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近況

色々調子を崩して休養したのが、早くも一年前の出来事になってしまった。時だけがあっという間に過ぎていくような感覚に少し恐怖を覚える。だから、こうして日々の記録を残さないと気づいたら爺さんになってしまうかもしれないので、適当に近況をパラパラと撒き散らすことにする。

イラストやマンガのリクエストが来た

才能ある人は本人が辞めたいと思っても、周りが勝手に外堀を埋めてどんどん上のフィールドに導かれていくものらしい。確か女子柔道のメダリストがそんな話をしていた。
そして逆も然りで、何もない人はこの上なく自由だし、そしてとびきり孤独だ。
最近まで、その孤独の中にいた私に、個人のスケブ依頼や、同人のアンソロジーの執筆依頼が来て戸惑った。でも、一生に数回もないレアイベントなら墓標に添えるステキな一節になるだろうと、どちらも承諾した。結果はわからないけど、貴重な経験はしておいたほうが良い。

SNSを楽しめた

チェンソーマンのイラストが春先から全然描けなくなり、魂の抜け殻みたいになっていた。
そしてある日、タイムラインを眺めながら、フォローしていた神絵師の描くキャラクターをなんとなく描いてみた。もうその時にはこだわりとか愛とかがスカスカ状態で、手癖でポイポイ(キャラクターに失礼…)描いてたのだけど、なぜか反応もらったり、コメントもらうことが増えて、そうなるともっと描いてみようと乗り気になってきて、ガシガシ描くようになった。
その時は、最初原作読んで抱いたキャラクターのイメージなんて完全無視で、SNSの人たちが繰り出すアイディアにひたすら乗っかり続けていた。さながら猿回しの猿である。だが、猿回し猿だって嫌だと思いながら回る猿だけじゃなく、中には楽しいと思いながら回る猿もおそらくいる。私はSNSの人々に存分に回される猿を楽しんだ。

創作に対してどんどんテキトーになってゆく

上記でお気づきの方もいるかもしれないが、私は創作に関してどんどん適当になってきた。
今はチェンソーマンの突発で思いついた同人誌を描くのが楽しい。ただ、完成させる気も売れるようにする気もないので、飽きてしまったら物のことをフラフラ始めるだろう。
その同人誌のネームが3日で完成するという自己最速記録を作ったが、そんなことは関係なしに、好きでいられるうちは描き続けようと思う。
ただただ楽しいこのひと時が何より大切だ。

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