2番目においしい昭和カレーをめざして
昭和カレーを作るときは決まって、
今日は何を作ったらいいかなあ、なんかピンと来ないなあ
と思っている夕方である。アイデアが湧いてこない日、なんとなく体が重くて作りたくないなんていう日は、私はある喫茶店のことを思い出す。
すると俄然やる気が出てきて、さあ、作ってやるぞ、という気になる。
世界で2番目においしい昭和カレーを目指すのだ。
その喫茶店は、私が小学生の時に父によく連れられて行った、なんともありきたりな店だった。喫茶店、というにはコーヒーは美味しくなく、レストラン、というほどにメニューは充実していない。
それでも、その店にはとても美味しい料理があった。それが昭和カレーだった。
昭和カレー。
そう言われても私たち子供にはよくわからなかった。
だからエビグラタンとか、ナポリタンとか、焼肉定食なんかを頼んで食べていた。
ある日、店長が私たちの前にとつぜん現れた。そして、なぜか両手には箱に入った沢山のいちごがあった。
お客さん、いつもありがとうございます。これ、もしよかったら。
そう言って箱を差し出した。今年は豊作だったのか、なんて思ったら店長は浮かない顔でこんなことをいう。
売れ残ってしまいましたから。いちごは長持ちしないので。
我に返って見回してみると、広い店内に客は私たちだけだった。私たちは首を傾げた。
エビグラタンは美味しいし、店内はそこそこオシャレだ。店員さんは愛想がいいし、駅も近い。なぜ、人が来ないんだろう。
頭の中には「おそらく、ありきたりで目玉商品がないからだろう」とうすうす浮かんではいたものの、あまり口にしてはいけないと黙っていた。姉や弟もおそらくそうだったと思う。
そんなころ、なにがきっかけだったのか、ふと昭和カレーを注文してみた。エビグラタンは量が少ないし、ナポリタンは絡まって食べにくい。焼肉定食は狂牛病が流行ってメニューから外されてしまった。止むに止まれぬ選択だったのだろう。
それを食べてみたら、うん、うまい!
口に入れたときはとろり、と素朴な香りを立てるのに、喉の奥に消えてもしっかりと印象を残す。ルーは程よくやわらかく、炊きたての米と絡む。スパイスは効きすぎず控えすぎず、ちょうどいい。
具材は、じゃがいも、にんじん、玉ねぎに薄切りの豚肉。それ以外はない。それなのに、妙な特別感が漂っている。
そしてその懐かしい味。まだ子供なのに、はっきりと「なつかしい」と思えるのはなぜなんだろう。今でも不思議でたまらない。
私たちは夢中でたべた。次も、そのまた次も、昭和カレーを頼んだ。
銀色のスプーンに顔を映しながら、いまかいまかと待った。そして到着すると目の前に光る美しいルー。そして細かく湯気を送る白米たちが
さあどうぞ、おたべなすって!
なんて言っている。
美味しかった。いくらでも食べられた。いい加減にしなさい、と注意されるほど私たちは欲しがった。これだけ美味しいものがあるのに、どうして客がこないのか不思議だった。
その店は、なぜか4、5年前まで営業していた。つまり、経営不振から約20年ほどやっていたことになる。
あのあと、客がくるようになったのだろうか。もしかしたらみんなが昭和カレーの美味しさを見出したのかもしれない。
人気メニューになって、地元紙に取り上げられたかも。
潰れてしまったという話は、父から聞いた。コロナの煽りか、たまたまそのタイミングだったのかわからない。
中学にあがり、父とほとんど食事をとらなくなった。だから、父が食べている横顔を思い浮かべると、自然と背景はあの店になる。
父はどうして、私たちをあの店に連れて行ったんだろう。誰も客がいない店に、安くも美味しくもない店に私たちを何度も連れていった。
すると、意外な答えが返ってきた。
他の客がいないというのも、いいものなんだ。
特に小さい子供を持つとわかるよ。周りに人がいないのはすごく気楽。
なんと、空いていたから連れて行っただけだった。
それにしても、あの昭和カレーは美味しかったなあ。いまでも、ぽつり、と思い出したように昭和カレーを作ってみることがある。具材はシンプルに。ルーを作るときはバターは無し。サラダ油だけ。
結構いい線いくのだが、なかなかあの味にはたどり着かない。
空いている時にあれだけ通ったのだ。レシピくらい聞けば教えてくれただろう。
そうも思うけれど、思い出の中だけの味わいというのもそれはそれで良い気がして、今日も2番目においしい昭和カレーをめざして、いま煮込んでいるところである。
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