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「親の離婚というコンプレックスは武器になった」親の離婚を経験した廣田さんからのメッセージ

親の離婚を経験して大人になった人たちからの、子どもたちへのメッセージ。 第4回目の今日は、廣田峻平さんにインタビューしました。

廣田さんプロフ画

ウィーズ(以下、ウ):まずは、ご両親が離婚されたときの状況を教えていただけますか?


廣田さん(以下、廣田):幼稚園に入るか入らないかくらいだったので、2歳ころから、母と一緒に母の実家で祖父母とともに暮らすようになりました。離婚時の記憶は鮮明にありませんし、離婚時の状況も聞いたことがありません。父と母と一緒に暮らしていたことは残像がなんとなくありますが、両親の喧嘩などは覚えていないんですよね。


ウ:両親が「離婚している」ということに気づいたのは、大きくなってからですか?


廣田:そうですね……母と一緒に暮らすようになってから通った幼稚園で友達と関わるようになって「家族のかたちが違うんだな」ということを感じはじめました。
友達と話したり、遊んだりしているときに、お父さんがどうとかっていうフレーズが出ると、「僕のお父さんは何をやっているんだろう?」と思っていました。


ウ:お父さんとは、離れて暮らすようになってから交流はなかったのですか?


廣田:なかったですね。母が意図的に会わせないようにしていたんじゃないかなと思います。

ウ:そうだったのですね。「家族のかたちが周りと違うんだな」という思いはすんなり消化できましたか?それともしんどさになりましたか?


廣田:幼稚園の頃は「ひとり親家庭」が少なかったのですが、小学生くらいからは周りに増えてきたんです。とくに家族について周りと話すということはありませんでしたが、サッカークラブのチーム仲間の家に行って「なるほどな」と家庭環境を知ることがありました。そういったこともあって、うちだけじゃないというのに気づけていたから、しんどかったなぁと思うのは小学生低学年くらいまでですね。


ウ:「自分の家族だけが違う」というのは辛さになりますが、それが続かなかったのはポイントかもしれませんね。小学生低学年までの間で、しんどさを強く感じるタイミングになった出来事はありますか?


廣田:一つはやはり、友達とお父さんの話題になるときですね。周りと違う、普通じゃないという思いがどうしてもあって。今はもう、そうは思わないですけれどね(笑)結構地域の周りの大人も気を使ってくれて、遊びに連れて行ってくれたり、一緒にキャッチボールしてくれたりしたんです。それは良かったんですが、そこで友達がお父さんとキャッチボールをしていたりすると、羨ましい気持ちもありました。よくテレビでもお父さんと子どものシーンがあるじゃないですか。ああいうのも見ると「お父さんと仲良く」っていいなぁと思っていましたね。

あと、幼稚園で父の日のイベントも辛かったですね。周りの子はお父さんの似顔絵を描くけれど、僕は書けない。母か、おじいちゃんの似顔絵を代わりに書いたと思います。


ウ:自分の家族の話をする相手って誰かいましたか?


廣田:う~ん、いなかったですね。小学生も後半になると、僕としてもすっきりしていたのですが、会話の中でお父さんが一緒に暮らしていないことに触れると空気が重くなるのを感じていました。そういう反応があるのがわかっているから、話すのが嫌だったんですよね(笑)


ウ:それは、他の方もほぼ仰っていました(笑)お父さんとは、その後は?


廣田:社会人になって、2~3年前からは普通に会っています。今日もこの後ごはんに行くんですよ(笑)近くに住んでいるんです。サッカーのクラブチームのお金や大学の学費も、母とともに工面してくれました。そういう連絡は両親間ではとっていたみたいです。


ウ:そうだったんですね。20年ぶりに会ったときってどういう感じだったんですか?


廣田:母も一緒だったんですよ。距離を置きすぎると気まずいなぁと思って、タメ語と敬語を混ぜた感じで話していました(笑)母と父の距離感とか、様子も見ながら「こういう人なんだな」って思ったり。
学生の頃なら、恐縮しすぎて自分の感情を整理して話すのが難しかったと思うので、いいタイミングだったと思います。今ならこういうことがあって……と話のタネもあるし、お酒の力も借りられますしね(笑)


ウ:お母さんも一緒に会われたのですね!ちなみに離婚理由って聞かされていますか?祖父母同居ということもあって、おじいちゃんおばあちゃんも思うところがあったのかなぁと想像してしまうのですが……。


廣田:お金の面の協力関係があったので、母も「いつか会わせないと……」という思いがあったと思います。それまでも母は父の悪口を言ったことはなかったんです。
離婚理由は父の浮気みたいなんですけれどね。でもどこから浮気なのかみたいな、捉え方の違いもあるじゃないですか。だからよくわからないのが正直なところです。
でも、おばあちゃんはなぜか父のこと大好きなんですよ(笑)今も会うってなると『よろしく言っておいてね~!』とか言われます(笑)


ウ:おばあちゃん、素敵ですね!
今振り返って、「これがなかったら、しんどさをひきずっていた」とか、逆に「これがあったら、しんどさをひきずっていた」という部分はそれぞれありますか?


廣田:お金の面を工面してもらえていなかったら、しんどかったかもしれません。特に、サッカーができていなかったら、親を恨むまではいかなくても、そういうことを考えてしまう部分はあったと思います。
あと、母が父の悪口を言っていたらキツかっただろうなぁって。母も抱えていたことはあると思いますが、悪口を言われていたら、父が一方的に悪者になるじゃないですか。そうしたら会ってもいなかったと思いますし。
「お金の心配」と「親への否定感」。この2つがなかったのは大きいです。


ウ:親の離婚を経験して、良かったなと思うこともありますか?


廣田:いっぱいありますね。実は、父は野球をやらせたかったらしいんですよ(笑)母は自由にいろいろやらせてくれる人だったので、サッカーに出会うことができました。もちろん、野球をやっていたら、それはそれで違う道で良い出会いがあったかもしれませんが、サッカーをやれたからこそ、今の交友がありますから。親が離婚してくれたからこそだなと思います。

サッカーをやっていなかったら、ろくな人間じゃなかったかもしれないとも思うんですよね。家族といるのと、別の組織でいるのとでは、やはり学べることが違います。サッカーで小さな成功体験を積めたことが、母子家庭であることをマイナスにしなかったのだと思います。


ウ:サッカーが、廣田さんの支えになったのですね。最後に、今、親の離婚に悩む子どもたちにメッセージをお願いできますか?


廣田:う~ん……。うすっぺらい言葉じゃだめだしなぁ……。大丈夫だよって言っても大丈夫じゃないだろうしなぁ……。自分が言われたら絶対嫌ですからね。
……ちょっと考えてもいいですか?

ウ:もちろんです!!


廣田:周りと違うことをコンプレックスと捉えるのではなく、個性だと捉えると楽になります。僕は母子家庭だったからこそ今の友達や仲間に出会うことが出来ました。今の人生がとても幸せです。捉え方次第で、コンプレックスは個性になり、武器になります。少し長く生きてる先輩からのエールです!



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