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白線をじっと見る

昨夜はとあるイベントに行き、アフターで懇親会にも参加した。ワンドリンク制でイベント中に中瓶1本(赤星があったので瓶にした)、懇親会生ビールを2杯飲んだので、いつもの倍ほど飲んだ。

そして23時。
おー、もうこんな時間!

同じ電鉄会社の最終乗り換えに間に合わせようと、友達と、繁華街から駅までの道をダッシュで走る。私はホントはもう1本あるのだけど、面白いから一緒に走る。前半がんばったので、途中から歩いても間に合うのはわかっていたけど、2人とも面白くなって最後まで走って改札に着いた。

飲んで走って、酔いが回りそう。

空いてる次発の普通電車に座って、酔ってるかな?酔ってないかな?と確かめながら駅に着き、家までの徒歩の道。

目の前に車道と歩道を分ける白線があったので、上をまっすぐ歩いて帰ることにした。

たしか、酔っ払い運転のチェックで、白線をまっすぐ歩けるかどうかで酩酊具合を確かめる、なんてのがあったな。

どうだろう。
うむ、まっすぐ歩ける。
よろけもしない。

酔ってないぞ!
(こんなことをしてる時点で酔ってるとは思います)

白線を歩いていて思い出したのは、ロードバイク乗りの夫にせがんで、ヒルクライムに挑戦させてもらったこと。かなりな激坂で、九十九折りの坂が延々続くコースだった。

山の中で景色もクソもなく、ただただペダルを漕ぐしかない。

大きなカーブを曲がり切ると、また目の前に坂があり、それを登ってまたカーブを曲がると、また坂。

何回これを繰り返せばいいのよ。

途中からめちゃくちゃツラくなり、目の前に広がる次の坂を見るのが嫌になったので、足下の白線だけ見てペダルを漕いだ。白線上を走ってさえいれば、対向車のことも気にしなくていいし、崖から落ちることもないし、前を見なくて済むから坂に心をやられることもない。自分が今、まっすぐな坂を登ってるのか、カーブを曲がっているのかもわからないので、しばらくは目の前のことに集中できた。

私に付き合い、ゆっくりゆっくり進んでくれてる夫も、

ようがんばってる!
もうすぐやで!

と声を掛けてくれる。

このまま目の前のことに集中してたらそのうちゴール(山頂)に着くのかな。

そう思って、多分30分ぐらいがんばった時、うっかり目線を上げてしまった。そして見てしまったのだ。

まだまだ続く九十九折り。

途端に心が折れ、もう無理ー!と降りてしまった。残りの道は、バイクを引きながら歩いてゴールした。これもなかなかしんどかったけど、あのまま坂を登り続けるのは厳しかった。

けれどもし、あのまま白線だけを見つめ続けてペダルをこいでたら最後まで行けたんだろうか?

まだかな、まだかな、しんどいなぁと思いながらも、少しずつは進んでいたはず。そのまま知らず知らずのうちにゴールできることもあったんだろうか!

ゴールが見えない中で頑張り続けるのはしんどいけど、極限状態になると、先が見えることで絶望して諦めてしまうこともある。

手に入れたいのは、先が遠いと思っても、それでも手に入れたい、諦めたくないと思わせてくれるような、どうしてもほしい何か、だろうか。
それとも、そこで折れずに、まぁ、ボチボチ行くか、とまた白線を見つめ続けることのできる穏やかで強い気持ちだろうか。

自分は、どちらのタイプなんだろうなぁ。

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