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その日暮らしの記 -- あるいは能なき男の用なき日乗



2024年3月・中

2024-03-11月 大震災から13年

大震災から13年、日本を離れてインド辺りをうろうろしてるのは、それがきっかけとも言える。
北インドの聖地ハリドワルの巡礼宿の一室で、寝台に寝転がって今日も日がな一日ネット遊びに打ち興じている。
何ということもなく今日から、そんな無用の時の流れの合間に浮かぶ言葉をつづってみようかと。
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2024-03-12火 気持ちのよい目覚め

とても気持ちのよい目覚めだった。悟りというのは、世界全体に心が行き届くということだなと理解した。そんな考えを書き留めて置こうと思い、以前手元のドロイド端末に入れておいたDroidVimをいじり始めた。初めて使うソフトなので設定を始めると切りがなく疲れる。適当なところで切り上げてこれを書くことにした。
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2024-03-13水 残光の紅鯨

井上信行氏の『アニメーターの老後』読了。アニメ業界オタク文芸とでも言うべき、怪作にして快作。純文学系の文体で、50代売れないアニメーターのリアルが描かれており、オタクで読書好き(特に老人会系)の人にはおもしろく読めるはず。sf小説系老人の自分にとっても、大いに共感して読める佳作だった。400字詰め500枚相当、読み応えあります。

・kindle版はこちらから100円で購入可(unlimitedならば無料)。
https://amzn.to/4a5upEo

・web版はこちらから読めます。
アニメーターの老後 web版」

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2024-03-14木 嬉しい気持ち

昨日感想を書いた作家さんの小説を、キンドル版でも昨日のうちに購入した。誤植が気になる場所が一箇所あったので、購入したことと合わせて誤植のことも書き、作者宛ての言及をつけてblueskyで投稿した。
今朝起きてからblueskyを見ると作者さんからお礼の返信が届いていた。
いいことをした、いいことがあった、という気分になっている。
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2024-03-15金 起き抜けの瞑想時間

朝6時前に目が覚めて用を足し、そのあと寝床に寝っ転がってしばらく瞑想をした。
初めのうちは思考が転がるに任せた。きのこ体験という人生の転機が起点となって、江戸川区に越したことで知り合った女性が自分の人生で占める位置の大きさを確認した。江戸川区に住むことになったのは大学時代の先輩にバイト先を紹介してもらったことがきっかけだった。あの大学にたまたま受かったから今の自分があるのだなと気がついた。
しばらくして思考の転がりを止めて、体の感覚に意識を向けた。
身体感覚の脱落が瞑想の深まりの一つの目安になるのだが、思考を転がしたままにしているとなかなか脱落が起こらない。
体感に意識を向けているうちに、聴覚のきーんという生理音が美しく深みを増してゆく。体の存在感が薄まって、自分が意識だけの存在に近づいてゆく。まぶたの裏に白黒の線画が浮かびうごめき出した。
そんな様々な内的感覚を観察しているうちに、いつの間にか二度寝してしまった。
次に目を覚ましたのは10時近くで、それからこの文章を書く準備をした。
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2024-03-16土 通話ごときの緊張感

昨日、実兄がblueskyにアカウントを作ったのに気がつき、ぶるるんタウンに招待してみた。今日は土曜だったので兄は早速discordのアカウントを作りぶるるんサーバに参加。
使い方の問い合わせが来たのでいくつか教えると音声通話を試そうというので、こちらも初めてのdiscord上での通話。
ところが、実の兄と他愛のない話をしているだけなのに、その緊張することと言ったら!
自分の人生が四六時中のと言いたくなるくらいに緊張の連続だったことを噛みしめる、北インドはハリドワルの宵の口。
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2024-03-17日 怒りの後味

いやあ、今日はちょっとうちの奥さんと派手にやらかしちまいましてね。
奥方さまはこのところヒンズー寺でのお手伝いで忙しいんですが、のらくらしてるぼくがロクに彼女の思うようには動かないもんだからぴりぴりしちゃってて。
で、そういう感情的な波が来るとすごく他罰的になる人でして、それをあんまりやられるとこっちもついかっとなる、てなわけでして。
怒りを爆発させちゃって悪かったなと思うと同時に、けれどもそれはそれで仕方ないと受け止める気持ちもあって、その辺りの釣り合いが取り切れずに、なんとなく後味が悪い今日という一日なのです。
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2024-03-18月 陰鬱な小説

青空文庫で見かけた小林多喜二の短編「一九二八年三月十五日」をしばらく前から切れ切れに読み進めていたのだが、昨日と今日で読み終わった。
昭和の初めの共産主義者の運動について書いた作品で、初めは活動家の妻の視点から運動が描かれる。
そうして物語はやがて 1928.3.15 の共産党員一斉検挙のエピソードへとなだれ込むのだが、留置所での拷問場面が後半の山場となって空恐ろしい。
青空文庫版は初出時に編集者によって伏せ字化されたものを底本としているのだが、血を見るだけで背筋が凍る自分のような人間には伏せ字だらけでも十分以上に凄惨な描写の連続である。
多喜二が国家の横暴をこのような形で冷静に描いたことの重要性を噛み締める。今現在の時流が、当時の強圧的権力の復活をどうにも思わせる不吉さを腹の底で感じながら……。
・多喜二の「一九二八年三月十五日」収録本のアマゾンはこちら。
https://amzn.to/3PpnspY

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2024-03-19火 またやっちゃった

一昨日に続き、今日も怒りの小爆発。
でも、だいぶ限度をわきまえて爆発させられたっていう感じかな。
爆発のあとは音楽を聴きながら瞑想をして、十分かそこらで気持ちは落ち着いた。
奥さんもそのあとお寺の手伝いに行って、そのあと用事のメッセージが届いたんだけど、それ以降は普通にやり取りできたんだよね。あとは引かなかったわけ。
こんなことを繰り返して、段々落ち着いていけばなと思ってる。
うちの母と亡き親父は最後までぎゃあぎゃあやり合ってたもんでね。

2024-03-20水 矢折れ力尽きる

mitona.org というドメインを持っているのだが、そいつを今は xserver というサービスで管理している。維持費はfc2が安いのでそちらにドメインを移管しようと思った。
xserver側で解約申請し、ロックを外し、認証鍵を取得と、ここまではよかった。
fc2のアカウントを取得し、fc2ドメインで移管を申請しようとすると、ログインができない。fc2自体ではログインできるが、fc2ドメインは別サービスになっていてそっちがログインできないのである。
携帯のオペラブラウザを使ってるのが悪いのかと思い、chromeを使ったり、fire tabletでシルクブラウザを使ってみたりもするがやっぱりだめ。
矢折れ力尽きて断念した。

2024年3月・下

2024-03-21木 お寺のお昼

奥さんがヒンズー寺の手伝いをしているもので、ぼくは何にもやってないのだが、昼めしはお寺で食べさせてもらっている。
ダルとサブジとご飯とチャパティ、基本はこの4点セットである。
写真上中央のダルは、レンズ豆の汁っぽいカレーでウコン以外のスパイスはそれほど効いてないことが多い。このお寺のダルはその日によって唐辛子の効き具合が違う。今日はあまり辛くなかった。
上右のサブジは、文字通りには野菜の意味だが、野菜の煮炒め的カレーもそう呼ぶ。今日はトマトベースの瓜のサブジで汁気も多くうまかった。お寺のサブジはまあまあ辛いことが多い。
下左は無発酵小麦粉の平焼きパンでチャパティの名で知られているが、北インドなどではロティと呼ぶ。この辺りの人はチャパティは英語だと言う。
下中はパサパサのインディカ米のご飯。
下右端は真上から写してるので分かりにくいかもしれないが、金属のコップに水が入っている。行者の人たちはこのコップを大皿(ターリー)の上でぐるっと回してお浄めをしてから食事をいただく。
なお、お代わりは自由である。

大皿のインド定食

2024-03-22金 起き抜けの静澄

今朝の起き抜けの意識は、まったく静かで、どこまでも澄み渡った、と言いたくなるくらいに、今までになく落ち着いたものだった。
けれども今は夕方の4時半で、一日あれこれと日々のこまごまとしたことをなしたあとでは、そのときの静澄さをうまく思い出すことはできない。
このその日暮らしの記を書き始めたのがたまたま 3.11 で、また古くからの知人としばらく前にネットで再開した結果このところ原発事故のことを考えることにもなっていて、その他のあれやこれやも手伝い、この世の影の面からの強い圧力が身体感覚として迫ってくるようなことの多い日々を送っていた。
その重苦しい感覚を、今朝はふっと乗り越えたのだった。
メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」を読んでいることも関係がありそうで、もう8割近く読み進めたところなので、どのような形で幕が降ろされることになるのか、興味深く思っている。

2024-03-23土 フランケンシュタイン読了

メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」を読み終わった。
1818年に発表された小説であり、北極探検に向かったイギリス人が妹に宛てた手紙という形式を取っていることもあり、物語に引き込まれるというわけにはいかなかった。
けれども映画化された作品とはまったく設定が異なる点がおもしろい。優秀な若き学徒であるフランケンシュタイン青年が、功名心から怪物を創り出してしまうのだが、おぞましい怪物が極めて理性的存在として描かれているのも興味深い。
今風の物語を期待してしまうと、全体的に退屈さを感じてしまうかもしれないが、結末の場面は十分印象的なので、読んだ甲斐があったと感じた。
なお、ウィキペディアのあらすじでは結末まですべてが書かれているので、そちらは見ずに読んでみることをおすすめする。
・アマゾンで「フランケンシュタイン」を見る↓

2024-03-24日 カラマーゾフの読み始め

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読み始める。ネットから拾った英語版である。
ヴォネガットのおすすめなので、ずっと読もうと思っていて、以前少し読みかけたのだが、放置状態にあったもの。
改めて読み始めて気づいたのは、三兄弟の長男であるミーチャの生い立ちに関する記述で、その育て親のピョートル・ミウーソフがプルードンやバクーニンの知り合いという設定になっていたことである。
プルードンはアナキズムの祖とされるフランス人であり、バクーニンはその影響を受け、アナキスト革命家となったロシア人である。ミーチャの育て親であるピョートルはミーチャの母方の祖母のいとこであり、この大作の物語の流れに相応の役割を担うようなので、このあとどんな描かれ方をするのか関心をそそられる。

2024-03-25月 色彩の祭りホーリー

朝九時近くに起き、宿の部屋のベランダに出ると、顔が鮮やかな色つきの粉だらけで凄いことになってるインドの人がヒンズー寺の中庭を歩いているのが見えた。おや、とは思ったが、あまり気にせずネット遊びなどして午前中を過ごした。
寺の手伝いに行ってる奥さんから今日は昼めしはないというメッセージが来たので、昼めしどきは街に出た。
すると、空いている商店がない。街の空気が普段と違う。色の粉にまみれた人がいっぱい歩いている。
今日はインドの春祭り、ホーリーの日なのだった。
よく食べているベジ・ビリヤニの屋台が、いつもの場所でやってないので、これは食べるものがないかも、と思ったが、表通りに出るとそちらに場所を移してビリヤニ屋がやっていた。
大豆たんぱくの具が入った並サイズのベジ・ビリヤニが30ルピー、50円程度。軽めだが自分の腹にはこれで十分である。

2024-03-26火 キリストの愛

「カラマーゾフの兄弟」を順調に読んでいる。
三兄弟の生い立ちと、人間として破綻したその父の有り様が描かれたあと、三男アリョーシャの指導者である長老ゾシマが登場する。ゾシマはロシア中に評判の聞こえる有徳の僧侶なのだが、救いを求めて訪れる人々への言葉を読むと、キリスト教の愛の概念は浄土真宗の悪人正機と極めて近いものであることが分かる。
普通の人間が悪をなさずに生きることはできない。だからこそ自分が悪をなしたときにそれに気づくことが大切である。そしてそれに気づいていさえすれば、神が、阿弥陀が、この世の法則があなたを正しい道に導いてくれる。
明治の時代になって、それまでは禁じられていたキリスト教が日本社会に受け入れられるようになった理由の一つとして、浄土真宗の教えとの類似性もあるのかもしれない。

2024-03-27水 体の重さを調整する

このところ朝起きたときの体の重さがかなり強い。元を辿れば 3.11 後の帰国にまで遡る話だが、今はその話はやめにしておいて。
この不調を「いやだな」と思ってしまうと悪い影響が出る。「いやだな」という思いの前駆が来た時点で、「また無意識にいやがってるな」と捉えられるようにはなってきた。
また、起き抜けは体の重さから来る不快感も相当強いのだが、少しばかりヨガ的調整をしたり、お茶を飲んでビスケットやクラッカーをかじったりして腹を満たすと、その不快感は薄れてゆく。
体に余計な緊張があると不快感が強まるので、それに気がついたらヨガ的動作でそれを緩めてやればいいということでもある。
そんなことやら、他の何やらも加わって、昨日辺りから意識の澄み渡り具合がかなりよい感じになっている。
これを崩さずに、あるいは崩れてもまたきちんと積み上げて、佳き日々を、心地よい一瞬一瞬を味わっていきたいものだと思う。

2024-03-28木 フランケンシュタインの天使

カラマーゾフの第三巻第四章を読んでいる。
長男ミーチャが三男アリョーシャに長い語りを聞かせる場面なのだが、自分が女に溺れるどうしようもない人間であることを、酔った勢いで延々と告白するのである。
性的な欲求が強い人間というのがいて、しかもそれに振り回されることの苦しみというのは、人類にとって永遠の課題の一つなのだろうが、自分としてはそういう問題にはあまり関心がないことに気づく。
とはいえ、それは女性に関心がないからではない。
自分の場合は、女性に対しての関心が性的なものであるよりも、母親的な存在を求め、思慕の対象を求めているのだなと感じる。
そして、これは女性に限らず、男性に関しても、父親的な、あるいは兄的な、思慕の対象を自分は求めているのだ。
残念ながら、そうした母や父の理想像を一人の他者に求めることは、ほとんど見果てぬ虹の夢にすぎない。
夢を現実化するためには、一人の人間を理想化するのではなく、多くの人間の中に存在する、自分にとって大切な部分を寄木細工のように組み合わせて、言わば「フランケンシュタインの天使」を創り上げることが必要なのだろうと想像している。

2024-03-31日 今日で一区切り

一昨日は昼になすのサブジを食べたので、それと合わせて日本のなすのしぎ焼きと、中国で食べたなす炒めのうまかったことを書こうと思ったのだが、他の記事を書いてお腹がいっぱいになり、書きそびれてしまった。
そうなると昨日の分を今から書くのも面倒なので、今日の投稿に3日分まとめてしまって、 3.11 に始めたこのシリーズに一旦区切りをつけることにする。
自分の書いた日記を改めて読み返してみると、もっともらしく書けてるなと思う。
この調子で書いておいて、あとで振り返ればそれはそれでおもしろいには違いないのだが、飽きっぽい性格なので、今回はこのくらいでいいかなとも思う。
毎日はやめて、断続的に続けるか、一旦休んでまた始めるか。
どうするか分かりませんが、こういうのが読みたいとか、こういうところがおもしろかったとか、お言葉いただけたら幸いです。
[blueskyに同時投稿]

#その日暮らしの記  #エッセイ #コラム #日記 #茫洋流浪


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