タグチテルヒコ

ずっと好きなもの作りをしていたら、還暦を過ぎてしまった人。 人生の満足度はそこそこ。 …

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ずっと好きなもの作りをしていたら、還暦を過ぎてしまった人。 人生の満足度はそこそこ。 だが無名、かつ売れてない。 胡散くささとは無縁の人生を送ってきたつもりが、じゅうぶん胡散くさいよね。

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自己紹介みたいな

おじさんである。 かの磯野波平氏の年齢を超えているので、下手するとおじいさんである。 最初の東京オリンピックの時は、米沢で母に抱かれて聖火リレーを見たらしい。 名前は本名だ。 ただ漢字で書いた自分の氏名が落ち着かない。 おそろしくスカスカの最初の2文字に、 突然ぐちゃぐちゃした3文字目、 ここでやめておけばバランスも取れたものを、最後の「彦」はいったいどうなのだ。 おかげて人生で上手に名前の書けたことが一度もない。 ここではせめてカタカナにしてみた。 肩書きは造形作家を名

    • ゴドー待ち(その2)

      ここまでの前振りはこちら 1986年の年明けであった。 卒業年次を迎えた我々は、一応単位も取得し、あるいは卒業し損ね、とにかくもうやることがなかった。 だが、では怠惰に過ごしていたのかといえばさにあらず。 じつは密かにこの年の3月に、最後のイベントとしての学外公演を企画していたのである。 メンバーは在学中を芝居漬けで過ごした腐れ縁たち、お互い認めあった、というのも変だが、実力者の役者4人組と、演出担当の1人である。 ずっと学内で公演をして、毎回何百人か動員していたけれ

      • ゴドー待ち(その1)

        80年代の前半、学生劇団に入っていた。 まぁお遊びといえばお遊びかもしれないが、メンバーは一応美大の学生である。 手先は器用だし馬力もあったから、舞台装置だの照明機材だのという、自分で作れるものはそこそこのレベルで自作した。 最後は200人は収容できる大テントを自作して、大学の配電盤から電気を引っぱって、裏山で公演を打つところまでいった。 それに役者陣も悪くなかったと思う。 何か伝えたいから美術などやっているわけで、これも形を変えた表現行為だ。 外連味のある者も、天然ふし

        • 2024 6 9の3行日記

          大河ドラマ、今日のオープニングのクレジットに、資料協力「山階鳥類研究所」とあって、さて何の協力をしたのかと注意して見ていたのだが、わからない。 特に鳥の関係は出てこなかったし、創立者が皇族出身だから、何か特別の資料でもあったのか。 気になるから誰か教えて。

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          2024 6 8の3行日記

          寒いのも嫌だが暑いのも嫌、日本には四季がぁ〜なんていうけれど、近頃は暑いか寒いか極端じゃないか? 夏のスペインに旅行した時、40℃近くあっても日陰は割と快適だったことなどを思い出す。 みんな湿気のせいだ。

          2024 6 8の3行日記

          2024 6 7の3行日記

          歳をとると寝るのにも体力が必要で、最近は6時間も寝ていると体が痛い。 とはいえ、子供の頃から最低でも8時間の睡眠を謳歌してきた身からすると、これは慢性の寝不足である。 この頃は少しでも気を抜くと向こうの世界に行ってしまうわけで、これが老人の生理というものか。

          2024 6 7の3行日記

          進路室の秘密

          昨日運動部の話を書いたら、ちょっとコメントのやりとりなどがあり、それで思い出したことがある。 わたしはかつて15年間で3つの高校に勤めた。 最初の学校は可もなく不可もなく、みんな進学したがるが、なかなか現役で受からない「進学希望校」であった。 いっぽう2校目は、とりあえず高望みしなければどこかには受かる、一応本物の「進学校」だったように思う。 (3校目については、今回は横に置いておく) でどちらの学校でも保護者から聞かれたのは、部活やってて受験勉強できますか?という問い

          進路室の秘密

          運動部考

          人生で運動部というものに入ったことがない。 大学で演劇のサークルに入ったが、それ以外は小学校から高校までずっと美術系だった。 小学校は図工部。 なぜかずっと模型飛行機を作っていたが、わたし一人だけ市販のキットではなく、自分で設計した三角翼の機体を作って、全く飛ばなかったのを覚えている。 中学は晴れて正式な美術部に入ったが、わたしの意気込みに反して、誰も部活に出てこなかったので、ほとんど活動した記憶がない。暗黒期である。 高校でようやくまともな美術部と出会った。 ここで

          2024 6 4の3行日記

          今月はあまり頼まれ仕事の予定がないし、自分の仕事も締め切りがない。 こうなると、どうも気を張る機会が少なくなって、つまらない。 小人閑居して不善をなす、もう少し自分の機嫌を取れるイベントを考えたい。

          2024 6 4の3行日記

          2024 6 3の3行日記

          雨になるのはわかっていた、なので早めに帰ろうと思っていたのに、仕事で変なスイッチが入ってしまい、気がつけば黒雲が空を覆っている。 慌てて自転車に飛び乗ったが、道半ばで雨に降られ、結構悲惨な目にあった。 それでも捗ったからいいやと、作業の内容を思い返してみたら、たいして進んでいなかった。

          2024 6 3の3行日記

          ファミレス風景

          ずいぶん久しぶりにファミレスに入った。 驚いたことに店に入ってから出るまで、いっさい店員と対峙しないで済んでしまった。 注文はもとより、配膳はロボットだし、ポイントをつけるのも会計するのも機械だ。 時折新聞チラシに入ってくる割引クーポンさえ、タブレットに番号入力で事足りてしまう。 昔から割引券の類を嬉々として使うというのがどうにも格好悪いと思ってしまう、スノッブな自意識を持っている自分だが、チラシを片手にタブレット入力というのは、さらに3割くらい恥ずかしい。(ならチラシな

          ファミレス風景

          2024 6 1の3行日記

          朝ダラダラしていたら、中途半端な時間になり、中途半端に出かけると、後の予定が中途半端になりそうなので、一日在宅することとした。 朝遅く起きてきたというのに、連れ合いは午前中からうつらうつらしだして、そのうち食卓に突っ伏している。 さすがに体調でも悪いのかと心配したが、ただ眠いだけだったらしい。

          2024 6 1の3行日記

          2024 5 31の3行日記

          ちょっと田舎に行けば熊に襲われるし、ならばと都会にいれば拳銃強盗が出たりする。 世界に出ようと天国に一番近い島へ行けば、クーデターに巻き込まれ、国内にとどまれば、頼んでもいないのにアラートが鳴り響く。 それでも、パレスチナのような桁違いの悲劇は、今日も淡々と進行していく。

          2024 5 31の3行日記

          歳なり(その2)

          我が家はどちらかというと髪の毛の薄い家系である。 わたしはわりとおでこが広い方で、なのでこれはいわゆる後退禿げになるのではないかと、高校生の頃から恐れていた。 父親に、お前のおじいさんは40代には全くもって禿げていたのだと聞かされ、それでも父さんにはまだ毛があるではないかと指摘すると、追い討ちをかけるように、隔世遺伝なる概念を教えられたものだ。 そしてこの意地悪な父親も、50代後半にはかなり地肌が見えていきて、息子への警告が自分に回ってきたことに気づいたのであろう、「〇

          歳なり(その2)

          2024 5 29の3行日記 (二本立て)

          このご時世にUFO議連なんていうふざけたものを立ち上げてはしゃいでいるニュース、まぁ報道するテレビもテレビだが。 心底呆れたので、立ち上げメンバーを確認してしまった。 見事に与党と、疑似与党と、あとは野党の困ったちゃんだった。                          政治に関しては、本音と称する露悪趣味が大手を振っている。 痩せ我慢でも理想は掲げ続けなくてはならないし、綺麗事を笑う社会に未来はない。 気休めに、アトリエに生えている杏の木をどうぞ。

          2024 5 29の3行日記 (二本立て)

          歳なり

          若い時は実年齢より上に見られた。 中学生の時、家族で食事に行って、両親がビールを頼んだ。 運ばれてきたグラスは、親父とわたしの前に置かれて、ちょっと動揺したのを覚えている。 どうやらあの頃から、老けはじめたらしい。 高校、大学、就職して30くらいまではずっと、だいたい五つくらいは上に見られていたようだ。 大学を出てストレートに教員になったのだけれど、初任校では同僚に何校目ですか?と聞かれた。 それどころか、最初のあだ名は「おじわか」であったらしい。 あまり気の合わなかっ