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生きているうちにしかできないこと


残りの人生がどのくらいか、なんて考えるようになったのは、40歳になった時だったと思う。それまでは死ぬのがすごく怖かったけど、それは自分にとってかなり先の未来であったからこそ、怖かったのかもしれない。

先が見えない恐怖、とでも言うのだろうか。

40歳になった時、人生折り返しだと思ったのは、鮮明に覚えている。今までそんなことを考えたこともなかったから。今まで生きてきた年数よりこれから先の方が短いかもしれない、と言う切実な感覚はあの時が初めてだった。

さらに年齢を重ねて、周囲に亡くなる人が増えてくると、不思議と死ぬことは
怖く無くなってきた。
そして「生きているうちにしかできないことをやりたい」と、切に思うようになった。

生きていると言うことは、すなわち「肉体を持っている」「心で感じることができる」「それらを頭で整理することができる」の3つだと思っている。
まさに、心技体、だ。

ただ、この日本においてはあまりにも長く、学校教育では「技」の部分に多くの時間を割いている。音楽や体育、美術などの時間は本当にわずかだ。それらは本気で好きな人は、部活や、習い事で極めていくもの、というスタンスがある。裏を返せば、音楽やスポーツはある一定の才能がある人がやるべきものだから、それ以外の「普通の人」は、技、すなわち学力を身につけた方がいい、という考え方なのだと今更ながら気づく。
もちろん教養はその人の人生を深めてくれるので、大事だが学校教育が教養を深めてくれるのか、と言われると、ちょっと違うと思う人の方が多いだろう。

「技磨き」に慣れすぎると、どうしても心で感じることを無視し、体を動かすことを厭うようになってしまう。生きているうちにしかできないこととは、心で感じることであり、体を使ってしかできないことをやることだ。

私にとっては、旅であり、本を読むことであり、文章を書くことであり、人とコミュニケーションを取ることだ。仕事はそもそも好きな仕事しか、今までしてきていないので、これからも仕事と文章を書くことがイコールになるようにしていくつもりだ。

そして肉体をできる限り長く使えるために、ジムに通い始め、仕事を減らした分本を大量に読み始め、趣味で電子ピアノを弾き、好きな人にだけ会いにいく。

誰1人として、たとえ若い人であったとしても、自分の人生の残り時間は知らないし、知りようがない。

だったら、今手にしているこの時間をどう使うのか、何に使うのか、誰と一緒にいるのか、それを常に自問自答しながら過ごしていきたいと思うこの頃だ。

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