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小説「美しきこの世界」 六

「自分が出来ると思う事や、やりたい事を自分で否定しないで。おば様は一人じゃない。何があっても私は大丈夫だから」
 あの日夢がおばあさんに伝えた言葉です。自分を想ってくれる人が周りに沢山居たとしても、心が一人になってしまう時があるのです。誰にもどうすることも出来ないと絶望してしまう時があるのです。それでも本の一瞬でも心の支えになれたなら、夢はそう想い気持ちを伝えたのでした。
 それから数日間は、おばあさんの身の周りの環境を色色調えて行きました。もちろんそれで終わりではなく、人によって変化の現れる場所や進行速度は違うので、時間と共に必要なものも変わって行きます。変化して行く状況に合わせ柔軟に対応してゆくことが大事なのです。

 そして一年後。
 心が軽くなるほど晴れた午後の空の下、おばあさんの家の前の長椅子に座り、おばあさんとオッカは昔話に花を咲かせていました。
「おば様見て!」
 そんな二人に遠くから声を掛けたのは、ニコニコと笑みを浮かべる夢でした。夢はコロコロコロとタイヤの音を鳴らしながら、それでも持って来た物を後ろに隠しながらおばあさんの前までやって来ました。
「ジャン!」
 夢はタイヤの音の正体を大げさに披露しました。そして笑顔を残したまま、二人の反応を待ったのですが、おばあさんとオッカは表情を変えず言葉を失っていました。想像していた反応ではなかった事に照れた夢は頬を仄かに赤らめ、二人を交互に見つめました。するとオッカは立ち上がり、持って来たものを凝視しながら夢に近付きました。
「あんたこれシルバーカーじゃないかい? しかも自分で作ったのかい? なんか心配な部分がチラホラあるよ」
「そんな! 簡単だと思ったんだけど。どこ、オッカさん?」
 ショックを受けた夢は、シルバーカーを入念にチェックし出しました。
「それよりもあんたどうして自分で作ったんだい? 買やあいいだろうにさ」
 すると夢はオッカの側にそっと近付き、おばあさんに聴こえないように「だって買うと受け取ってくれないもの」と囁きました。
「聞こえてるよ」
 突然背後から聞こえた声に二人は背筋をピッと伸ばしました。
「必要な物を言ってくれりゃあたしが買うから。遠慮せずに言う事だよ。心配しなくても要らない物は買わないし、金だってたんまりあるんだよ」
 おばあさんがハッキリとそう言うと、夢はおばあさんの方へ振り返りました。
「分かったわ。でも使わないで出来るなら私、ごめんなさい。でも出来る事はチャレンジしたいの!」
「夢、あんたあたしにお金を使わせない気だねぇ。自分が提案する事にお金を使わせることが悪いと思ってるだろ?」
「ち、違うわ!」
 内心を隠せていない夢の反応にオッカは思わず笑ってしまいました。しかしオッカはすぐに表情を変え、心を見透かした微笑で夢を見つめて言いました。
「分かったわって、全然分かってないじゃないのさ。ダメだよ、あんた、昔から嘘が下手なんだ」
 夢は口を開けたまま耳を赤らめ、言葉が出なくなってしまいました。色色と考えた夢は遠慮されないようにとそうしたのですが、結局自分で費用を出しているのです。
 ただ、その気持ちを理解したオッカはシルバーカーに優しく触れると「そうだね」と呟き、そして夢の肩に手を回すと、優しく強くポンッポンッと触れました。
「うん、そうだね。やっぱりうちらでもやろう! 町の連中はそういうのが得意なやつらばっかりさ。うちのミゲロは封筒よりも力の方が頼りになる!」
 ミゲロの封筒を思い出した夢は思わず笑みを零しました。オッカも大きな声で笑うと、二人を自分に注目させるようにパンパンッと手を叩きました。
「ねぇ姉さん、孫がこっち来るんだろ? 部屋が必要になるんじゃないのかい? 色色しなくちゃいけない事もあるだろうさ。でも姉さんの気持ちは分かるさ。姉さんもあたしらの気持ちは分かるだろ? 無理をすれば姉さんが気を使うのも分かってるからさ。約束する。無理はしない。ただ、こうしてるのがすごく楽しいのさ」
 おばあさんは、みんながそうしてくれるのは自分のためだという事は痛いほど分かっています。だからこそ嬉しくて、申し訳なかったのです。他のみんなも今日と同じようにおばあさんの所へ何度も足を運びました。それでも迷惑を掛けたくない気持ちがとても強かったおばあさんは、他人に介護を押し付けたくなかったのです。介護はきっと、辛い事ばかりなんだと思っているからです。そして夢達も、自分の想いをおばあさんへ押し付けないように、嫌な思いをさせないように、ゆっくりと時間を掛けて分かってもらおうとしてきました。今日もまた、その想いを届けにおばあさんの所へやって来たのです。そうやって少しずつおばあさんの心の中にみんなの想いが注がれてゆき、その想いはおばあさんの心の中で優しく温かく輝きました。
「そんな人生も、悪くはないねぇ」
 二人が目にしたおばあさんの笑顔。それは、自分達の想いを受け入れてくれたという何よりの返事でした。その瞬間、夢とオッカの胸の奥で、自分達にも何かができるという喜びが弾けました。大切な人。傷付いてほしくない人。それだけで充分なのです。

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