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トヨタ物語 ウーブン・シティへの道|第34回 最高の生産現場

■できるのは考えることだけ

 それにしても、その頃の生産現場はどういった様子だったのだろうか。
人がいない、高性能のマシンもない、カネもない。できるのは考えることだけだ。(トヨタ生産方式を生んだ)豊田喜一郎が社長を辞任した後、(トヨタ生産方式を体系化した)大野耐一は毎日、何かを考え、現場をカイゼンしたのだろう。作業者たちもまた働いた。職人気質の熟練工は人員整理の対象になっていたから、若い作業者たちが先頭になって働いた。

 わたしは長い間、トヨタ生産方式の現場を見てきた。だが、もっとも見てみたいと思うのは、あの時のトヨタ本社工場だ。彼らは人間の考えは高性能の機械よりも、はるかに価値があることを証明した。だが、往時、現場にいた人間は自分たちがそれほど大きなことを達成した自覚はなかったろう。
「毎日、仕事があってよかったな」程度の感想しか持たなかったのではないか。

 不思議なことに、大野以下の人々はこの6年間について、ほぼ沈黙している。沈黙の理由について、わたしはさんざん考えたのだが、結論は「真似をされると困るから」に違いない。人を増やさずに大増産できたことを軽々しく口にしたら同業他社、特にアメリカの自動車会社に真似をされる。そうしたら小さなトヨタはひとたまりもないと心配したのだろう。

 後になって、大野はこんなことを話している。

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