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正しい努力と裏切る努力の違いとは?(対戦ゲーム)

【はじめに】

この記事は思い出語りがほとんどで、ノウハウ的なことは何もありません。
自分自身へのひとつの区切りとして書いているただの長文。そして懺悔です。6800文字あります。予めご了承下さい。

努力は報われるとは限らない。もっと言えば、努力と感じている状態はまずい。
努力を努力だと思ってる時点で、好きでやってるやつには勝てないです。

イチロー

僕は努力を努力と思ってするタイプ。

「努力は必ず報われる」と言う人も居れば、「努力は裏切る」と言う人も居る。

「実る努力と、実らない努力の違いって何だろう?」を考える。

「結果だけを基準にする」か否か

結論から言うと、努力に結果が伴うとは限らない。
しかし、努力の過程で私たちは成長している。

つまり、『努力したって、報われない』と言う人は、結果しか見ていない。

一方、『努力は報われる』と言う人は、自身の"成長"に重きを置いているのだろう。

そして、成長に重きを置くとイチローの言う通り、努力する者は好きでやっている者に敵わない。


他人が評価する「結果の価値」は劣化する

闇金ウシジマくん

「人の噂も七十五日」ということわざのとおり、世間の関心は日々薄れていく。

大会で優勝すれば瞬間的には気持ち良い経験が出来るが、世間の関心は「次の大会のチャンピオン」に向く。

他人が評価基準の成果は、あっという間に価値が劣化する。

スプラトゥーン7が発売された頃に、『20年前のスプラトゥーン3で誰が最強だったか?』など、どうでも良いこと。誰も話題にしないだろう。

人の"良い噂"も七十五日なのだ。
「名声を得るための努力」は結果がどちらに転んだとしても、"報われ続ける"ことはない。

日本一になりたくてゲームをやり込んで学んだこと

  • 名声を得るための努力(他人が評価基準)は裏切る。

  • 自分が評価基準の努力は得られるモノが必ずある。

僕は、20年前に「日本一のプレイヤーになる!」と思いながら、格闘ゲームを"努力"してプレイしていた。

(結果的には、どれだけ努力しても日本一にはほど遠いプレイヤーのままだった。)

20年前は、喉から手が出るほど欲しかった「日本一」という称号は、いまの僕にとって重要ではない。

今思い返せば、日本一になれなくて良かった。

当時は「受験生のようにありとあらゆる楽しみを我慢し、ひたすらにゲームに打ち込む・・」という生活を4年間続けていた。

『成人式、一緒に行こう!』『結婚式、来てくれない?』と誘ってくれた同級生も居たが、ゲームが下手になるのが怖くて全て断った。

「何かを得るには何かを失う」という格言があるが、当時の僕は「日本一になるには、失う量も日本一でなければならない」と信じていた。

なまじ結果が伴ってしまって「自分の努力の仕方は正しい」と思い込んだまま生活を続けていたら、今よりも確実に人生の満足度は低かっただろう。

努力の本質はウサギとカメの話

ギネスにも認定された、世界一のプロゲーマー・ウメハラさんの「ウサギとカメ」の話は、目から亀の甲羅なので、ぜひ見て欲しい。

ウサギは「他人がこれくらい頑張ったから、自分はこれくらいで良いや」と効率を求めた結果、カメに負ける。という話。

「効率の良い努力」をしようとするより、カメのように「効率の悪い努力でも、一歩一歩自分のペースで続ける」ことが大事。

しかし、現実的に「効率の良い努力」をしているウサギがカメのように進捗が遅い努力に負けることがあるのだろうか?

答えは、「ある」だ。

ここからは、ウメハラさんの動画であまり語られなかった世界線をより深く考察する。

ウサギがカメに勝ったらどうなる?

ウサギがカメに勝ったら、「次のレースはどこに向かって良いのか分からなくなる」ので、走力がカメ以下になる。

他人が決めたゴールを目的に努力して、それを達成すると「燃え尽きる。」

その一方でカメの目的は、ウサギに勝つことではない。自分の設定した目的地に着くことがモチベーションになっている。
他人に負けたとしても、お構いなしで決して歩みを止めず、次の目的地へ歩みを進める。

たとえ100回ウサギがカメに勝ったとしても、カメの歩みを止めることはできない。
101回目にカメが勝つ。

だから報われる努力とは、他人が決めたゴールを目標に頑張って走るウサギでなく、自分が決めたゴールに一歩一歩と着実に歩みを進めるカメなのだ。

「他人が先に行こうが、他人を追い越そうが、歩みを止めず自分のペースで絶えず成長し続ける」努力が報われる。

ウサギより速いカメもいる

世の中には、カメに勝つウサギも居れば、ウサギより速いペースで確実な一歩を進めるカメも居る。

僕は日本一のプレイヤーを目指してバーチャファイターというゲームを努力していたが、
その当時日本一だったプレイヤーには「頑張ればいつか勝てそう」なビジョンが見えていたのだ。
(思い上がりもいいところだが)

しかし、現在もプロゲーマーとして活躍している「ふ~ど」がその日本一のプレイヤーを倒して、世代交代が起こった時には

『コレに勝つのは、絶対に無理だ』

と思うほど、自分との圧倒的な実力差を感じた。そもそも同じゲームをプレイしているとさえも思えなかった。

反射神経が全盛期のふ~どは、ウサギより移動速度が速いカメのようなプレイヤーだった。
誰も追い付けないスピードで、見たことのないレベルまで上達していった。

彼はその後も20年間努力を続けてプロゲーマーとして第一線で活躍しているので、現在も全盛期なのだろう。

余談だが、メディアで見たことのあるグラビアアイドル・倉持由香さんと、ふ~どが結婚したのをYahoo!ニュースを見た時は仰天した。

ウサギだった自分が学んだこと

ウサギが努力して得たい結果は、「名声(他人の評価)」

努力の過程で成長しているにも関わらず、その事には無関心で「他人の評価」ばかり気にしている。

つまり、「自身の成長」の優先度が低いのだ。
言い方を変えれば、野心が強いのに向上心が低い。

野心が強いだけでは、勝てない。
勝負の世界で重要なのは向上心だ。

一時的に野心を満たす結果を手に入れると、向上心が低いから「このままで良いや」と手を抜く。

「努力=我慢」は間違い

以前の僕は、「自分がどれだけ成長出来たか?」(=どれだけやったか)ではなく
「自分がどれだけ我慢できたか?」(=やりたい事をやらなかったか)が努力のものさしになっていた。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉のとおり、我慢している時点で、それは好きなことに対する努力ではないのだ。

割と対戦ゲームは好きだったし、『勝ちたい』と思う相手にも努力すれば勝てる経験も積み重ねてきた。

しかし、我慢すれば勝てるというのは間違った成功体験だ。

本当は努力するのが嫌だけど、他人が羨ましいから我慢しながら日々努力する。

そんな間違った努力を続けると、いつの間にか「我慢比べ」のような状態になる。

『ここで手を離したら、今までの努力が全て水の泡だ』とひたすら忍耐力で現状維持している状態だった。

結局はきちんと歩いているカメに追い抜かれ、その背中が遠ざかってしまう。

有名になりたいとか、誰かに認められたいとかそういった願望が、嫌々ながらゲームをプレイする動機になってしまう。

上手くなる=変化すること

上手くなるとは、良い方向に自分が変化すること。

ウサギは努力の効率を求めるので、歩みを止める時間が長い。「良い方向」をじっくり見定めてから、努力を始める。

一方、カメは考える前に行動するタイプ。とりあえず歩いてみて、「良い方向」かどうか見定める。

3歩進んで2歩下がるといったところ。
効率の良い努力をすることでなく、常に努力をする(変化する)ことに重きを置いているのだろう。

数日前にスプラトゥーンのトッププレイヤー・メロンさんが呟いていたとおり、「勝たなきゃ」って思うと、新しいことにチャレンジしなくなり、変化が乏しくなる。

義務感みたいなものでやっていると、もっと「効率良くやりたいな」と思いがち。

それは上手くなる為の努力ではない。
やるべきは「今まで出来なかったこと(=変化すること)」なので、効率良く出来るはずがない。

例えると、目隠しした状態で徒競走しているようなものなので、
逆走してでも良いから、とりあえず「前っぽい方向」に歩みを進めるのが、効率が悪いけど最も早く進められる方法なのだろう。

仕事を辞めたら、めっちゃ強くなった

ちなみに本気で格闘ゲームをやっている期間は、フルタイムの正社員で3年働いていたのだが、

仕事を辞めたら、プレイ時間は変わらなくても3ヶ月くらいでメキメキと強くなった。

その当時は2週間に1回はどこかしらのゲームセンターで大会が開催されて、顔なじみの猛者達が集う。そんなプレイ環境だった。

1ヶ月後には働いているかもしれないので、チーム戦の大会など前もって誘われても断るようになった。
だが、モチベーションと反比例するように大会の成績や実力が向上していった。

「おいおい、こっちは死に物狂いでやってたのに、大会がどうでも良いと思った途端に上手くなるの何でなんw」って思った。

今になって思えば、仕事をやめて1日の大半が"ひま"になったおかげで、ゲームをプレイする「楽しさ」に改めて気付いたのだろう。

つまり、対戦ゲームで勝とうが負けようが、"ひま"に過ごすより圧倒的に楽しい。

"ひま"からの現実逃避、つまり"ひまつぶしを極める"のが目的となったことで、使ったことのない技を積極的に使うようになり、楽しみの幅が広がった。

その結果、攻撃パターンや防御方法に厚みが増して、勝てるようになったのだ。

正しい努力をしても、勝てない相手もいる

どれだけ"好き"なことで正しい努力を続けたとしても、勝てない相手も居る。

仕事を辞めてから僕は多少強くなった自負はあるが、ふ~どのプレイを見ると、相変わらず別ゲーをやっているようだった。
1光年くらいの実力差があった。

正しい努力をしても、最強にはなれない。
しかし、最強になる為に努力した経験は、自分の成長に繋がる「財産」となる。

我慢を続けたことの反動

バーチャファイターという格闘ゲームで日本一のプレイヤーになることは出来なかったが、
お坊さんの修行のように制限の多い生活を4年間も続けられたのは、ある意味自信になった。

「自分探し」という言葉があるが、「自分が本当に求めているモノ・コト」を見つけるのって難しいと思う。

僕はそれが見つからないから、ゲームの世界に現実逃避していた。

しかし、そのゲームで限界まで我慢を重ねた結果、『やりたい(=我慢の対象)』と思える事がたくさんあるのだと気付いた。

『夢も希望も才能もないと思っていたけど、自分にもやりたい事があったのか・・!』という発見出来たことが、ゲームを努力して良かったことかなと思う。

「『他人に評価されなくても』自分のやりたい事」を見付けられる人生は、幸せだと思う。

若い頃は、
「『他人に評価されることの中で』自分のやりたい事」を見付けようとしていた。

他人の評価に流されてもがいていたのだ。

ゲームを努力して学んだこと

努力の価値は、他人が評価するものでなく「自分がどれだけやったか」自分だけの基準で測るものだ。

結果でなく『何かにのめり込む』過程こそ、最も尊い価値があると思う。
ゲームを離れて、その事に気付いた。

イチロー・大谷翔平・藤井聡太など、憧れの存在のエピソードを聞くと
「他人に評価されることを打ち込む事が大事」と勘違いしてしまう事が多い。

しかし、彼らは他人に評価される為の薄っぺらいノウハウなど語っていない。

報われる努力とは、
「自分の為に、自分のやりたい事を打ち込む」もの。

時間を忘れて、一つの事に没頭する体験は、人生そのものが報われると言っても過言ではないだろう。

正しい努力=打ち込むこと

打ち込むとは、「熱中」「没頭」「あることにのめり込む状態」をいう。

努力という言葉の意味は、「他人に評価されることを打ち込む」という意味合いが強いように思う。

自分の好きなことにひたすら打ち込むのが、正しい努力だと思う。

子どもの頃、自分の好きなことを打ち込む時間が多かった。
周りからは評価されないので、「努力」とは思わなかったが、むしろそれが正しい努力なのだと思う。

邪念(他人の評価)に惑わされない価値観で行動する時間は、全て正解。

何だかんだ叫んだって、やりたい事をやるべきです。

正しい努力と裏切る努力の違いまとめ

人と比べてちょっと気分は良いけど、たいして幸せにはなれない

一条ゆかり

正しい努力とは、幸せになるための努力。
裏切る努力とは、ちょっと気分が良くなるだけの努力と言えるかもしれない。

引用したセリフが登場する漫画のこのシーンは、対戦ゲームにおける「努力」に通ずることが描かれている。

プライド:一条ゆかり

向上心=自分との戦い(カメ)
闘争心=他人との戦い(ウサギ)

対戦ゲームにおいて、闘争心が搔き立てられる瞬間はたくさんある。
しかし、人と戦ってばかりいると、やがて潰れる。

「他人と実力を競うため」に努力をしている人は、試合に勝っても勝負に勝てないのだ。

ウサギのように闘争心が強いと大変。
正しい努力を続ける「向上心」がないと、目的地を簡単に見失ってしまう。

だから、他人との比較である「Xパワー」が高い・低いで努力の成果や経過を図ってはならない。

自分のやりたい事を、周りの評価に流される事なく、ただひたすらに打ち込む。「真の強さ」とは、芯の強さなのだろう。

闘争心=目的、向上心=目標

「勝ちたい」という動機が、向上心によるものなのか、闘争心によるものなのかで、努力の質や価値は変わる。

向上心=自身を成長するため、勝つことが目標。
闘争心=他人の評価を手に入れるため、勝つことが目的。

勝つことが目的になっていると、目の前の勝敗に固執する。

向上心が高い人は、目的は勝ち負けの先にあるので、目の前の勝敗に固執しない。

対戦ゲームなので、もちろん勝つ為にプレイするし、負けたら誰でも悔しい思いをする。
しかし、一流プレイヤーは、目の前の勝敗に固執しない。

彼らは、闘争心が強いウサギでなく、向上心が高いカメなのだ。

彼らのように、目の前の勝敗結果でなく「自分の成長を感じる」ことを意識した方が良い。

本来の目的を見失わずに、向上心を高く持ち続ける。そうして正しい努力を続けられる人が、「ゲームが上手い」プレイヤー。

この5000時間は幸せだったかな?

僕の話に戻すと、最後に格闘ゲームをプレイして、13年が経ったある日、妻にスプラトゥーン2を買ったら、案の定僕もハマってしまったw

それからは、スプラトゥーン2・3を合わせて5000時間プレイしている。

ローラーでコロコロ塗って遊んだ最初の10時間くらいは、今までのゲーム人生でひょっとしたら一番楽しかったかもしれない。

夢にまで見た「ウデマエX」

スプラ2では、「頑張らない」ことを常に意識していた。

ゲームの仕様が格闘ゲームと似ていて、「悔しい!」と思わせる演出がとても多く、闘争心が刺激される仕様となっている。

しかし、ゲームを頑張ると20年前と変わらない。

僕がやっていた格闘ゲームに対する「努力」は、結果も伴っていないし、かと言ってゲーム自体を楽しんでもいない。間違っていた。

『同じ轍は踏まない。俺は頑張らずにウデマエXを目指すぞ!』と抗っていた。

要は、張らないことを頑張るというか、無理しない範囲で全力で頑張ってたw

スプラ2に関しては、「とても楽しかった」と自信を持って言える。だから、非常に良い取り組み方が出来たと思っている。

僕のように、ウデマエXになることを夢見たプレイヤーは多いのでしょう。
ちなみに、スプラ3のラグは夢であってほしい(笑)

目的地を明確にする

僕がスプラ3を購入した目的は、「スプラ2が楽しかったから」という理由だったように思います。

僕の周りのプレイヤーも、おそらくは「スプラトゥーン2の続編」というのが購入した動機でしょう。

つまり、惰性とも言えるキッカケで購入したので、惰性でプレイしやすい環境のように思う。
もう一度、目的を明確にした方が良い。

正しい努力をするための第一歩は、まずは目的地を明確にすることだ。

ひまつぶしを極める

僕にとっての目的地は、こんなところ。

自分の好きなことに打ち込む
=他人には評価されないことに打ち込む
=ひまつぶしを極めること

その目的地に着くための目標は「頑張らないこと」

手を抜くという意味ではなく、"力み"を取るという感じ。
力まずに取り組める目標を設定するのは、努力を努力と思わない第一歩と言えるかもしれない。

対戦ゲームは闘争心を掻き立てられやすく、頑張りすぎてしまう。
過去の僕も含めて、そんなプレイヤーはいずれ限界を迎えて対戦ゲームから離れる。

他人との競争に負けようが、目的地に着くための「確かな一歩」を進めた自分を誉めよう。

カメのように、時々上手に息抜きしながら、身を甲羅でかわしながら、打ち込んで行きましょう!

最後に、このnoteをまとめるのに参考になった記事を紹介。

【参考文献】
中学2年生が書いた作文。凄すぎんか?
報われない努力から得られるもの(PDFファイル)

ウメハラさんのウサギとカメの話。
途中でも紹介したが、ここまで読んでくれた方には絶対に刺さる内容なので、見て欲しい。
目先の結果に一喜一憂しないためのマインド(YouTube)

さくらますさんの日本一へかける情熱は、僕の何倍も強い信念がある。(ゲームとは関係ないけど)

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