表現の違いに大きな違いはなかったと考えている。 具体的には腕を広げて大きく自分を鼓舞するパフォーマンスや応援を煽るようなパフォーマンスなど、「激しい」表現が見られる。 ⬆️これ

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          「あの先輩」になれない世代

          2020年の世界を驚かせたあのウイルスは私たちの大学生活を破壊するには充分すぎる威力だった。 当時1年生だった私たちは課外活動を制限され、自由を奪われた。 某アニメの名言として「生殺与奪の権を他人に握らせるな」という有名な言葉があるが、大学という他人に私たちの人生は主導権を握られたのである。 蓋を開けてみたらどうだろう?私たちが2年生の頃、7割の学生が部活やサークル活動をしていないというデータがあったような、、 この背景にはたくさんの事情があったはずだ。 「もう部活やサ

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          後悔多き大学生活

          つまらなかったなあ。 が口癖の大学生活4年目を迎えようとしている。断っておくと、私は高校生までかなりのポジティブボーイであった。そんな自分がネガティブ発言ばかりするようになった要因は、大学入学直後に直面したコロナ禍だ(ともしかしたら言い聞かせてるのかもしれない)。 自分がやりたいこと・希望を胸に再開のタイミングを待ち続けた。しかし活動が再開されても、私自身しばらくはコロナを恐れて、なかなか外出できなかった。 それでも積極的に情報収集をし続け、チャンスを伺った。大学生活を

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          ジェンダーについて考える

          「ジェンダー」と言うと、男性優位社会に対して女性の立場や機会の平等を求める声が多数派を占めるだろう。もちろん、その指摘は正しいものであり、今後も議論していかなければならないだろう。 だが、男性である私が今回考えたいのはそれとは反対のケースである。つまり、普通女性が行なうようなことを男性が行おうとしたときに非難されるケースである。私がこのことを書こうと思ったのは、なかなか表出化しないがゆえに悩みを相談しづらい状況にあるからである。一方で、ジェンダーについて叫ばれている今日では

          ジェンダーについて考える

          女の子と女性

          皆は女性のことを呼ぶときに、「女」、「女性」、「女の子」、「女子」どれを使うだろうか。 いずれも意味はかなり似ていそうである。しかし、実際にはニュアンスや印象の違いがあると私は考えている。では、どんな違いがあるのだろうか。 例を挙げてみよう。 皆は、働いている女性の社員に対してどのような名称で呼ぶだろうか。私は「女性」と呼ぶ。 では、大学生にはどのような名称を使うだろうか。私は「女性」や「女子」と呼ぶことが多い。 周りの人は、「女子」、「女の子」と呼ぶことが多いように思う

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