箱
つぎの朝、母の部屋をのぞきました。
「おはよう。咲ちゃん」
母は、笑顔でそう言ってくれたのです。
昨日と同じようにベッドに座ったまま。
私がした飾りつけも、そのままにしてくれていました。
昨日の母の声は、聞きまちがえではなかったのです。
私は、朝ごはんをもってきました。
母はにっこりと、「ありがとう」と言ってくれました。
ですがそのあと、「ごめんね、お母さんお腹いっぱいなの。咲ちゃんが食べて」とつづけました。
ジャムをぬったパンをほうばる私を、母はにこにこしながら見ていました。
私は早く母と会話がしたかったのです。
パンを牛乳で流しこむようにして食べました。
ですが、食べ終わったあと、何を話していいのか、わからず、言葉につまったのです。
すると母は「きれいだね」と、私が昨日した飾りつけを見わたしながら言いました。
私は母へ、飾りつけの説明をしました。
母は私の言葉にうなずきながら、しっかり聞いてくれたのです。
冷たくなる前は、私にかまってくれませんでした。
目のまえの私に気づかずに、泣いていました。
私を呼んだと思ったら「お母さん死にたい」と、そればかりでした。
いまは、私とたくさんしゃべってくれます。
優しく微笑みかけてくれています。
私は、いままで寂しかったぶん、母と話したのです。
一日中、話していました。
つぎの日も、私は母に朝ごはんをもっていったのです。
部屋にはいると、母が苦しそうにしていました。
母のお腹がふくらんでいました。
母はつらそうに息をきらせながら、私に言ったのです。
「咲ちゃん、お願いがあるの」
「なに?」
「お母さんのお腹に穴をあけて」
「そんなことできないっ」
「大丈夫だから」
「大丈夫じゃないっ。病院にいこっ」
「お母さん、いま歩けないの……」
昨日の楽しさから、一変しました。
こんなことになって、再び母が死んでしまうのではないかと不安になりました。
そしたら、母が言ったのです。
「お母さん、このままだと、死んじゃうかも……」
すごく苦しそうな息づかいでした。
私は混乱しました。
母の言うとおりにしないと、母の命があぶないのか。
母の言うとおりにしてしまったら、母の命があぶないのか。
間違えたら、今度こそ二度と母が目をさまさなくなるんじゃないかと……
すごい恐怖でした。
内心取り乱し、かたまっている私に、母が言いました。
「大丈夫。咲ちゃんをひとりにしないから。だから、手伝って」
母は苦しさに耐えながら、優しい笑顔を作って、そう言ったのでした。
私は、園芸用のハサミをもってきました。
持ち手が大きく、先がとがっていました。
私はハサミを開いて、片方の刃の刃先を、母の膨らんだお腹へ近づけました。
私は、まだ怖かったです。
刃先がすこしあたったら、もしかして、母は考えをあらためてくれるのではないかと……
痛がって病院に行くと言い出してくれるのではないかと、期待をしていました。
ですが、すこし触れるだけのつもりが、刃先が母のお腹に、すっと入ってしまったのです。
びっくりして、すぐに刃を抜きました。
血が出てくると、思いました。
けれども、一滴も血は出てこなかったのです。
かわりに、傷口を震わせながらガスが噴き出てきました。
ガスは嫌なにおいがして、私はむせてしまったのです。
私はそのあと、においを嫌がるそぶりを、みせないようにしました。
母がかわいそうだと思って、こらえたのです。
ですがしばらくして、母のつけていた香水をふったのを覚えています。
大人になったいま、一度にあんなにも香水を使うことはないと、わかります。
きっと母には、私がにおいをいやがってることが伝わってしまっていました。
けど、母は気にしていない表情をしてくれていたのです。
膨れていた母のお腹は、すっかりへこみました。
私は、重ねたティッシュに消毒液を染み込ませて、お腹の傷口をふきました。
ガーゼをあてて、うえから白い紙のテープでとめました。
そのあと、母は何ごともなかったかのようにしていました。
前日と変わらず、私とおしゃべりをしてくれました。
母にかまってもらえるうれしさで、私はさっきまでの怖さを忘れることができていました。
日がかわって、さらに翌朝です。
お腹のガーゼを取ると、傷がひどくなっていました。
母はまた、私に頼みごとをしたのです。
「咲ちゃん、お母さんのお腹のダメになったところを切って」
「え……」
「お花も傷んだところを切ったほうが、元気になるでしょ」
私はまた困惑しました。
ですが昨日は、言うとおりにしたら母はよくなったのです。
母は、お腹に穴があいているにもかかわらず、痛そうにしたり、具合わるくしている様子はありませんでした。
それどころか、笑顔でいるのです。
私は、ためらいもそこそこに、母の言うとおりにすることにしました。
持ち手が大きく子供には扱いづらい、園芸用のハサミ。
私の、ぎこちないハサミの扱いにも母は一切あわてることなく、顔色を変えません。
傷口の周りの肉が、ただれていました。
それを、つまみあげてハサミで切ったのです。
やわかくて、びっくりしました。
「痛くない?」
「大丈夫」
私は、母の様子を見ながら、ただれたところをきれいに取りのぞきました。
父が出ていったあとの母に対して、私は無力でした。
なので、そのときは母の助けになれることが、うれしかったです。
しばらく経つと母の傷は、またただれてしまいました。
その度、私がきれいにしたのです。
それを繰り返して、穴はひろがっていきました。
その穴の大きさは異常でした。
母のお腹の穴から、内臓がのぞいていたのです。
お腹の穴を見る私の視線を感じ取った母は、言いました。
「いやなにおいがするでしょ?」
「……」
「なかもダメになっちゃってるから取って」
言っていることに反して、かわいらしい言い方でした。
それまでの異常さに、慣れてきていた私でしたが、さすがに動揺しました。
ですが、母が私にかまってくれている状況が変わってしまうのを恐れていました。
もちろん、母の内臓を取るのも怖くて嫌です。
「ほんとうにお腹きっちゃうよ」
私は母にたずねました。
母は穏やかな表情でうなずいたのです。
私は、母のお腹の穴にハサミの刃をさしこみました。
そこから切り開いていったのです。
相変わらず母は、痛そうにはしません。
切ったお腹をめくると、内臓が露出しました。
どろどろです。
私は泣きそうでした。
母のあばらの内側へ手をいれて、胃の上の部分にハサミをあてたのです。
「ほんとうに切っていいの?」
私は確認をしました。
母は、さっきと同じようにうなずいたのです。
思いきってハサミを閉じ、胃を食道から切り離しました。
私は、バケツをもってきて、どろどろの胃と腸を取り出して、そこへ移しました。
もろくなっていて、途中で何ヵ所か、ちぎれてしまいました。
「咲ちゃん泣かないで」
そのときすでに、私は泣いていたのです。
母に励まされながら、つづけました。
そして、全部を取り出しおえたのです。
もちろん私は、縫合することなんてできません。
切ったところは、ふさげませんが、思いつく限りの手当てをしました。
「ごめんね、嫌なことさせて」
母は私に、あやまりました。
冷蔵庫は空っぽでした。
父が出ていったあと、母は買い物に行ってなかったからです。
私は母の内臓を冷凍庫へと入れました。
そうしたのは、テレビで見た、おぼろげな知識のためだったと思います。
「お母さん、大丈夫?」
「うん。咲ちゃんのおかげでね」
母は内臓がないのにも関わらず、元気そうです。
小学3年生の私でも、さすがに、おかしいと思っていました。
ですが、母が私にかまってくれます。
そしてなにより、幸せそうにしてくれています。
父が出ていってしまう前のように。
なので、おかしくても、私は構いませんでした。
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