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小説「天上の絵画」第二部

 アーティストマネージャーの仕事は大きく分けて三つある。
 
 一つ目は、アーティストを広めることだ。
 
 ようするに、プロモーションやPR活動などを通じて、マーケティングやブランディングの観点から、アーティストをいかにして広く周知させるかということだ。歌手であればCDの販売やライブの集客、画家であれば作品の販売など、ホームページやSNSを使ってアピールし、どうやって目標の販売数達成までもっていくのか。その過程、プロセスを考えるのがアーティストマネージャーには求められる。そのために、アーティストの作風や個性を把握し、それぞれのアーティストに合ったビジョンやPRポイント、目標までのプランを策定し、アーティストと何度も打ち合わせを重ねながら、より良い形を作り上げていく必要がある。この際注意しなければいけないのは、具体的な数値や計測可能な目標や行動などを決め、達成までのステップを明確にしておくことだ。さらに、経済や時代の流れ、流行などを意識して、都度プランの変更や改善を図っていくことだ。多くのアーティストがその場の思い付きで行動してしまうので、冷静に全体を見ながら、軌道修正していかなければならない。どれだけ作品が素晴らしくても、時代の流れや流行にそぐわなければ、容赦なく切り捨てる。そういったドライな一面も持ち合わせておく必要がある。

 二つ目は、アーティストを高めることだ。

 プロモーションやPR活動が上手く行ったとしても、アーティストの作品のクオリティがそれに見合っていなければ、全てが水の泡となってしまう。特にアートというものは、人によって評価が分かれるものだ。全ての人が認めるアート作品というのは、そうそう生まれるものではない。だからといって、作品を生み出さなければアーティストとは言えない。そして、アーティスト活動を継続していくためには、人としての価値を高めていくしか方法はない。自らが生み出した作品を通して、自分自身を磨いていく。アーティストにはこのような役割があり、中途半端な覚悟や作品では到底生き残っていくことはできない。
 アーティストマネージャーは、時には叱咤激励し、時には寄り添いながら、アーティストが作品を生み出し続けられるよう、成長を促していかなければならない。このような活動を継続していくことで、アーティストとしての価値を高め、人々の心を動かす素晴らしい作品を生み出すことができるはずだ。

 三つ目は、アーティストに専念させること。

 アーティスト活動を続けていると、作品とは関係のない雑用に追われることがある。アーティストは作品の制作やそれに直接関与しないことをやるべきではない。アーティストの本来の活動は、自身の創造力を高めて、作品を制作し表現し続けることである。しかし、制作依頼が多くなればなるほど、契約や交渉、メールや事務書類などが増えていく。アーティストマネージャーは、そういった雑用を一手に引き受け、適切に即座に対応していかなければならない。
 
 実はこの三つ目が、アーティストマネージャーとして最も重要な仕事であると、上杉弥栄子は考えている。
 これらの雑用にスピード感を持って、的確に対応していく。こういった事務処理能力の高さが不可欠だ。売れっ子になればなるほど、税務関連業務なども関わってくるので、弁護士や税理士との交渉や幅広い知識も必要となってくる。アーティストに創作を専念させるためには、様々なスキルや経験がなければならない。

 元々大手商社の経理として働いていた上杉弥栄子は、事務処理や金の管理、交渉や顧客との対応、英語、税や法律の知識など、十年のキャリアの中で様々なスキルを身につけた。これらがアーティストマネージャーとして役に立つと気がついたのは三年前。商社を退職し、自分の人生に絶望していた時だった。
 同期が続々と寿退社していく中、見合いの話を断り、キャリアを積み上げていったのには理由があった。その当時弥栄子には恋人がいた。十六歳年上の総務課の部長で、彼には妻子がいた。不倫関係は五年以上続いていた。「妻とは終わっている。息子が十八歳になったら離婚する」この言葉を信じ、後ろめたさを抱えたまま、じっと耐え待ち続けていた。
 
 だが、突如その不倫関係は終わりを迎える。きっかけは弥栄子の妊娠だった。

 妊娠したことがわかった途端、彼は態度を豹変させ一方的に別れを告げた。弥栄子に残された選択肢は堕胎しかなかった。会社にも居づらくなり退職。その時彼女を引き留める者は一人もいなかった。
 傷心の弥栄子に希望を与えたのが、テレビでたまたま目にした一枚の絵だった。世界的な有名画家の展示会が、都内の美術館で開催されることを紹介しているだけだったが、美しく鮮やかな色彩の絵に、心を奪われ実物を見てみたい衝動に駆られた。美術館で目にしたその絵は、神秘的で神々しい光を放っていた。弥栄子は何度も美術館に足を運び、閉館の時間までその絵の前から一歩も動かなかった。その絵に心を癒されたのか弥栄子の中に、少しずつ自分自身を取り戻していく感覚が芽生えていった。

(つづく)


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