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最後までしがみつけ

香港でHKFCとしての活動が始まった。憧れたスタジアム、施設そして環境。全てが整っている。選手として望んでいたことでモチベーションも上がっていた。
私はシーズン折り返しから入団したためフィットするまでに少し時間がかかったが初の公式戦で1ゴール。それから着々とゴールを量産しカップ戦とリーグ戦で合計13ゴールと結果を残した。ただ決して順調だったわけではない。それなりの苦悩があり、踠きながらも必死に食らいついた。後ろからのスライディング、足をわざとかける汚いプレー。審判の見えないところでの駆け引きは酷いものだ。日本と比べそれはもう酷く、日本のサッカーがどれだけ綺麗だったか。今思えば国を超えるだけで人種が変わるだけでプレーも異なる。

(負けたくねえな)

Fワードが飛び交う。日常茶飯事だ。サッカーは戦いだという教え。自然と尖った考えになる。怪我のリスクが高い、乱闘もある。

さぁ、どう対処する。

自分は過去にハムストリングの肉離れの経験があった。柔軟性はあったが、その強度に合う筋力が足りなかったため再発するほどにクセがついていた。外人との試合は自分以上にでかく強く僕ら、日本人は簡単に吹っ飛ばされる。クラブのトレーナーに何度も自分の体質のことや過去の怪我、自分のランニングフォームなど相談して事細かく改善していった。日々の生活の見直しであったり食事であったり、主に睡眠の質にもこだわりサッカー選手として戦える体を作るためにも妥協なく修正できる点を修正して毎試合臨んだ。香港に来て約半年になるが外傷で負った傷を数えなければ、一度も怪我すること無く折り返しのシーズンを終える事ができた。
徐々に自分のコンディションも上がりメンタリティーの部分でも大きな成長を感じる事ができた。
順調に事が進んでいく中で一度どん底に落ちてしまう期間があった。5月の初めに入り気温の急激な変化、気候も変動する時期になり世間ではコロナもしくは風邪が蔓延していた。入念に予防をしていたつもりでも少しの油断で状況は一変する。

YYLですでに優勝が決まっていたアルビオンとの試合での評価が高かったため、有名な国際大会「HK SOCCER 7S」に出場するためのオファーがあった。HKFCの選抜メンバーの1人としてトライアウト に参加する流れになり当時の自分は昔に夢にまで見た舞台に出場できることへの喜びと選抜を勝ち取るために奮闘していたが、それと同時に少し天狗になっていたのかもしれない。まさにkarmaだったのはトライアウトの2日目から風邪を引いてしまったのだ。あってはならない事態で焦る気持ちと自分の体の変化を見落としていたことへの後悔が募った。ただここでもう一つの選択肢があった。YYL SELECTである。リーグでの選抜チームをこの大会に参加することになっていたのだが、体調が優れない状態でHKFCでの練習に参加する事ができなくコーチからも早い段階から不合格を言い渡された。そしてラストチャンスでYYL SELECTのトライアウト を受けることにした。まだ万全では無く正直言うと38度の状態でトライアウト に参加して本当に意識が朦朧とする中でもやり続けた。もちろん、賛否両論はある。アスリートが体調もままならない状態で競技を続けている事。もしかすると、後遺症も残る。いのちの危険もある。セブンスは通常の11人制とは違い通常ピッチを少しだけ小さくした範囲だが7人でプレーするとなると一人一人が全ての役割を担い走り切らないといけない。つまり、フィジカルが最も重要かつ土台でありそれが熟せない選手は論外とも言われる。歩くだけでも辛い中3週間にわたってのトライアウトを乗り切り徐々に体調も回復した。死にかけたと言っていいほど息ができないし気持ちも落ちていた。何度合格のメールを待ち望んでいたか、今思えば毎日が生きている心地がしなかった。ただ最後までしがみついた。

とうとう本選メンバーが伝えられる。
“No7 Toshi”
信じられない瞬間だったし本当に心から安堵した。やっと心に溜まっていたもやもやを吐き出す事ができた。世界と戦う事ができる。

そして大会本番を迎えることになる。



次回:いよいよ「HK SOCCER 7S」開幕!
二日間の様子をより詳しく語ります。世界への挑戦の結果はいかに。

今回も読んでくださり、ありがとうございます。少し忙しく更新できずにいました。
では、次回作もよろしくお願いします。



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