ヤン・コワルスキ

ソーシャルワーカーの仕事とその隙間についての覚書。

ヤン・コワルスキ

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マガジン

  • ソーシャルワーク

    ソーシャルワークについての個人的な見解を書いた記事のまとめです。

  • 生活保護制度関連

    生活保護に関する記事のまとめです。

  • 公園を巡ってみた

    主に首都圏近郊の公園を散策した記録です。動植物を見たり景色を楽しんだり、自然と調和する人工物を見たりします。日本庭園も好きです。ゆくゆくは遠征したい。バーベキューやスポーツなどのレジャーはほとんど考慮していません。

最近の記事

自由連想からの学び

 『こころの秘密が脅かされるとき』はわたしのような門外漢には自由連想についての入門にちょうどよかったようで、自由連想のコンセプトがなんとなくピンときた感じがします。それと同時に、これはあくまで出来の悪い車輪の再発明でしかないのですが、自分がしていることの中に自由連想の空想、あるいは「心的現実」というコンセプトに通底するものを感じました。  もともとを辿ればどこだったか、一番古い記憶は計見一雄の本にあった「相手の中に入って、一体彼には外の世界がどう見えているのか、どういうふう

    • 『死にたいと言ってください』(4)を読んだので語る

      ※ネタバレありです。  しにいつの4巻が出ましたね。4巻からは電子書籍のみとのこと。もともとコミックは電子書籍で買う人間ですけど、紙本で買っとけばよかったかな〜などと思ってしまいますね、どうしても。  さて、4巻は自死遺族と薬物依存症の話です。レビューというか『しにいつ』を種本に好き勝手語る感じになっていますが、よろしければお付き合いください。  前半は前巻の続き、自死された男性に残された母親の話です。いつでも死ねると思わないと生きていけない、というのは一見矛盾した態度

      • 『太陽が破裂するとき』を再び読む

         精神分析家クリストファー・ボラスが統合失調症の精神分析的治療について論じた本です。先日読後評を上げた『こころの秘密が脅かされるとき』の縁でもう一度手に取りました。最初に読んだのはいつだったか、統合失調症は治癒するという宣伝に猛反発して買ったものの精神分析的なタームに全くついていけず、結論にも納得できなかった。ただ、どうも精神病体験に関する記述にはリアリティがあるな、と思ったものです。今回再び手に取ってみたら付箋がベタベタつけられており、当時はだいぶ一生懸命読んだんだなぁと我

        • 圧倒された人々

           日頃ソーシャルワーカーの愚痴を見聞きしていて思うのは、この人たちはソーシャルワーカーでありながら、人と環境との相互作用に働きかける専門職でありながら、そもそもこの人自身が自らを取り巻く環境に圧倒されているのだなぁ、ということです。  ソーシャルワークの目標の中には「クライエントのパーソナリティが発展する」ことが含まれていて、その意味することの一つとして、クライエント自身が自らの環境を調節できる、自分がよりよい人生を送るために自らの置かれている環境と調停できたり、変化を加え

        自由連想からの学び

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        記事

          思うところあって『太陽が破裂するとき』を書棚から引っ張り出して読んでいます。少しは学びを得たのか、最初に読んだ当時とは少し違う印象を受けますね。

          思うところあって『太陽が破裂するとき』を書棚から引っ張り出して読んでいます。少しは学びを得たのか、最初に読んだ当時とは少し違う印象を受けますね。

          『こころの秘密が脅かされるとき』読後評

           『こころの秘密が脅かされるとき』を読み終わったので某所にレビューを落としてきました。noteではあっちに書かなかった個人的見解や角の立つ話などを書いていきます。 ボラスについて  ボラスは『太陽が破裂するとき』以来です。あれほど分析家の感じ悪いところが露呈した(個人的見解ですよ)本もなかなかないよなと思っていて、正直今回の本も「ボラスかぁ…」とやや尻込みしていたのですが、内容的には買ってよかったです。ボラスは自分には合わないという結論自体は変わらないのですが。クライエン

          『こころの秘密が脅かされるとき』読後評

          社会設計思想としての福祉と自由

           10代の頃に共産党宣言を手にしてからの数年間、わたしはマルクス少年でした。といっても学術的なテクストを読みこなすほどの知能も意気もなく、当時はインターネットがまだまだテキストサイト華やかなりし頃でもあったので、その手のネット論客の論争を読み漁っては善良な独裁すなわち全体主義思想に耽る、かなり痛い少年でした。マルクスが共産主義として実際に思い描いたのはそれら通俗的な言説やマルクス・レーニン主義とは全く違うウルトラモダンな個人主義だったと知るのは、もっともっと後の話です。かつて

          社会設計思想としての福祉と自由

          『こころの秘密が脅かされるとき』を読んでいますが、フロイドが誘惑説を放棄した背景について、斎藤学が「フロイトを責めるのは酷というものだ」と書いていたことを思い出しました。社会が人間存在を受け止めるのは難しいという悲観に苛まれます。

          『こころの秘密が脅かされるとき』を読んでいますが、フロイドが誘惑説を放棄した背景について、斎藤学が「フロイトを責めるのは酷というものだ」と書いていたことを思い出しました。社会が人間存在を受け止めるのは難しいという悲観に苛まれます。

          いわゆる境界知能とされる様態について

           去年か一昨年ごろ、起業家の方がセックスワークのうちのハイリスクなものに従事している女性と境界知能とを結びつけて議論を立てているのを拝見しました。その時もこれはまずいと思って筆を取ったのですが、うまくまとまらずにボツ原稿になっています。  そして先日、特定の言動をとるネットユーザーに対して境界知能呼ばわりする投稿を目にしました。冒頭の件もかなり看過しがたい言論だったのですが、こちらには輪をかけて危機感を覚えました。境界知能は自分に理解しがたい言動をする他者をカジュアルに愚弄す

          いわゆる境界知能とされる様態について

          春から学生のような身分になり、一つの本を10頁読むのに3日かかるような営みをしています。それになんとかついていけているのはわたしの精神分析への関心に薪を焚べ続けてくれた文物や人のお陰でもあり、またわたしを危機感とともに学びへと駆り立ててくれる人たちのお陰でもあります。頑張るます。

          春から学生のような身分になり、一つの本を10頁読むのに3日かかるような営みをしています。それになんとかついていけているのはわたしの精神分析への関心に薪を焚べ続けてくれた文物や人のお陰でもあり、またわたしを危機感とともに学びへと駆り立ててくれる人たちのお陰でもあります。頑張るます。

          ソーシャルワーカーとカウンセリング

          ソーシャルワークの教科書を紐解くと、ソーシャルワーカーの仕事としてカウンセリングが挙げられています。また、英米のソーシャルワーカーの文献を渉猟していると、そこにはソーシャルワーカーがカウンセリングをしている記述に遭遇します。英米での実践はともかく、日本においてさえ少なくとも理論的にはソーシャルワーカーの職務の一つとしてカウンセリングが位置づけられているようで、標準的な教科書にもカウンセリングについての言及があります。  にも関わらず、ソーシャルワーク実践の現場においては「カウ

          ソーシャルワーカーとカウンセリング

          福祉政策の当事者になる覚悟はあるか

           一つ前の記事で専門職が社会統制の手段となることを国家から期待されている、という話を書きました。書き出しに迷って眠っていたこの記事にちょうどそのあたりのことが逆サイドから書いてあったので、この機会にお出ししようと思います。本旨は「福祉専門職に政策の手段として働く覚悟があるか」ということです。タイトルままですね。 日本の福祉政策に不備は多い  日本の福祉政策について管見の範囲で申し上げるなら、使い勝手が悪いということに尽きます。制度的には至れり尽くせりのように見えて、実際に

          福祉政策の当事者になる覚悟はあるか

          ソーシャルワークは期待されているか

           公認心理師はソーシャルワークを期待されている、という趣旨の発言はかねてから見られたものですが、最近またその手の聞き捨てならない発言が視界に入ってきましたので、一度その誤解を解いておきたいと思ってこの文章を書いています。結論から申し上げると、社会は心理職に対して特にソーシャルワークを期待していない、ということです。  そもそもソーシャルワークとは、という話になるわけですが、わたしが論じるにはあまりに主語が大きくて手に余ります。わたしに限らずソーシャルワーカー当事者でもスマー

          ソーシャルワークは期待されているか

          社会が心理職に対してソーシャルワークを期待しているように見えるなら、それはソーシャルワークを治安維持の手法とみなす社会の見方にコミットしていると白状しているようなものだ。

          社会が心理職に対してソーシャルワークを期待しているように見えるなら、それはソーシャルワークを治安維持の手法とみなす社会の見方にコミットしていると白状しているようなものだ。

          愛着を持たない人にとってセルフプロデュースは生存戦略なんだけど、愛着を持てる人にはそこに自己受容が絡むから話がややこしいんだろうな。

          愛着を持たない人にとってセルフプロデュースは生存戦略なんだけど、愛着を持てる人にはそこに自己受容が絡むから話がややこしいんだろうな。

          期待を捨てる勇気|『親といるとなぜか苦しい』読後評

           『親といるとなぜか苦しい: 「親という呪い」から自由になる方法 』という本を読みました。して、一応最後まで読んだので感想を書いていこうと思います。一頃はコミックエッセイも含めてこれ系の本をよく読んでいたものです。まさか、岡田尊司先生が関与している言論にまた接する日が来るとは思いませんでした。  本書はいわゆる毒親本とは違う、ということを強調しており、精神的に未熟な親という表現も毒親toxic parentに比べるとだいぶマイルドな印象を受けます。ただ、本書の筆致から感じら

          期待を捨てる勇気|『親といるとなぜか苦しい』読後評