xaymaca

読書好きというよりも、活字中毒。 音楽好きというよりも、音響中毒。 一日活字を目にしな…

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読書好きというよりも、活字中毒。 音楽好きというよりも、音響中毒。 一日活字を目にしないと瞳孔が開きます。 一日音楽を耳にしないと宇宙の意思と交信を始めます。

マガジン

  • 写真で二言三言

    ランダムに選んだ過去の写真からインスピレーションを受けた小咄、コラム、戯言などを書き留めます。 読んでも読まなくても人生にはなんの影響もない、そんな活字の羅列で時間つぶしをしてみるのも一興です。

最近の記事

いろいろとヘアカットにも気を遣われていたあの頃...(遠い目)。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 写真の我が家の長女であるうちの小春さんがやってきたのが、2013年の3月。 生まれは2013年1月2日でブリーダーさんも正月でいろいろと忙しい最中だったろうに、そんな中この世に生を受けた。 以前から犬が飼いたいといっていた妻の要望を叶えるために2013年2月に結婚前から同棲して長年暮らした池袋の隣町から、ペット可のマンションに引っ越して、準備万端

    • 富山だからといって黒いばかりじゃないっ!?

      『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 以前も触れたかもしれないが、わたしが出向した地域会社での役職は、出向元から聞いていた話とあり得ないほど異なり、中心となる金沢での役職の範囲どころか、福井と富山の支店長も兼ねるというブラック企業のようなやりたい放題の人事だったのである。 我が家としては長年暮らした池袋を引き払い、トイプードルの小春さんも引き連れて金沢に引っ越してきてしまったので、話

      • 実は廻る寿司で一番オススメなすし食いねぇ!

        『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 二年間の金沢時代の写真から想い出深いモノを撮りだしてご紹介している『写真で二言三言』金沢編。 すでにいくつもオススメの海鮮モノを記事にしてきたところであるが、実は廻る寿司の中で一番オススメしたいお店が今回の『すし食いねぇ』なのである。 しかしなかなか紹介しづらい点もあり。というのもこの『すし食いねぇ』は現在金沢市内に3店舗展開しているが、その全て

        • 迫慶一郎氏繫がりで『金沢ビーンズ』へ。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 2014年7月に金沢に引っ越す以前に、何度か打ち合わせをご一緒したことがある設計士の方がいる。 当時の上司がなかなかアグレッシブなタイプだったので、何キッカケで繋がったのかよくわかってないのだが、たしか東日本大震災の復興プロジェクト関連でなにがしか繋がったということだったのではあるまいか? そんな上司に連れられて、これまで縁のなかった設計事務所に

        いろいろとヘアカットにも気を遣われていたあの頃...(遠い目)。

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        • 写真で二言三言
          521本

        記事

          厚生食堂のテーブル脇の窓から見える金沢漁港の出荷模様。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 前回に続き、2015年の夏もとっくに過ぎ去った10月に、このままぼぉ〜っとしていては金沢の海を見ることもなく金沢を去ることになりかねんっ! と、長田町の自宅から北西に進路を取り、ひたすら金沢の西の果て、日本海を目指したわけだが、まずはこまちなみ保存区域の大野町を徘徊したところで、腹が空いた頃合いで金沢港へ。 当然、港や日本海の潮風を浴びて、さすが

          厚生食堂のテーブル脇の窓から見える金沢漁港の出荷模様。

          ほんのり醤油の香り漂う大野町のこまちなみ保存区域。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 今となっては、毎週末都内のどこかをカメラ片手にブラりお写ン歩することを第一の趣味とするようになったワケだが、それにしてもなにゆえ金沢時代にカメラに興味を持っていなかったのか?が悔やまれるのである。 金沢時代にはiPhoneのカメラですでにブラりする癖が目覚め始めていたのだが、そんななかで悔やまれるのが大野町方面に結局一度しか足を踏み入れなかったこと

          ほんのり醤油の香り漂う大野町のこまちなみ保存区域。

          秋刀魚の旨さを再認識した金沢のやよい軒。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 2016年7月に東京に戻ってきて早丸8年ほど経とうとしているが、いまだに金沢への思いが衰えることがない。 いつまでも後ろ髪を引かれている一番の理由はやはり、その恵まれた食生活がいまだに忘れられないからだろうことは想像に難くない。 なにせ、観光客が飛びつく新鮮な海鮮モノに限らず、巷のスーパーで売っている普通の煮魚、焼魚の類でもこれまで関東で生まれ育

          秋刀魚の旨さを再認識した金沢のやよい軒。

          一度認識してしまうと、常に目に入ってくるマイコンビル。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 今となってはGoogleマップという文明の利器が整備されているので、どこに行こうが道に迷うということもなくなったが、この文明の利器がまだ充分整備される前の10年前くらいまでは、地図が読めない男として自他共に認めるわたくしとしては、知らない土地を歩くときには特に特徴的な建物を記憶しておき、道を間違えたときはそんな特徴的な建物を頼りに来た道を戻るような

          一度認識してしまうと、常に目に入ってくるマイコンビル。

          家系ではない金澤系?な『金澤神仙』。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 金沢へ引っ越してきた当初、ジモティにオススメのラーメンは?と聞くと十中八九『8番ラーメン』と言われて、正直金沢のラーメン文化を疑う日々であった。 がっ!?その石川県民・金沢市民の三世代のDNAに刻まれた『8番ラーメン』信仰については以前もご紹介したと思うが、はじめて食べた8番ラーメンは高速道路のサービスエリアのラーメン並だが、不思議と金沢で一年も暮

          家系ではない金澤系?な『金澤神仙』。

          男飯の要素全てがここに在る、『宇宙軒食堂』のトンバラ定食!

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 男飯に必要な要素といえば、『こってり』、『ボリューミー』、『味が濃い』というところであろうか。 自分自身が10代20代の頃であればいざ知らず、とっくに人生のターニングポイントを迎えている初老になっても、こってりと脂っぽくボリューミーで味が濃い、白米が止まらない料理を前にすると脊髄反射で箸が進んでしまうのである。 ここのところ金沢名物である海鮮モノ

          男飯の要素全てがここに在る、『宇宙軒食堂』のトンバラ定食!

          チェーン店なのに今では味わえない『くるまやラーメン』。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 金沢時代に暮らした長田のマンション前の長田交差点を曲がり、犀川に架かる若宮大橋の方へ向かって自転車を漕いでいくと見覚えのあるチェーン店のラーメン屋を発見した。 『くるまやラーメン』である。 たしか都内では西と東の方しか店舗展開していなかったと思うが、わたしはこの看板をよく目にしていた。 北関東の実家の隣町の街道沿いに2、3店舗展開していたのである

          チェーン店なのに今では味わえない『くるまやラーメン』。

          ピザよりも先に口にしていた昭和の喫茶店育ち。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 前回同様、2015年9月の東京出張時の写真から。 わたしの両親は共働きであり、母は当時電電公社と呼ばれていた現在のNTTで電話交換士の仕事をしていたことから、月に何回か泊まりのシフトが存在した。 泊まりの時の母はいつもより遅い時間(といってもわたしは学校に行ってる時間帯なので実際出勤の姿の記憶は無いのだが)に出勤して一晩仕事をして、翌朝8時くらい

          ピザよりも先に口にしていた昭和の喫茶店育ち。

          東京出張で久々に味わった懐かしの味『満来』。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 2015年8月から9月にかけてはけっこう頻繁に東京出張が重なっていたようである。 思い返すに事業計画の空積みを実体化すべくいろいろと本社様に仕事の無心に走り回っていた時期なんだと思う。 そんな東京出張で泊まりの場合は、旧職場の最寄りでもあった新橋のアパホテルに宿泊することが多かった。 旧職場に顔を出したり、新橋駅周辺の行きつけのお店で食事をしたり

          東京出張で久々に味わった懐かしの味『満来』。

          『とんとん亭』の日替わりランチはオマケのメンチかつサンドすら立派な主食級!?

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 北安江、諸江通り沿いの『とんとん亭』については以前もご紹介したかもしれないが、およそ金沢の海の幸を楽しみにやってきた観光客がわざわざ足を向けるには微妙に遠く、海の幸でもないことからその優先順位は限りなく下がるであろうことは想像に難くない。 実際にわたしが暮らしていた2016年6月までの間に店内が観光客で賑わっていた記憶は無く、ほとんどがジモティで占

          『とんとん亭』の日替わりランチはオマケのメンチかつサンドすら立派な主食級!?

          金沢市中に中津が出現!?KARAAGE83。

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 先日ご紹介した広坂の『あげは』と同様に、今回のお店もなんでもっと早いうちから入店しなかったのだろうか?と後悔をしたお店である。 今回のお店は安江町に在った、そう残念ながらたしかわたしが金沢から東京に引っ越した2015年の夏過ぎには建物老朽化による立ち退きでお店を閉めてしまったのだ。 そのお店は『KARAAGE83』。 なかなかアメリカンな印象も持

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          富山ブラックといえば『大喜根塚店』がホンモノ!

          『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 先日、富山駅構内のとやマルシェに出店している富山ブラックの『大喜』についてアップした通り、これが通常の味覚ではあり得ないくらいに、真夏に朝から汗水垂らして肉体労働に勤しんだ日の昼食でもないとなかなか身体が受け付けないような塩辛さであり、これがご当地ラーメンとして名を馳せる本場の『富山ブラック』なのか? と、合点がいかなすぎて首が90度曲がったままに

          富山ブラックといえば『大喜根塚店』がホンモノ!