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地球は猫で回ってる


 爽やかなれど、ジリジリと額を焦がす陽射し。木の香りと、湿り気のある土の匂い。大地を踏みしめると、自分の体重や重力を感じる気がする。いや、感じているのは背荷物の重さか?
 ふと、地球は人間を乗せて宇宙を飛んでいて、重くないのだろうか。そんな事を考えた。すると、
 「地球はなんで回ってると思う?」
 突然、ケイが訊いた。
 「ええと。そりゃ、なんて言うか、地球の回転を止めるものがないから、かな。空気の抵抗とか、そーゆーモノがあれば止まるんだろうけど、その、どう言えばいいんだろ? 運転手しか乗ってない軽自動車と荷物を積んだトラックとじゃ、同じ100kgで走っててもブレーキを踏んだ時の制動力がまるで違う。つまり、その、あの、地球は大きいから、ちょっとぐらいの抵抗じゃ、止めたくても止まらない、から? かな?」
 ケイの満足いく答を出したくて、僕は懸命に取り繕った。
 けれど、その浅はかな考えを見透かすかのように、ケイは大きな溜息を隠そうともせず、むしろ冷ややかな目で僕を見るだけ。
 「え、ええと。もともと惑星は砂やガスが渦を巻いて、回転した状態で誕生したから回っているって説があって、その、つまり、宇宙全体が回ってるから、地球も回っている、とか」
 ケイはもう一度大きく、聞こえるように溜息をついた。
 「キミは本当につまらない答えを返すね。僕は『なぜ』地球が回ってるかなんて訊いてない。『なんで』って言ったんだよ」
 僕は返答に詰まった。なぜ、と、なんでの違いが今ひとつわからなかった。
 「ん、んん。つまり、地球じゃなくて、それが回し車だとしたら、力が加わったから回転しているって意味じゃなく、中でハムスターが走ろうとしたから回ってる、みたいなコト?」
 質問に質問で返すと、時折、ケイの機嫌が悪くなることもあるが、そうも言っていられない。ケイが問うたのは、地球を回転させているのが「力」ではなく、「何の力」かと言う事だろうか。
 すると、意外なことにケイは目を輝かせて僕の方に向き直った。
 「いいね。とてもいいね。本当にキミは面白い。僕を落胆させたのは、その答えの為だったのかい?」
 いや、違うと否定しかけたが、それをケイの声が遮った。
 「だとしたら、キミは本当に素晴らしい。あると信じて求めた先に見つかるのもいいけれど、見つからないと絶望した矢先に見つかれば喜びはひとしおだ。人生に失敗はつきものだけれど、失敗があるからこそ人生は面白くなる」
 いつも澄まして口数の少ないケイが饒舌になると、何だか僕は少し怖くなる。
 「そうかな? 僕はなるべくなら失敗したくないよ」
 気まぐれなケイの機嫌を損ねる事が失敗だと言うなら、僕はいったい幾度失敗してきた事だろう。
 「人間は所詮、物事を絶対値で測ることが出来ない生き物だ。たとえ失敗しない人生が得られるとするなら、成功の幅の差しか感じられなくなる。つまりは、小さい成功を失敗だと思うようになるんだ」
 確かに、それはケイの言う通りかも知れない。
 「実際、一億円の経費を掛けたプロジェクトの純然たる利益が100万円じゃ、失敗したと見做されるだろうね」
 「それはもうどうでもいいよ。地球を回しているハムスターの正体は何だい?」

 ケイは足を進めながら、こっちを見ずに地球という回し車を回す巨大なハムスターについて訊いた。
 「何だろう? 地球自身? 宇宙の力、とか? あるいは人間、とか」
 スン、と鼻で笑うケイ。
 「人間が? 地球を回すなんて烏滸がましいね。それともキミはアレかい? 人の命は地球よりも重いとか言い出すクチかい?」
 「いや、そうじゃないよ」
 「いや、そうじゃないよ」

 ケイが僕の口調を真似る。少しだけ腹が立ったのを押し殺し、言葉を続ける。
 「そうじゃない。人間がいなくても地球は回っていると思うけど、それを観測する存在がいないとすると、回してる意味がないと思わない? 僕がもし宇宙みたいに大きいものを作ったら、自慢したいもの。見て見て、凄いの作ったよって」
 だいたい、この山ひとつ登り切るのに一体どれだけ歩かなきゃいけないのか。山の頂上を目指すだけで大変なのに、人間が地球なんか回せるはずはない。
 すると、ケイが足を止めて僕が隣に並ぶまで待ってから、僕の方を向いた。
 「なるほど確かに。猫もネズミを捕まえたら、人間に自慢しに行くからね。なるほど。つまり、神という存在がいるとして、その偉業を観測させるために人間を作った」
 いつもより口数が多いケイは、少し不気味だ。それに、黙って歩いた方が楽な山道なのに、いつもより多く喋っている。
 ケイは華奢で、手足なんか折れそうに細い。その分だけ体重も軽いのか、山道でも軽快に、ステップを踏むように山道を登っていく。
 汗だくの僕と違い、小さい真珠のような汗を、ころころと転がすように落とす。
 青白く、血管も透き通った不健康そうな肌色なのに、ケイは疲れなんて知らないような軽やかな足取りで、僕よりよっぽど動ける。
 「神様が寂しいのか、まだ生きているのか、時間の感覚はどれぐらい違うのかわからないけど、僕なら138億年もひとりぼっちはゴメンだな」
 僕の重たい足取りに、ケイが合わせて歩く。
 「神様はきっと、ジェイほどは繊細じゃないと思うよ」
 その言葉の真意はわからないけど、見た目は繊細で壊れそうなのに、身勝手で気まぐれなケイの方がよほど神様向きだと思う。
 言い忘れていたが、ジェイもケイも仮名だ。イニシャルだと思っておいてくれ。
 「だけど、ジェイの仮説は間違ってると思う」
 「仮説と言うほどのものじゃないよ」
 「地球を回してるのはハムスターじゃない。人類でもない。人類を作ったのは猫だ。猫は自らの従者サーバントを作り出したんだ」
 
ケイは黙っていられない秘密を打ち明ける子供のような声でそう言った。
 「前にも、そんな話をしてたよね。けど、人類の誕生は20万年前で、猫は13万年だか14万年前だったと思うよ。順番が違う」
 人類の誕生は猫よりも先の筈だ。キリストはナザレの大工の息子だったと言うが、キリストが全能であったとしても、自分の建てた馬小屋から生まれる事は出来ない。
 いつもそうだ。掴み所のない話で人を煙に巻くのが得意なケイだけど、僕だって毎度毎度騙される訳じゃない。そう思ったのに、ケイは僕の反論などまるで意に介さないようだ。
 「あの話を信じたの? ジェイは素直だなあ。でも、それならもっとあの話を信じるべきだ」
 「何の話さ?」

 僕は少しムッとして訊き返す。そう。掴み所がないのは、ケイの話なんかじゃない。ケイの存在そのものが掴めないのだ。繊細なのにタフで、とても優しく残忍で、知的なのに訳のわからない事を言い出す。理知的な狂気を孕んだケイという存在は、いつも僕の心を掻き乱すのだ。
 「猫は地球外生命体なんだよ。バステトは地球と人類を作り、猫に住みよい環境と従者を作ったんだ」
 詳しい話は忘れたが、ケイの話に、いや、ケイの与太話によれば、エジプトの神バステトは実在していて宇宙人なのだそうだ。話の内容は割といい加減で、時々細かい設定が変更されている。
 だが大筋は、バステトたち猫の一族は人類という寄生先を見つけ(今回は作った事になってる)、のうのうと暮らす道を選んだと言う。しかし、反乱が起きた。反旗を翻したのは人類ではなく、虎やライオンたち大型猫が、懐柔ではなく武力による人類支配を目論んだ為に、猫による統治が終わったのだ、と。
 「そう言えば、そんな話、してたっけ?」
 僕はある程度覚えている内容を、完全に忘れている振りで誤魔化した。そんな御伽噺を真剣に聞いていたと思われるのが悔しかったからだ。
 「とぼけなくてもいいよ。力馬鹿の虎どもと、狡猾な山猫どもが裏切らなければ、ここは猫の惑星になっていたはずなんだ。あの忌々しい山猫さえ裏切らなければ」
 ケイの妄言によれば、バステト達は大型猫との戦いに勝利した。方法は知らないけれど、大型猫の一族から知能を奪い去ったと言うのだ。
 だけど、反乱者は大型猫だけじゃなかった。山猫たち中型猫である。山猫たちは隙を見て、バステト達が行った知恵を奪う秘術を、バステト達自身に行使した。
 そして、神の地位にいた猫は、猫になり下がったらしい。馬鹿馬鹿しい話だ。だけど、ケイが言うと何だか信憑性があるから困る。
 「何にしても、猫の世話をする為に、人類が作られたとは思えないけど?」
 いずれにしても、ケイの話術に乗せられるのは癪だ。そんな法螺に付き合う気はない、という意思表示をする。ケイはそれも見透かしているかのように、話題を変えた。
 「アイちゃん、だっけ?」
 「誰の話?」

 いや、誰の話かは充分すぎるほどわかっている。ここしばらく、僕が通い詰めたキャバクラにいた女の子の名前だ。アイも仮名だが、きっとそれも源氏名だろう。結局僕はアイちゃんの本名すら聞けずじまいだ。と言うか、何故ケイがアイちゃんの事を知っているんだ?
 「随分と入れあげたって聞いてるけど?」
 動揺を隠せていない事は百も承知だが、それでも僕は冷静を装った。誰が漏らした? いや、漏らしたとは限らない。何処でその名前を知った? メールの遣り取りを盗み見られた? いや、からかいや悪戯好きではあるけれど、ケイは意外と他人との間に壁を築く。盗み見をするタイプではない。だとすると、名刺か? 名刺か何かを偶然見てしまって、単純に鎌を掛けられただけかも知れない。
 まんまと掌で踊らされたのだろうか。
 「ああ。あれは付き合いで行っただけだよ」
 これも嘘ではない。アイちゃんに入れ込んでいた事も事実ではあるけれど。
 「靡かない相手に貢ぐ為に、人類が作られたと思う?」
 ケイは珍しく楽しそうに笑う。本当に楽しそうだ。ムカッ腹が立つけれど、ケイの笑顔が本当に楽しそうなので、こっちまで釣られて笑顔になりそうだ。
 「うるさいな」
 腹が立っているのに表情が綻びそうになる。その顔を見られたくなくて、僕は漫画みたいに、つい、と顔を背けた。
 「そんなに可愛かった? アイちゃん。可愛いだけで靡かないなら、猫の世話と変わらないと思うけど?」
 似たような事を誰かに言われた事がある。気分屋で、話が通じなくて、餌が欲しい時だけ擦り寄ってくる。満腹になったら知らん顔。大して懐きはしないけど、媚びを売る方法は知ってて、それはこっちもわかってるけど、可愛いから許してしまう。
 ブランド物のバッグを欲しがらないだけ、猫の方がマシだ。誰が言ってたのか忘れたけど、一理ある。結局ベッド・イン出来る訳でもないなら、性欲が満たされる訳でもない。それを最初から諦めているなら、ネコ缶の方が遥かに安いし、猫なら一緒に寝てはくれる。
 けれど、絶対に賭けた金が返ってこないメダルゲームだと熱中するのは難しい。どれほど期待値が低くても、リターン額が低くても、自分の金を賭けるからこそ、ギャンブルは人を酔わせるのだ。それが確率として0.1%であれ、勝つ可能性があるからこそ、賭する価値があると言うものだろう。
 「靡かないとは限らないよ。人間は人間同士でつがって栄えて来たんだ。猫と子孫は残せないしね」
 猫に人間の子孫が産めるとしたら、前提は大きく狂う。きっと僕達はDNAって奴に生かされてて、遺伝子の命令を守ろうと生きているだけなのだ。
 利己的な遺伝子は、己の分身を残す事のみを最優先する、とはドーキンスの言葉だったか。
 人間が自己中心的で身勝手なのは、己と言う種を生存させる為だ。けれど、自分の命の次に、あるいは、自分の命より家族や同族を守ろうとするのは、やはり種の保存が遺伝子に刻み込まれているからだろう。
 「ふうん。その割には、よく猫耳や猫尻尾をつけた女の子がグラビアに出てくるよね」
 ケイが両手の指を頭上でひらひらさせた。確かに、ケイの言う通りだ。けれど多分、それも遺伝子の命令なのだ。
 全人類が同じ方向に進化するよう足並みを揃えたら、大災害のひとつで世界が滅びる。人間だけじゃない。生物は全て、進化の方向を模索しているのだ。
 例えば、強烈な疫病で絶命してしまわないよう、色んな方向へ進む。抗体もそのひとつだ。色んな土地で育って手に入れた、異なる抗体同士が混じり合い、より強い種を残す。だから必ず、群れの中には群れに馴染めない個体が生まれる。
 群れを離れ、別の生き方を模索し、いつかそれが遙か遠い子孫であっても、いずれまた帰っていく。
 だから、どんな対象を愛するかなんて気にする必要はない。そう。自分に靡くかどうかなんて、好きになる理由のひとつでしかない。
 そう考えるならば、子孫を残せない相手を好きになるのは、遺伝子に対する反抗なのだろうか。それとも、それさえも遺伝子の命令なのだろうか。いや、性同一性障害などは遺伝子的なモノらしいから、それさえも遺伝子の命令なのだろう。
 利己的な遺伝子は、生命に何をさせようと言うのだろう。もし、ケイが言うように、猫が人類を創造したと言うなら、自分達の世話以外、人類に何をさせたがっていたのだろう。
 猫耳が生えたグラビア写真から考えるに、猫は人類との間に子孫を望んだのだろうか。
 ぼんやりと、そんな事を考えていたら、ケイの鈴の音のような声が思考を遮る。
 「猫なら、子供みたいに、アイドルみたいに可愛くて。可愛いだけで、靡かない。でも、出て行かない。犬みたいに散歩に連れて行けなんてせがまない。子孫を残す心配もない」
 子孫を残さなくていい、という考え方はなかった。確かに、人類の近代史は堕胎や避妊で一杯だ。産婦人科に来る女性の、実に4/5が堕胎を望むと言う。少子化なんて嘘だ。人はその手で合法的に人殺しをしているに過ぎない。
 何処かの誰かが、身寄りがない人は猫だかうさぎを飼えばいい、と言っていた。
 家に帰って世話をしなきゃいけない家族という存在があれば、人は犯罪に走りにくくなるのだと言う。
 確かに、ペットさえいれば、性欲と子孫以外は全て得られる気がする。子孫ではないけれど、子育てだって疑似体験できる。亀でもない限りは、死別さえも。
 「出て行かないって言ったけど、猫は死期を悟ると家を出て行くって言うよね」
 ふと、そんな話を思い出して、口にする。
 するとケイが突然つまらなさそうな顔をして、僕の方を向いた。
 「ねぇ、ジェイ」
 「なに?」

 何だろう。ケイはいつも澄ました顔をしているから、表情が読みにくい。つい先程まで表情豊かに笑っていただけに、尚更だ。
 「疲れたけど、早く頂上に着きたいから、荷物持ってよ」
 ケイはそう言って背負っていたリュックを降ろし、僕に投げつけるように渡すと、一人で軽やかに山道の先を行った。
 山はまだ半分を過ぎた所だ。日差しもまだ強い。太陽が赤く染まる頃には、頂上に着くだろう。
 ケイの機嫌を損ねたのかどうかはわからないけど、僕の遺伝子が「早くケイに追いつけ」と命令している気がする。
 そうだね、ケイ。せっかくの山登りだ。頂上から、山々に飲まれて沈んでいく赤い太陽を、一緒に見ようじゃないか。



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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。