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14 冥界魂沈め素描

ふと気がつくと、ひっそりと闇に沈んだ、どことも知れぬ街の夜道をわたしは歩いておりました。

人気のない細く曲がりくねった道の両側には、古びた町家がぽつぽつと並んでおるのが闇夜なのになぜかはっきりと分かり、そうして、月も星も見えぬ夜半特有の、ねっとりとした暗がりの気配が肌に絡みついてくるものですから、胸の奥がうずくような、心細い気持ちが湧き上がってきたのでございます。

怖じけづいて、思わず駆け出したくなるような心を諌めながら、わたしは一歩一歩足を進めました。

すると、どことも分からぬ遠くから、人声が聞こえてきたように思われました。

「かい……でん……は」

よくよく耳を澄ませますと確かに人の声でございます。

「かいちゅうでん……ござい……か」

道の先のほうから、そう聞こえてまいりますので、どうやらこの闇の中、何か難儀している方がいらっしゃるようだと思って、そろりそろりと進んでまいりますと、少し先の左手の町家の入り口に小さな人影が見えて、そこから声が聞こえてくるのでございました。

近づいてみますと、人影と見えたものは信楽焼のたぬきでした。

そのたぬきがとぼけた顔で目をきらりと輝かせながら、
「懐中電灯はございませんか」
と言うのです。

わたしははっとして懐を探りました。

そんなところに懐中電灯など持った覚えはないのですが、何やら小さな紙の包みが入っているのです。

取り出して確かめると「懐中でんと」と書いてあります。

「ああ、それです」

たぬきはそう言うと、わたしの手からさっとその包みを取って、今まで茶碗酒を飲んでいた茶碗の中身はぐっと空けて、その中に包みを開いて「懐中でんと」の中身を入れました。

そしてとっくりに用意してあったお湯を、たっぷりその上に注ぎます。

ああ、そうか、懐中しるこの要領で、懐中電灯もできるのだなと、わたしは納得しました。

お湯を注がれた茶碗の中では、「懐中でんと」の素が膨らみ始めて、長さ10センチほどの懐中電灯がもうじき出来上がりそうです。

でも、今どき懐中電灯でもないな、どうせスマホを持つんだから、そこにライトが付いてれば十分だ。

そう思った途端に、湯の中の懐中電灯は姿を変えて、わたしがいつも使っているシャオミのアンドロイドフォンに早変わりしました。

これなら使いやすくていい、と満足すると同時に、わたしは夢を見ていることに気がつきました。

よくよくたぬきを見ると、こいつには見覚えがあります。頭のうしろの笠の部分のてっぺんがかけており、実家においてある信楽のたぬきに間違いありません。

たぬきはもう喋りませんが、その足元をライトで照らせばよいのが分かりました。

足元には大きな穴が空いており、そこから異界に降りてゆけるのです。

急な下り坂の泥道で、足場が悪いのですが、夢だと分かっていますから、ライトで照らしさえすれば滑るように進んでいくことができます。

雄大な洞窟の中、胎内巡りの旅路です。

しばらく行くと、天井まで数十メートルもある巨大な空間に出ました。

わたしはそこで大きく呼吸をして、夢から覚めないように全身の力を抜きました。

誰かが何かを話しかけてくるのを感じます。

死者の無念の想い……、地震で亡くなった……、まだ生きていたかったのに……。

毎日投げやりで、もうそろそろこの世からおさらばしたい、などと軽々しく思っているわたしは、冥界に漂う死霊の想念に打たれて、言葉にはならない電撃が体を走るのを感じます。

その電撃が体中を走り、手足の指先までをも熱い浄気で満たし尽くし、あちこちに潜む淀んで腐った陰気をすべて焼いてゆく、その衝撃の快感に打ち震えているうちに、夢は徐々に覚めてゆきました。

次に実家に行くときには、あのたぬきに挨拶しなくちゃな。

そんなことを夢うつつに考えながら、わたしは心地よいまどろみの中、体のない意識だけの存在となって、夜が開けるまでの今しばらくの時間を、心洗われた気持ちをひとり静かに味わいながら過ごしていたのでございます。

(北インド・ハリドワル、2021-09-01)

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