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長編小説『テセウスの肉』第1話「1日目/137日目①」

 一日目

 mi@愚痴垢 @m_xxxxxxx_i 3分前
 マジであのクソ女氏ね
 性格ゴミのクセに見た目良くしたからって、童貞しか近寄らねえよビッチw

 薄暗い部屋。ゴミが散乱した部屋で、男は座椅子に座りながらモニターを覗いていた。マウスのホイールを慣れた手つきで動かす音だけが、狭い部屋に鳴る。

「……お、女に嫌われる女って……大抵見た目はいいんだよなあ」

 呟き、口角を上げた男は、マウスから手を離し、キーボードを叩き始めた。その無機質な旋律は、夜通し部屋に響き続けるのだった。

一三七日目

 駒早こまはや大学の夏休みは、九月中旬に明け、今日から講義が始まっていた。私はまだまだ続く暑さから一時的に解放された講義室で、火照った体を冷ます。夏は汗でメイクが崩れやすいし、日焼け止めを何度も塗り直すようだから、正直嫌いだ。そんな夏への不満を脳内でぐるぐると巡らせていると、隣に座っていた雅人まさとがふいに体を寄せてきた。
いやちょっと……昼間から大胆だって。いくら一昨日の夜、夏休み最後の思い出とか言って盛り上がったからって、距離感バグりすぎ――

「ねえ真希まきちゃん、ちょっといい?」

 ……ああ、耳打ちしにきたのね。全く、紛らわしいなあ私の彼氏。顔がいいから許すけど。

「何? 哲学の先生、私語厳しいんだから後にしてよ」

 雅人は小動物みたいにしゅんとして、姿勢を元に戻した。こういうちょっと可愛いところとか、ずるいよなあ……。

   *

 講義は滞りなく終わり、空調の効いた廊下で繋がる学生食堂まで、快適に移動した私と雅人は、昼食をどうしようかと話し合っていた。駒早大学には、屋内に大きな食堂が二つと、コンビニが一店舗あり、そして屋外のカフェテリア付近には日替わりでキッチンカーが来るので食事に困ることはない。まあ、目移りして悩むことは往々にしてあるのだが。

「真希ちゃん真希ちゃん」

 雅人が空腹に屈服した表情で私を呼ぶ。

「なに」

「今日のキッチンカー、たこ焼きだって! 食べに行こうよ!」

 目を輝かせながらこちらを見るのは、身長一八〇センチの高身長男である。顔立ちと体格がちぐはぐではあるが、そのギャップもまた点数が高い。ついでに女子人気も。

「嫌だ。この暑さで外行ったら汗でメイク落ちちゃうし、日焼けするでしょ? 一人で買ってきて。こっちで一緒に食べよ」

 私は言いながら、すぐそばにあった立て看板のド派手な学食メニューを見遣る。できるだけ野菜が摂れて、揚げ物じゃないものはあるだろうか……。ドレッシングはノンオイルだと、野菜のビタミンの吸収効率が悪いから……オリーブオイルかな。
 なんて考えていたら、いつの間にかたこ焼きを持った雅人が戻ってきていた。

「真希ちゃん! ほら、早くしないと席埋まっちゃうよ」

「わかってる! 席取っといて。買ってくるから」

 らじゃ! と謎に張り切って、雅人は人混みを縫い席を確保しに行った。他の人より頭一つ背が高いから、居場所が分かりやすくていい。
 条件ピッタリな定食を買った私は、賑わう食堂の片隅に雅人と隣り合って座った。食事には少し邪魔なセミロングの髪を耳に掛ける。

「え、ちょっとあの人めっちゃ綺麗……先輩かな?」

 賑わう人混みの中、私はその声を聞き逃さなかった。

「ほんとだ! モデルさんみたい。てか隣の彼氏? もイケメンじゃない?」

 いやはや、溢れ出るオーラはやっぱり隠せませんな。おっと思わず口角が……。

「なににやけてるの」

 私の顔を覗き込んで、雅人が言う。

「なんでもない! てか雅人、今日のそれって……」

 ずっと気になっていたことを、私はやっと口にする。今日雅人と会ってずっと思っていた。言うか言うまいか迷っていたけど、やっぱりこんなに注目されるなら、言おう。

「……あ、バレた?」

「バレた? じゃないわ! その服にクロックスは合わせるなって前にも言ったじゃん!」

 雅人の足元、甲の部分に無数の穴が空いた非常に履きやすいサンダル。しかも原色の緑。

「今日のファッション! キレイめの白ワイシャツに黒ネクタイ、黒のスキニーパンツ! ――に緑クロックスってどんなセンスよ!」

 たしかに、たしかに雅人はファッションに無頓着な方ではある。けど、これはないって! どんなふうに生活していればこんな組み合わせで大学っていうメインコミュニティの中に入っていけるの!?

「ちょ、ちょっと真希ちゃん、声が」

 あたふたした雅人が、私の肩を手で掴みながら言う。
 気づけば、私たちの周りが皆、こちらに目を向けていた。私は顔が熱くなって、黙りこくる。

「名物カップルの痴話喧嘩でた」

 そんな笑い声が聞こえる。そう、私たち「真希雅人カップル」は駒早大学では少しばかり有名で、基本的には皆の憧れの的であると自負している。ただ、雅人がたまーに変なことをするせいで、名物カップルと言われることも少なくない。

「……ああもう、熱くなりすぎた。ごめん。で? なんで今日はそんなサンダル?」

 雅人は、先程私にこっ酷く叱られたことなど忘れてしまったかのように、よくぞ聞いてくれた! と言った具合で喋り出した。

「それがね! 今日変だったんだ!」

「あんたはいつも変でしょう」

「ひどいっ! ……じゃなくて! 不思議なことが起きたんだって!」

 その顔は、いつもと違ってどこか真剣な感じを帯びており、聞いてあげようと気持ちにさせてきたので、私は素直に雅人の話を聞くことにした。

「昨日の夜、変な夢を見たんだけどね」

「夢?」

 私は笑い飛ばすような声で相槌を打ってしまった。真面目な話かと思ったけど、夢の話じゃそりゃ変なことでも不思議なことでも起こるだろう。

「うん、で、その夢っていうのがね、俺の足が誰かに千切り取られちゃう感じだったんだよ」

 思ったより残酷な話題に私は顔をしかめる。

「ちょっと、食事中」

 慌てて「あ、ごめん!」と謝る雅人。それでも続きを話したそうにしていたので、私は続けていいよという合図代わりに質問を投げた。

「『感じだった』って、曖昧な言い方ね」

 継続の許可が下りたので、雅人は再び生き生きしだす。

「夢だからかなあ、あんまり覚えてないんだ。ただ、足が取られちゃうー! って感じで」

 なんか状況に似合わず緊迫感がないなあ……。

「で、それのどこが不思議だっていうの?」

 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、雅人はたこ焼きの爪楊枝を高く掲げ、そして自分の足元を指した。

「今日、これを履いてきた理由なんだけどね」

 急に話が飛んで、私は「ええ?」と間抜けな声を出してしまった。そんな私を楽しそうに見つめる雅人。たっぷりと間を開ける。

 にこにこと私を見る雅人。

「ちょっと、早く言ってよ」

「うん、それがね、足のサイズが変わってたんだよ! 一センチくらいかなあ? 大きくなってて、持ってるどの靴も入らなかったんだよね~」

 ……え?
 背中がひやりと冷えた。
 思っていたよりもずっと不気味なオチだ。
 雅人は今年で十九歳になる。ひと月半付き合っているけど、雅人の成長期がとっくに終わっていることはよく知っている。しかも、一晩で足が一センチも大きくなるなんて聞いたことがない。中学生だってそんな日はないだろう。

「真希ちゃん?」

 私の混乱と裏腹に、当の本人はあっけらかんとしていた。きっと、ちょっと怖い話をしてやったというつもりしかないのだろう。そうだ。全部作り話だったってことも十分にあり得る。まあそのためだけにわざわざ壊滅的なファッションで大学に来るなんて馬鹿げているのだけれど。

「あ~、信じてないでしょ? 待ってね、そういうと思って動画撮ってきたから!」

 抜かりねえ……。
 普段のほほんとした性格のくせに、変なところでこうなのだ、この男は……。
 なんて考えている間に、私の目の前ではスマホの液晶が雅人の足を映し出していた。

「だから食事ちゅ……」

 喉が詰まった。ぎゅっと口の奥がすぼまって、体に緊張が走る。

『真希ちゃん、ほら見てる? 靴が全部入らないんだよ~……』

 スマホの小さいスピーカーから、雅人の声が聞こえる。その優しい声色に反して、映し出されたものは私にとって最悪なものだった。付き合うことになって初めてのデートで、私が選んであげた靴。足のサイズもきちんと測り、ぴったりのものを一緒に選んだはずだ。なのに、画面越しの雅人の足は、その靴より明らかに大きい。

「ね、ねえ雅人、これって……」

「ね! ホントでしょ? 信じてくれた?」

 目をキラキラさせながら言う雅人。私は首肯しながら、自分がおかしいのかもしれないと思い始めていた。だって雅人はこんなにも平然なのだ。もしかしたら、本当に珍しく一日で足が大きくなったのかもしれない。ものすごい浮腫みかも。……はあ、考えるの疲れたな……。

「……信じたよ。すごい不思議」

 私は目の前の疑問から――恐怖から逃亡した。目を瞑ることにした。その方がいいと思ったのだ。
 気づけば、目の前の定食は冷房のせいですっかり冷めてしまっていた。

完結まで、毎週水曜日を除き毎日更新します!

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