連載小説 約束の地②

 

 夏休み最後の日、ぼくは宣言した。
 「明日から学校に行かない」
 ってね。
 「え? どうして?」
 当然ママは驚いたし、怒ったような険しい顔できいた。
 「ひょっとして——夏休みの宿題できてないの?」
 なんでだよ。
 「とっくに終わらせてるし」
 「だったら、なぜ?」
 ぼくはこたえなかった。
 「わたしが病気になったから?」
 そのままこたえるのは気がひけた。ママが自分の責任じゃないかって思うだろ。
 ママは乳がんなんだ。
 小学校の夏休みに手術して、退院して自宅に帰ってきた。がんという病気はホントに大変なんだ。手術はブジに終わったけど、完治はむずかしいんだって。これからずっと再発がないか検査しなくちゃならない。ず〜っとだせ。正直イヤになるよね。
 退院してウチに帰ってから、ママは同じように振る舞っているけど、いままでとはビミョウに違う。ごはんを作るとき、洗濯をするとき、息を整えるように休んでいることがある。そんなことはこれまではなかった。やっぱりしんどいのさ。
 「心配することないから学校に行ってよ。余計な心配ごとが増えるでしょ」
 わかってる。
 ただなんとなく、家から離れたくないというか。
 そういうことって、あるじゃないか。
 自分で言うのもなんだけど、ぼくは学級委員長をやっていて成績だって悪くない。勉強だって運動会みたいなイベントもソツなくこなしている。苦手なクラスメイトがいるとか、先生にどうしようもなく嫌なやつがいるとか、そういうことはない。つまり学校生活には問題がないってこと。
 ママは手術も成功したし、術後の経過も順調らしい。ぼくがいないと生活で困ったことがあるわけではない。
 だけど——どうしても学校に行くの気になれないんだ。
 きみはパラレルワールドってことばを知ってる?
 SFでよく使われることばなんだ。
 ——もし恐竜が絶滅しなかったら?
 いまとはずいぶん違った世界になっただろう。
 でもその世界が、ぼくたちのこの世界と並行するみたいに存在するって考え方。
 ——もしママが乳がんになってなかったら?
 ママが元気な世界から、なんかのきっかけで病気になった世界へ放り込まれた気がする。バカげた考えだよ。だけど自分が学校に行ってるあいだに、知らないところでなにかが変わってしまうのがすごく嫌なんだ。ママが病気になって、いまは落ち着いているみたいだけど、これからのことなんてわからないじゃないか。いつどうなるかなんて。自分でもバカだなあと思うわけだし、それを大人に説明するのはむずかしいし、納得させるのはムリだろう。だから学校へ行きたくない。
 学校に行かず遊びまくって授業についていけないと思われるのもしゃくだから、たくさん勉強するようにしている。自主勉強というやつさ。教科書だけじゃなくて参考書や問題集を使って勉強している。幸いうちには勉強用のタブレットもあるし。嫌じゃないよ。ひとりでコツコツと勉強を進めるのは、ゲームを攻略するみたいで楽しい。熱中して2時間ぐらい過ぎていることもあるよ。
 夕方、ちょうど算数の計算問題をしているときに電話がなった。ママは洗濯物を取り込んでいて手が離せない。ぼくが電話に出た。苗字を名乗ったら、
 「しょうたくん?」
 って、きかれた。
 「——はい。そうですけど」
 電話の声は女のひとだった。あやしい勧誘かなんかだろうかと警戒した。最近ニュースやなんかで振り込め詐欺とかなんだとかよく言ってるじゃないか。でもよく聞くいてみると——どこかで聞き覚えがあるような声。
 「担任の先生だよ。わかる?」
 先生? ぼくのクラスの先生は若い女の先生なんだ。かすみ先生。
 「ひさしぶり。元気でやってる?」
 「はい」
 元気に学校を休んでます! というのもヘンな感じ。
 なるべく明るくなり過ぎないように返事をした。
 だけど暗くなって心配させてもいけない。
 クソ気をつかう。
 「しょうたくんが、どう過ごしているかなと思って電話したの」
 「はあ」
 「いま大丈夫? なにかしていた」
 「算数の勉強をしていました」
 「えらいね」
 そうかな? 学校を休んでますけど?
 「お母さんは? 元気?」
 「まぁまぁ。家でご飯つくったり、散歩したり」
 「散歩?」
 「体力づくりで散歩をしています。ぼくも一緒に」
 「健康的ね。じゃあ体調は悪くない?」
 「まあ、そうですね」
 だったら、おまえはなんで休んでいるんだ? 
 そう言われたら困る。なんだかとても居心地が悪くて、正直もう電話を切ってしまいたかった。そろそろ用事があるので。とか、お母さんに変わりますとか適当なことを言って逃げ出そかなと考えていたら——、
 「学校のことで伝えたいこともあるし、しょうたくんの家に行ってもいいかな?」
 突然、そう先生が言う。
 「え? うちにですか?」
 びっくりした。
 「ダメかな?」
 「いや、べつに、かまいません」
 自分でも思ってないことふうに言った。変化球みたいにボールが来たから思わずオッケーって返事をしてしまった。先生のことは嫌いじゃない。来てもらって話すのはかまわないけど。
 「じゃあ、明日学校が終わったら時間をつくって、しょうたくんの家にうかがいます。お母さんに代わってくれる?」
 「はい、わかりました」
 先生ってこんな押しの強い人だったっけ? 
 どちらかというと物静かで、うるさい騒がしい男子に手を焼いているイメージだったけど。ぼくは押し切られるように返事をしてしまった。
 「どうもありがとう。じゃあ、お母さんに変わってくれる?」
 「はい」
 ぼくはママを呼んで電話を代わった。ママは電話で話し込んでいた。
 電話を切ったママは「担任の先生がうちに来るって」と、ぼくに言った。「わかった」と、ぼくは短く返事をした。知ってる。でも何しに来るんだ?

 家庭訪問の日時を決めた。
 かすみは電話を終えて自分におどろいた。不登校の学童に対する対応など、知識もない。まるで自信がなかった。気負わないのが逆によかったのかもしれない。
 しょうたくんの不登校の原因ははっきりしない。わたしにできることはないのかもしれないけど、とにかく会って話してみよう。
 それからまた考えればいい。
 ふーっと息をついて自分のデスクに戻る。プリントや書類が山積みのまま。かすみには他にもやるべき仕事がある。明日の授業や、生徒のプリントの答案など諸々の仕事を、明日家庭訪問するならば前倒しで終わらさなければならない。
 かすみは仕事に取りかかった。

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