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長編小説『テセウスの肉』第4話「148日目/149日目」

 一四八日目

 大学の講義終わり、私たちは大学の最寄り駅前を歩いていた。まだ午後三時を回っていないので、これからどうする? 映画でも見に行く? と、私たちはとてもカップルらしい会話をしていた。

「うーん、でも今見たい映画ないな~多分」

 午後の講義で少し居眠りをしてしまったらしい雅人は、眠そうな声で言う。これでも少し寝たおかげですっきりしたのだという。どこがよ。

「たしかに私もないかも。じゃあカラオケとか? ってさっきから提案が高校生デートっぽいな」

「別にいいんだよ、行きたいところ行こ」

 そんな会話を駅前のロータリー、コンビニ前でしていると、不意に視線を感じた。普通の自然ではなく、何か強烈な……。まさか自分のSNSのフォロワーってことは確率的にないだろうし、そもそも私に向けられる視線が多いこと自体、そこまで珍しいことじゃない。それでも、今回は妙な違和感がある。普段は羨望、共感、ちょっとした嫉妬、そして性的な目を向けられるという自覚があり、もう慣れっこだった。だが、今のはこれまで一度もなかったような得体の知れない視線だった。
 ただ、その視線に確信があるわけでもなく、姿が見えるわけでもなく、私はどうにもできなかった。そして、その不穏な視線は、雅人と駅の改札口を通り抜けてしばらく経ったところで消えたのだった。

   *

 今日はお互い、自宅へまっすぐ帰った。講義の課題も重めだし、私も雅人も一人の時間がほしいタイプなので、こういう日はそれなりにある。私は部屋に入ると、荷物を置いてすぐにスマホを開いた。駅から自宅までの帰り道はスマホがあまり見られないので、こういうときにすぐ見たくなる。私もすっかりスマホ依存だなあ、なんて危機感の欠片もない独り言をこぼした。

「なんか通知来てるかな」

 スマホの液晶を見ると、インスタのダイレクトメッセージに通知があった。なんだろう、と思いながら確認する。知らないアカウントからだった。いや、もしかしたら知り合いの新しいアカウントかも? と思いフォロワーや投稿を確認する。しかし、フォロワーは一人もいないし、フォローも私だけ。その上これと言って何の投稿もないので、誰だか判断のしようがなかった。メッセージの中身を確認する。

 Miteru:先週、肉じゃがだったみたいだね。美味しかった?

 インスタの投稿を見たのかな。それにしても、中身のないメッセージ……。
 ……あれ? 私あの日の料理って投稿したっけ。
 インスタの投稿、そしてストーリーの履歴を見てみる。そこには、私が雅人やのえりー、高校時代の友達などと映った写真がずらりと並んでいた。しかし、モノ単体の写真はない。どの写真にも、私が映っていることに、気づいた。
 私ってどんだけ自分好きよ……。
 自分に半ば呆れ、反面誇らしくもなる。中学時代まで、自分が大嫌いだった人間のアカウントとは思えない。
 って違う! 肉じゃがの投稿……インスタにはないな。じゃあツイッター?
 確認するも、ツイッターはそもそもあまり写真の投稿はしていなかった。ティックトックには料理動画なんて上げていない。

「あれぇ……? おっかしいな」

 何気なく声を出した後、背筋が凍った。
 つまりこれは、ネットに上げていない私の状況を、この人は知っているということだ。
 肉じゃがを作ったのを知ってるのは……雅人くらいしか。あ、レジの人って買い物から、この人今日肉じゃがだ! って分かったりする、みたいなことを聞いたことがあるような。あとは……。
 ストーカー?
 不意に昼間の視線を思い出す。
 胸の奥がざわざわと煩い。上手く回っていない頭で状況を整理する。視線は気のせいかもしれない。メッセージだって、もしかしたら何かの投稿の背景とかに肉じゃがが映り込んだだけかも。
 自分を落ち着かせるのに必死な自分がいる。
 都合のいい方に考えようとしている自分がいる。
 いや、それでいい。今はただ、落ち着きたかった。誰かに相談できるようになるまで、この不安は、置いておきたい。
 私はスマホをベッドに投げ、荒れる呼吸を落ち着かせようと深呼吸をした。
 その夜は、食欲があまり出なかったので、サラダだけ食べて眠った。なかなか寝付けなかった。

   *

 眠気眼を擦って、私は大学に向かっていた。大学の最寄り駅から大学までとぼとぼと歩く。昨日あんなことがあって、不安だし寝不足だしでふらふらだが、雅人、そしてのえりーにこのことを相談したかった。幸い、あれから不穏な視線は感じていない。しかし、いつも注がれる慣れ切ったはずの、むしろ嬉しかったはずの視線が今日は少し恐ろしく思えた。この視線に交じって、昨日の視線がどこかにあるかもしれないと思うと、気が気ではなかった。

「真希ちゃん! 大丈夫!?」

 雅人が私を見るなり駆け寄ってくる。そんなに酷い姿してるかな……? コンシーラーでクマは隠したはずだし、思ったよりは肌や髪のコンディションも落ちてないと思うんだけど……。

「なんか、空気重い気がする! 寝不足?」

 ……そっか。この人は、見た目じゃないところで、そういうのを察知できるんだなあ。
 呑気に関心していると、雅人はまるで私が死ぬのではないかという勢いで声を上げた。

「なんか答えてよ! ほんとに無事!?」

 そんな雅人がおかしくて、私のメンタルとのギャップがありすぎて、逆に噴き出して笑ってしまった。それを見た雅人が余計に焦り出す。

「え? え? 暗かったのに急に笑った!」

「あんたの迫真すぎる態度に笑ったの!」

 二人して笑う。その瞬間、私は不安を忘れることができたのだった。
 が、それも束の間。
 ――突き刺さるような視線。
 これは間違いなく、昨日の視線だと分かった。

「真希ちゃん?」

 雅人が私の顔を覗き込む。私は周囲を見渡して、視線の主を探した。が、どこを見てもその正体は見つからなかった。

   *

 午前の講義が終わり、私たちはいつも通り学食で昼食を取っていた。学生でごった返す空間の中、小柄の金髪ショートカットがひょこひょこと姿を見せる。あれは、一発で分かる。のえりーだ。

「やあやあお二人! ランチですかー?」

「見たら分かるでしょ」

 相変わらず勢い任せの登場と雑な私のツッコミに、流石の雅人もあははと優しい笑みを浮かべるだけである。
 大体昼頃にのえりーが合流することは分かっていたので、私は今、あの話をしようと踏み込んでみる。

「あのさ」

 ストーカーの話。
 ……と思うと、少しだけ喉が詰まるような感じがした。
 二人は私の声色に少し陰りがあることを察知したようで、いつもの調子から一転、黙りこくって私の顔を見た。

「……あ、いやあ、大した話じゃないかもなんだけど……その」

 言葉を探す。あんまり大ごとに聞こえないように。学祭だって控えてるし、ベストカップル候補に暗い話題が上がるのも避けたい。

「なんか最近、人目が気になるっていうか、なーんか熱烈なファン? がいるみたいで……」

 目を伏せ、自分の手を適当に弄びながら言ってみた。すると二人は、私の想像と少し違う反応を見せた。

「なんだってー!? そりゃあとんだ不届き者がいたもんだ! 私の可愛い真希っちにストーカー紛いなことをするなんて、許せませんなあ彼氏さん?」

「えええ! 大丈夫なの!? 怖いね! しばらく俺の家泊まる? 一緒にいられるし守ってあげられるしお得だよ!」

 二人ともいつものテンションで、変わらないのに、心配してくれている。あんまり深刻にならないように気遣っているのか、ただの素なのか分からないけど、私にはそれが心地よかった。だから、私はちゃんと話すことにした。視線だけでなく、ティックトックでの書き込みのことも。
 変わらず話を聞いてくれる二人に、私はホッとした。ああ、ちゃんと自分が自分でいられる。変わらず接してくれる。漠然と、そう感じた。
 昼休みの残り時間は、全てそのストーカーの話をした。結局、もう少し様子を見て、続くか悪化するようなら警察に相談しようという結論になった。また、当分は雅人の家で過ごし、時折荷物を整理するために自宅に戻るという生活にすることにした。基本的には外出も雅人かのえりーが付き添ってくれることにもなった。本当に、本当にありがたい。私はこれ以上ない感謝の言葉を二人に伝えた。

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