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自分を変えられるのは、自分だけだ。

私のイントネーションは、ちょっとおかしい。
それを時々指摘される。
「もしかして、関西出身ですか?」と。
その言葉は私をとろけさせる。だらしなく笑顔になってしまう。
こういう時、マスクがあって良かったと思う。

10代の頃から、私はずっとネイティブ関西人に憧れている。
私の「おかしなイントネーション」は、私なりに頑張って勉強した成果なのだ。

中学二年生の時いじめにあった。
それから卒業まで、私はしゃべることができなくなった。
まず声が出ない。たまに話しかけられても「あうう」みたいなうめき声しか出せないものだから、みんな逃げていってしまう。
それまで仲が良かった子たちも、気味悪がって離れて行ってしまった。

自分がおもしろいことを言うことで、クラスのみんなが笑ってくれる。
明るいムードメーカー。それが私。
そういう自我が芽生え始めていたところにきて、しゃべれなくなる。
いじめは、私の人格を大きく変えてしまった。

高校に行けば、きっと変われる。
そう期待していたのに、いじめの首謀者が同じ高校の同じクラス(それも3年間ずっと!)にいるという最悪な珍事に見舞われた。

とにかく、環境を変えたい。
教室の窓から遠い山並みを眺めては、毎日そう願っていた。
大嫌いな私を置き去りにして、遠くに行きたい。
その「遠く」が、大阪だったのだ。

いじめに遭うまで、私はお笑い芸人になりたかった。
大阪に行けば、いじめられていた期間を断ち切って、明るかったそれまでの私に戻れる気がする。
大阪は、昔の自分と未来の自分を繋ぎ合わせてくれる夢の場所になった。

高校2年の冬、志望大学をすべて大阪にある学校に変更した。

ドラマだったら、ここから猛勉強のすえ第一志望に合格、晴れて大阪での生活をスタートさせるのだろうけれども。
現実は厳しかった。(単に偏差値が足りなかっただけ)
結局合格できたのは東京にある滑り止め大学のみで、私は関西人になることができなかった。

もし、あの時第一志望の学校に受かっていたらどうなっただろう。
今でも時々考える。
明るい学生生活を送れただろうか? お笑い芸人になる夢を復活させていただろうか? 昔の自分を取り戻すことができたのだろうか?

おそらく、変わらなかっただろう。
北関東のド田舎から東京へ。それだって十分な環境の変化だったはずなのに、私は相変わらず「いじめられっこ」で、卑屈で、コミュ障のままだったのだから。

変身は、環境が変わったからといって容易くできるもんじゃない。

『フォンターネ 山小屋の生活』(パオロ・コニェッティ著 関口英子訳
新潮クレストブックス)
を読みながら、私は思わずパオロにそう語りかけていた。

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30歳を迎えて、「何もかもが枯渇してしま」った著者のパオロ。環境を変えてみたならばと、山小屋にこもった1年間を描いた体験記である。

山小屋での自給自足生活は、パオロを劇的に変えることはなかった。
パオロは、パオロのままだ。彼が彼であることは変わらない。
しかし、そこで過ごした1年間は、彼の目を変えた。
訪ねてきた父の姿を見る目。たった一人、森で暮らす男を見る目。自然を見る目。そして、自分自身を見なおす目。

ああ、そうか。
人は、環境を変えたからといってすぐに変わるもんじゃない。
人を変えるのは環境じゃない。結局は、自分なんだ。
新しい場所でなくとも、同じ環境、同じ物でも、いかに見て、感じ、考えることができるか。それが、人を変えるのだ。
自分が変われば、世界が変わるのだ。

新しい目を持って山を下りたパオロは、そののち『帰れない山』という世界的ベストセラーを書くことになる。

ああ、今この本を手にすることができる若者が羨ましい!
若いころにこの本を読んでいたら、そして「人を変えるのは環境じゃない」ってことに気付けたならば、もう少しマシなオトナになれていたんじゃないだろうか。いや、大人になったからこそ気付けたのかもしれないぞ。
むむむ、読書というやつは本当に一期一会だ。出会ったときが読みどき、なのかもしれない。
そんなことを考えるから、いつまでたっても机の上の積読が減らないのである。








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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。