くりおね

詩人。

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最近の記事

暮るるまで蘂が刻告ぐ時計草     大岡千代子

時計草は、奇妙な花である。まさしく時計に似ている。ゆえに人類が時間に囚われていることをこの花を見たとたんに強く意識する。デジタル時計に慣れた身に、ふいにアナログ時計に出会った懐かしささえ覚える。見ると、雌蘂の柱頭が三烈し、長針、短針、秒針に見え、糸状のツートンカラーの副花冠が文字盤を形成している。日が暮れると花びらを閉じ、朝になると開く。蜂が蜜を求めるように、人は時計草に本能的に惹きつけられる。

    • まぼろしか翡翠見たる身のほてり   小向知枝

      翡翠を一目見たら虜になる。腹部は赤褐色、羽は深緑(翡翠)、背中は空色である。翡翠は、立ち姿より飛ぶ姿が断然かっこいい。速さはマッハ級なので、肉眼では空色の直線にしか見えない。ホバリングから獲物めがけて飛び込む姿は圧巻である。あまりにも見事なので卒倒しそうになる。胸は高鳴り、身が火照る。今見たのは夢か幻か。目を疑う。その一瞬を何度もフィードバックして確かめ、今見た光景の余韻に浸る。心はすっかり上の空。

      • 滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半

        滝を見上げているときにはもうすでに水は現れ流れているはずである。そこを、いったんまっさらにして水を止めたところに詩が生まれた。そのからくりを知ると、新しい視点が生まれ創作のコツがつかめる。迫力満点の滝の勢いにも、初めて見るときの驚異に満ちた初々しさが求められる。時間を止めてみる。止められないなら自意識を放棄する。新しいアイデアは、がんじがらめの鎖を解き放つところから始まる。なにもかも捨て去ってみよう。

        • さざなみの田水や植ゑしばかりなる  高浜年尾

          広々とした平野に水が行き渡り、見渡す限り空を映す鏡となる。その水面を見ると、小さな緑の苗が規則正しく顔を覗かせ風に靡いている。掌ほどに育てられた苗が植えられ、大地に根を下ろし、清々しい思いで天を仰いでいる。息も詰まるほどに混みあっていたところから広々とした居心地の良いところに変わり、たっぷりとした自分たちだけの水に浸り手足を伸ばす。田水は、植えられたばかりの苗たちと優しく触れあい出会いを楽しむ。

        暮るるまで蘂が刻告ぐ時計草     大岡千代子

          蛍火の風に消え又風に燃え 深見けん二

          幻想的で美しい蛍。何もない暗闇からふっと現れ光り、ゆるやかな流線を描きながらふっと消える。消えた先の闇を呆然と見つづけることになる。蛍光の明滅は、闇のあちこちで生まれて消え、消えて生まれる。底なしの深い闇に引き込まれ、瞬きを忘れさせ息を呑む。闇には高さがあり、奥行きがある。辺りを見回し光を見つけその先を追う。蛍火は、流れる風に消えそうになり煽られたりしながら、風の波に揺れながら儚い明滅を繰り返す。

          蛍火の風に消え又風に燃え 深見けん二

          じやがいもの花言霊ねむりけり    佐藤鬼房

          薄紫の波打つ花びらが反り返り黄色い花芯が突き出るじゃが芋の花は、清楚で素朴な花である。その花を贅沢の極みにいたマリー・アントワネットが好み、髪飾りにしていたとは驚きである。原産地のペルーからヨーロッパに伝えられたときには食物としてよりも花としての魅力に嵌った。やがて、地下に眠るじゃが芋の価値に目覚め、食料として普及していった。暮らしの中で発せられる言葉は、胸の奥に宿る言霊から生まれているのである。

          じやがいもの花言霊ねむりけり    佐藤鬼房

          ベゴニアの多情多恨や日の射して   加納立子

          パンジーが終わり、これから長い間楽しませてくれるベゴニアに植え替える。葉と花のバランスがよく、色も豊富である。最も一般的なベゴニアから入り、毎年つきあっていると情が移り、間口も広がり、2000種ともいわれる苗を求めて取り憑かれたように彷徨う。いつのまにか動物と変わらないくらいに感情移入してしまう魔性の植物となる。値段も手ごろで庶民には嬉しい。趣味の園芸に小さな幸せをもたらし底なしの熱を帯びてくる。

          ベゴニアの多情多恨や日の射して   加納立子

          十薬の白さこの世の捨て葉書     鍵和田秞子

          日本の三大民間薬の一つで薬効が多い。どこにでも生え、地下茎で限りなく増殖する。ぼってりとした白い苞は、濃緑の葉に浮き上がって見え、清楚である。昨今は、葉書や手紙の代わりにメールが飛び交うようになったが、ひと昔前は葉書が主流で、年賀状のやり取りが盛んであった。その束になった葉書を半年たったころ、ようやく捨てる踏ん切りがつく。あの人この人と思い浮かべながら、捨てる葉書に未練が残る。純白の清々しさもある。

          十薬の白さこの世の捨て葉書     鍵和田秞子

          枇杷の汁ひぢを伝へり昔より 細見綾子

          半年もの長い間、枇杷が熟れるのを待つ。黄みを帯びて橙色になり、そこからさらに赤みがさすまでじっくりと待つ。待ちきれずに手を出すと酸っぱい。まだ早い。じっくり待たねばならない。熟してくるとたっぷりと果汁を溜めて重くなり、濃厚な葉の茂みがたわみだす。ゆっさゆっさ揺れて今にも振り落とされそうになりながら甘みを増していく。熟した枇杷は、皮をむくと果汁が滴り指を伝わり肘に流れる。すると幼い頃の思い出が蘇る。

          枇杷の汁ひぢを伝へり昔より 細見綾子

          濁流のしぶくところに栗の花     上田五千石

          栗の花は、線香花火のように四方八方に優雅に泳ぐ花である。青々と茂る葉が真白い花で覆い尽くされ、潮風に吹かれてふわふわ揺れる。渦巻く濁流の波しぶきが噴きかかる絶壁に、生臭い匂いは吹き消され、栗の花がゆらゆら揺れる。青い空と紺碧の海に、波しぶきと栗の花の純白が爽やかな色彩のコントラストを成す。激しい波しぶきの音も次第にかき消され、この瞬間に生きている実感を味わっている。嗚呼絶景かな。男気が湧き起こってくる。

          濁流のしぶくところに栗の花     上田五千石

          紫陽花や白よりいでし浅みどり    渡辺水巴

          紫陽花の名前は、真の藍色の花が集まるという意味で、「集(あず)+真(さ)+藍(あい)」が変化したものと言われている。近年、日本原産のガクアジサイを西洋で品種改良したハイドランジアが主流をなしてきた。 華やかで大ぶりな手毬咲きの花に光沢のある厚めの葉を持つ。馴染みのある紫陽花は、濃い赤や紫が主流であるが、洋風な香りを漂わせるハイドランジアは、白が目立つ。変わったところでは緑がかっているのもある。

          紫陽花や白よりいでし浅みどり    渡辺水巴

          笹百合や女人ここまで許されし    竹内留村

          葉が笹に似ている笹百合は、伊豆より西の森林や山地に自生し、淡いピンクの清楚な花を咲かせる。“日本のユリ”を意味する「Lilium japonicum」という学名を持ち、日本を代表するユリとして世界的に認知されている。害虫に弱いため栽培は難しい。山百合に比べると小柄ではあるが、楚々として気品があり、並外れた存在感がある。風によって笹百合が揺れると、山の女神の化身ではないかと思われるほどの息を呑む美しさである。

          笹百合や女人ここまで許されし    竹内留村

          玫瑰やきのふより濃き空の色        深見けん二

          古くから日本に自生するバラの原種で、落葉性低木。北海道から東日本など日本海側の海岸の砂地に多く自生する。太い枝には多くの針状の棘が密生し、葉はやや長い楕円形で、上面には光沢があり無毛で、葉の下面には密毛がある。強い芳香を放つ五弁花で、海と空にひときわ映える。気品があり、華やかで美しい。一日で散るが次々に咲き、花と実が一緒に見られる。皇后雅子様のお印は、旅行で訪れた北海道での印象から決まったという。

          玫瑰やきのふより濃き空の色        深見けん二

          あいまいな空に不満の五月かな 中澤敬子

          五月晴れと言われるように、5月はスカッと爽やかに晴れて清々しい。12か月のなかで、一番心地良い季節でそれを狙ったイベントも多い。その貴重な5月を最後の日まで惜しみなく味わい尽くしたい。それなのに、もうすでに台風1号が発生して天気は崩れた。31日夜中の3時には温帯低気圧に変わり、前線を伴って伊豆諸島付近から日本の東へ北東に進む。どうやら今日は曇りのようだ。すっきりしない天気におおいに不満である。

          あいまいな空に不満の五月かな 中澤敬子

          ゆくところ坂ゆくところ夏薊 足利紫城

          青葉が茂る森や林を歩いたりすると、鶯の声と薊の花が迎えてくれる。どこまで行っても、縄張りを過ぎたところでまた違った張りのあるメゾソプラノのメロディーが流れ、悩みを吹き飛ばし爽快な気分にさせてくれる。緑陰の中に温かく柔らかいピンクの薊が、それぞれを気づかうように距離を置きながらほつほつと逞しく揺れる。行く先々で優しい自然に迎え入れられ、自然に溶けながら社会にまみれた毒気が洗い流され純粋になっていく。

          ゆくところ坂ゆくところ夏薊 足利紫城

          田水張つて空のおもさの加はりぬ   鷲谷七菜子

          静かに眠っていた田が起こされる。鉄砲や蓮華がひっくり返り、黒々とした肥沃な土が顔をのぞかせる。いよいよ本格的な農作業が始まり、広々とした平野が息を吹き返す。一台のトラクターが終日行ったり来たりして、堅実に仕事をこなていく。辺り一面の剥きだしの土に太陽の光が降りそそがれ、やがて水が行き渡るや、青空を映す鏡となる。これから始まる農作業の幕開けである。高い空が深々と垂れ、田の存在がずっしりと重く感じられる。

          田水張つて空のおもさの加はりぬ   鷲谷七菜子