卒業

「今から卒業式を開会するッ!起立ッ!」

秋川理事長がマイクに向かって宣言した。椅子に座っていた全校生徒が一斉に立ち上がり、一斉に一礼し、一斉に着席した。

「あの、今卒業式って言ってましたけど、いったい誰の卒業式なんですか?」

スペシャルウィークが小さい声で前の席のエルコンドルパサーに訊いた。

「うーん、エルたちはまだ中等部デスし、それに今は11月デース。ここに呼ばれる意味がわかりまセーン」

「しかもさあ」エルコンドルパサーの隣にいたセイウンスカイが口を挟む。「昨日まで何の連絡もなかったよねえ~」

「まったく」キングヘイローが腕を組んだ。「この学園の運営は杜撰なのよ!」

ちなみにハルウララは「さんすうドリル2ねんせい」の課題が終わらないため、今も教室に軟禁されている。

「グラスワンダーッ!」

秋川理事長が唐突にそう叫んだ。同期組が驚いてグラスワンダーのほうを向くと、彼女は悠然と立ち上がってステージのほうに歩いていった。同期組を含んだ全校生徒の視線が彼女に集中していた。

「本日は皆さんにお伝えしたいことがあります」

そう言ってグラスワンダーはポケットから長方形の布を取り出した。グラスワンダーは小さく深呼吸すると意を決したように口を開いた。

「これは、旭日旗です」

彼女がそう言った途端、またか、という生暖かい弛緩が生徒たちの間に広がっていった。視線がばらける。あー、あの娘確かこの前も大音量で『同期の桜』流してたよね、校庭で。それな。正直もう面白くないんだよね。ああいうの。マジでそれ。てか極右なのかネトウヨなのかもいまいちハッキリしないよね。三島事件ごっことトランプ政権支持って絶対両立しないでしょっていう。いやほんとに。

場の空気が完全な飽和を迎えたまさにその瞬間、グラスワンダーは手にしていた旭日旗を床に叩きつけた。

再び視線が集まる。

彼女は反対側のポケットから黄色のマジックペンを取り出すと、旭日旗の白の部分を黄色で塗り潰していった。グラスワンダーは額の汗を拭うと、塗り替えられた元・旭日旗を再び胸の前に掲げた。

「これは、マケドニア国旗です」

ゴールドシップだけが咳のような笑い声を漏らしたが、それ以外は誰も口を開かなかった。ナイフのような緊張感が張り詰めていた。

グラスワンダーは憑き物が落ちたような表情で一礼するとゆっくりとステージを降りた。

「次ッ!エイシンフラッシュ!」

エイシンフラッシュがグラスワンダーと入れ替わりで登壇した。エイシンフラッシュは右手を開き、それを斜め45度に突き出した。生徒たちは大きな溜息をついた。ドイツ出身だからネオナチって短絡きわまるよね。ほんそれ。そもそもヨーロッパ圏じゃナチスへの言及そのものがタブーだし、むしろヨーロッパから遠く隔たった国のほうがネオナチ思想は浸透しやすいっての。『アメリカン・ヒストリーX』1000回見ろって話だよね。

「例の敬礼」をしたまま直立不動だったエイシンフラッシュは右足をダンッ!と踏み鳴らした。

視線が再び集まる。

「今からアラレちゃんのモノマネやります」

エイシンフラッシュは大声で叫んだ。ポーズはそのまま。

「んちゃ!」

ゴールドシップだけが後方に転倒したが、それ以外は誰一人微動だにしなかった。

「次ッ!サトノダイヤモンドッ!」

次いでサトノダイヤモンドが登壇。ボディコンシャスなボルドーのトップスとブラックのミドル丈スカートの組み合わせは、名のある良家の令嬢の休日というよりは、平日午後10時の歌舞伎町を想起させた。姫カットだからメンヘラって、さすがに紋切り型すぎるっしょ。ほんとにね。

サトノダイヤモンドは体育館横の扉に向かって「お父様、例のものを!」と叫んだ。声の残響が静寂に溶け込むよりも先に、黒塗りの細長い高級車が扉を破壊しながら体育館に突っ込んできた。エルメネジルド・ゼニアのスーツを身に纏った彼女の父親は、後部座席からビニールカバーに包まれた洋服を取り出した。

「マルニのウールコート、プラダのカッターシャツ、ジル・サンダーのハイウエストスラックス、メゾン・マルジェラの足袋ブーツ、バレンシアガのショルダーバッグ。これでよかったかな?」

彼女の父親は有産階級特有の含みを持った笑みを浮かべた。サトノダイヤモンドはそれを受け取るとステージの袖に身を隠した。

次に彼女が袖から現れたとき、陶然とした溜息がそこかしこから漏れ出た。それまで足を組んで携帯をいじっていたゴールドシチーは、その場で立ち上がると「アンタの格好、サイコーじゃん!」と大きな拍手を送った。

サトノダイヤモンドは返事の代わりに小さくはにかむと、父親に手を引かれながらステージを降りていった。壇上には脱ぎ捨てられた安物の服が散乱していた。スピンズとか、ウィゴーとか、アンクルージュとか。

さよなら歌舞伎町、さよならキタちゃん。サトノダイヤモンドは心の中でそう呟いた。

「次ッ!マチカネフクキタル!」

はいッ!と駆け足でステージに上がったマチカネフクキタルは、一礼をするなり所持していた水晶玉を床に思い切り叩きつけた。水晶玉は不可逆的に砕け散った。全校生徒が唖然とした表情を彼女に向けた。

「世界を正しく記述できる唯一の方法があるとするならば、それは科学です」

マチカネフクキタルはそう言い残すとマイクに踵を返した。

「次ッ!ヒシアマゾン!」

ヒシアマゾンはポケットに手を突っ込み、身体を横ノリ的にゆらゆらさせながらマイクの前に立った。彼女はマイクを握り締めたまま、全身に力を込めた。彼女の身体はブルブルと震え出し、徐々に光を放ち始めていた。

「アタシさ、肌がやけに黒いからって理由でヒップホップとかよく聴いてたけどさ、実はまったくわかんないんだよな、英語」

刹那、体育館が眩い閃光に包まれた。次に生徒たちが目を開けたとき、ヒシアマゾンは真っ白な白人になっていた。あらゆる差別や偏見から逃れることのできる特権を、彼女は遂に手にしたのだ。真っ白になったヒシアマゾンはスキップをしながら階段を降りた。そのとき彼女は靴を段の隙間に引っかけて思い切り転倒したが、誰もそれを笑わなかった。白人がやることは何であれサマになるものだ。

それ以降もたくさんのウマ娘たちの名前が呼ばれていった。

ステージで各々の独白を済ませたウマ娘たちは、誰も彼もが世界一自由な旅人のように安らかな表情で自分の席に戻っていった。

「以上で卒業式を終了するッ!」

生徒たちが一通り独白を終えると、秋川理事長がマイクに向かって叫んだ。すると生徒席の後方から声を上げる者がいた。

「異議あり!異議ありや!」

タマモクロスだった。

「なんでウチだけ呼ばれんのや!?この流れやったらウチもビンボーから脱出できると思うやん!?ほんでもって貧乏人にお金配ってお妾買ってロケット造って月まで飛べると思うやん!?」

しかし彼女の哀訴も虚しく、先ほどサトノダイヤモンドの父親に破壊された体育館横の扉から黒服を身に纏った長身の男たちがゾロゾロと入り込んできた。

「うわっ!またお前らかいな!ホンマにしつこいな!」

「あ、あれは・・・」隠れて弁当を食べていたオグリキャップが顔を上げた。「日本学生支援機構のエージェント・・・」

「タマモクロスさん、お支払いのほうに遅滞が生じております」

「うわっ!おいっ!やめっ・・・アカーーーーーーン!!!」

タマモクロスは黒服たちに両腕を掴まれたままどこかへと消えていった。その有り様はさながら警官に連行されるグレイ型宇宙人のようだった。

秋川理事長が場の空気に改行を加えるように咳払いをした。

「ではこれで最後ッ!皆でトレセン学園の校歌を歌唱しようッ!全員起立ッ!」

 全校生徒が一斉に立ち上がった。指揮者のエアグルーヴが合図を出すと、美しいピアノの前奏が午後の体育館にレクイエムの彩りを添えた。エアグルーヴは荒みきった街からありったけの愛を掬い上げる神様のように右手を大きく振り上げた。

~トレセン学園校歌~
作詞:畑亜貴
作曲:滝廉太郎

差せーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



・・・あっ

校歌斉唱が終わると、ウマ娘たちは涙を流した。それが悲しみによるものなのか喜びによるものなのかはわからない。もちろん秋川理事長も泣いていた。理事長は涙にかき暮れながらマイクを口元に寄せた。

「この校歌とも今日でお別れだ!この校歌には我が学園のためになるようなことは何一つ描画されていないからであるッ!全てが粗雑ッ!全てが無意味ッ!」

静寂の中にちらほらと嗚咽の声が漏れた。

「我が学園は数ある教育機関の中でも類を見ない、ウマ娘の育成のみを目的とした教育機関であるッ!」

誰もが秋川理事長の鬼気迫る弁舌に意識を集中させていた。

「そしてウマ娘という生き物はどんな人間よりも速く走ることが可能ッ!すなわちウマ娘専門の学園たるもの他のどんな教育機関よりも『進歩』している必要があるッ!くだらない差別や情欲や反社会的行為などからは即刻卒業しなければならない義務があるッ!」

秋川理事長はもう一度咳払いを挟んでからこう叫んだ。

「よって明日からはこの曲を正式な校歌とするッ!!!!清聴すべしッ!!!!!!!」

秋川理事長が合図を出すと、これまた美しい前奏が流れはじめた。ああ、なんだろう、なんだかすごく馴染みがある。体が勝手に踊り始めてしまうというか、カラオケで熱唱したくなってしまうというか、ボカロっぽいというか。

秋川理事長はポケットから歌詞カードを取り出すと、大きく息を吸った。

~シン・トレセン学園校歌~
作詞:Cygames
作曲:DECO*27

「ウマ娘 プリティーダービー」の二次創作のガイドラインについてご案内いたします。

本作品は実在する競走馬をモチーフとしたキャラクターが数多く登場しており、馬名をお借りしている馬主の皆様を含め、たくさんの方々の協力により実現しております。
モチーフとなる競走馬のファンの皆様や馬主の皆様、および関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターのイメージを著しく損なう表現は行わないようお願いいたします。
具体的には「ウマ娘 プリティーダービー」において、以下の条項に当てはまる創作物の公開はご遠慮ください。
本作品、または第三者の考え方や名誉などを害する目的のもの
暴力的・グロテスクなもの、または性的描写を含むもの
特定の政治・宗教・信条を過度に支援する、または貶めるもの
反社会的な表現のもの
第三者の権利を侵害しているもの
本ガイドラインは馬名の管理会社様との協議のうえ制定しております。
上記に当てはまる場合、やむを得ず法的措置を検討する場合もございます。

本ガイドラインは『ウマ娘』を応援していただいている皆様のファン活動自体を否定するものではございません。
皆様に安心してファン活動を行っていただけるよう、ガイドラインを制定しておりますので、ご理解ご協力のほどよろしくお願いいたします。

また、本ガイドラインに関するお問い合わせには、個別でのお答えはいたしませんのでご了承ください。

ウマ娘プロジェクトは名馬たちの尊厳を損なわないために、今後も皆様とともに競走馬やその活躍を応援してまいります。

ピアノの余韻が完全に消え去ると、それと踵を接するように万雷の拍手が鳴り響いた。

ありがとう、秋川理事長。

ありがとう、トレセン学園。

ありがとう、Cygames。

拍手は鳴りやまなかった。喝采も聞こえる。指笛、雄叫び、何かの楽器の音まで。誰もが新たなる秩序の到来を心の底から歓迎していた。

「あら・・・?」

祝祭の中で不意にメジロマックイーンがあることに気がついた。

「ゴールドシップさんは?」

さっきまで隣に座っていたはずのゴールドシップの姿が見当たらなかった。メジロマックイーンは体育館を出て、チームスピカの部室に向かった。自分の近くにいないとき、彼女はたいていそこにいるのだ。

メジロマックイーンが部室のドアをゆっくりと開いた。しかしそこにゴールドシップの姿はなかった。

メジロマックイーンは近くにあった椅子に座り込むと、大きく息を吸い込んだ。汗と石灰とデオドラントの混じった妙な微香が鼻をついた。彼女はそれを寂しさと名付けることにした。

彼女はゆっくりと目を閉じ、誰に向けるわけでもなく呟いた。

「これでよかったのですわ」

体育館のほうからは依然として遠雷のように拍手喝采が鳴り響いている。メジロマックイーンはその音に耳を傾けながら、心の中でもう一度呟いた。

これでよかったのですわ。

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