トヨタ物語 ウーブン・シティへの道|第33回 大増産、4つの理由
■ないないづくしの中で
戦後、人が増えていない6年間の間に、トヨタは大増産している。1950年の生産台数は1万1706台で、6年後のそれは4万6417台。生産台数は4倍以上だ。人も増えず、機械を一新したわけではないのに、短期間で生産台数が激増した。
果たして、そんなことがありうるのだろうか。
「労働強化して、24時間、働かせたのではないか」
そう思う人もいるかもしれないが、それも違う。争議が終わったばかりで、組合の力は強かった。それに6年もの長期間、年中無休の労働が続くわけもない。
実行できたのはせいぜい残業と休日出勤だ。
社史には朝鮮特需への対応について、次の記述がある。
「トヨタ自工では生産計画を月産650台から1,000台へと引き上げた。要員については、現有人員による2時間残業で対応し、また計画中であったBM型トラックのBX型への切り替えは、特需車両の完納後まで繰り延べることとした」
ないない尽くしのなかで、増産を達成したのにはいくつかの理由が考えられる。
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