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ユースセンターでゲーム禁止!にしていない理由!

国語が苦手で文字を書くのにとても億劫になる片岡です!今日は「ゲーム」をテーマについて書いていこうと思う。
というのも、最近ユースセンターでは、ゲームのコードが紛失し、ゲームができない若者が「ああああーーー!」と鬱憤がたまっているのをみて、ゲームの価値について改めて考えてみたからです。
ユースセンターをつくろうとした時に、フリーで過ごせる場所に目玉として取り扱ったのが実はゲームで、それがなくなるととても困るのだなととても感じました。


■昔のゲームって?その移りかわり
​僕が小学生の時は、ゲームは”なんとなくよくないもの”として扱われていて、「1日1時間だけだよ」とか「17時までならいいよ」とかルールを親に作られ、親からは繰り返し口酸っぱく言われてきました。結局親の目を盗んでやったりとか、ゲーム禁止ルールが全くない家を探し求めて友達と一緒に放課後よく遊びに行ったりして過ごしてました。

今も当時もゲーム人気というものは変わらないのだけど、当時はその「よくない」と言われている理由を「目が悪くなる」「宿題や勉強をやらなくなる=学力が下がる」だと思っていました。

だからこそ、離れてやりましょう!ということには忠実に守ってきたし、宿題は先に終わらして、「いやもうやってるから!」と反撃しながらゲームと過ごしてきました。

そこから10年以上経ち、ゲームの価値についても時代とともに、変わってきていると思う。スマホの中にゲームは存在し、誰でも気軽に遊べるものとなりつつ、娯楽としてあったものが、e-sportなんかに形を変えて、一つの文化として台頭してきている。

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そうやって形が変わってきたのは、ゲームがコミュニケーションの1つになってきているからだと思う。


■今のゲームの価値は?
ユースセンターには年間いろいろな若者が遊びに来るが、元気で明るい若者ばかりではない。自分の話をするのが苦手な利用者や、不登校や引きこもりの利用者も参加してくれている。

そんな中で、最近のゲームは一人でやるものではなく、「誰かと一緒にやる」ものと変化してきており、コミュニケーションが自然発生的に生まれている。

ユースセンターの中には、ボードゲームやカードゲーム、楽器や漫画なども置いているが、どれもこれも過ごしやすい環境になるものと、誰かと交流できるものを意識して置いている。その中でも、群を抜いて自然なコミュニケーションをとれるのがゲームだ。

初めて来た利用者と30分ゲームをするだけで、距離がぐんと近くなる。無理に話す必要はなく、「あー惜しい!」「次こっちでやってみよう!」と騒ぎながら同じ空間を過ごすだけで、同じ感情を共有できた気持ちになる。対面して遊ぶボードゲームもいいが、「話さないといけない」という状況がしんどいと感じる利用者もいる。

むかし「UNO!」をいうのができずに、永遠に上がることができない中学生もいた。だからこそ、実際にプレイしなくても、後ろから見ているだけでもいい。それでも一緒にやったつもりになって関係性が生まれてくるのだ。

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ゲームイベントなんかをやるとかなりたくさんの人が集まる。そうすると自然と今まで出会ったことがない人との交流が生まれる。
「壁ゲーマーズ」という中高生と大人が一緒になって行ったイベントは多くの人が参加してくれた。最初自分の名前を話すのがやっとだった不登校の子が大人をどんどん倒していきながら、大人や同年代といろいろな話をしていたのがとても印象的だった。

そうやってできた関係性はそこで終わらない。次につながって、次の活動に連動していっている(次のイベントを企画してくれたりやゲーム以外の集まりにも参加してくれたりした)し、そこで出会った友達と連絡先を交換して、やりとりをしているのもいいきっかけだと思う。

そう考えるとゲームは、多くの人が放課後時間を費やしている部活と同じように、誰かにとって「自分が輝ける場所」になっているのではないだろうか。

もちろんノールールですべてOKというわけではないし、リスクもあるとは思うが、完全に禁止してしまうよりも、一定のルールを置きながら、交流できるツールやコミュニケーションツールとして取り扱っていくのが、最適なんじゃないのだろうかと思っている。

ユースセンターは、若者の声をしっかりと受けとめ、社会や大人に伝えていく役割がある。だからこそ、話をすることが苦手な若者と、話をしなくても若者と関係を築くことができるゲームは、とても貴重なツールだったりしているのだ。(片岡)

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