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6.同族の誼(よしみ)

「調べてないってどういうことよ!」

エルは髪の毛を逆立てて怒る女性というものを初めて見た。エレナがカウンターを挟んでダビィに激しい抗議の声を上げている。後方の事務職員たちは困り顔で座っているが、トラブルに巻き込まれぬようわざと押し黙っていた。

「事件があった日に『裏の市』で買い物をした客のリストですけどね……。俺たちは新聞記者でもなければ都市庁でもないから、調べる方法が無いんですよ。それに市場の商人だって全ての客を覚えてないと思いますよ?」

みるみるエレナの深い緑色の瞳がぎい~と吊り上がる。そのまま噛みついてくれたらコントだなと、エルはそんなことまで考えてしまった。

万策果てたダビィだったが、やれやれと諦めた顔色を浮かべて、周りに聞こえない声で囁いた。

「話は変わるんですが、ちょっと耳よりな話がありましてね……。実は強盗事件のあった晩、女子寮から一人抜け出した可能性があると、巡視のピーコック先生が話していたんです」

その言葉に、あからさまに驚くエレナ。脅しが効いていると感じたダビィは追い打ちかけるように続ける。

「ピーコック先生は誰かまでは突き止められなかったらしいです。ひょっとするとその女子生徒、強盗事件に関わっていたかもしれないですね。興味はおありになりますか? もしかして、お心当たりがあるとか?」

みるみるエレナは苦虫を嚙み潰した顔になっていく。エルはちょっと哀れになってフォローの言葉も見つからない。エレナは無言で憤怒のオーラを放ちながら、大人しくカウンターから退散していった。

「ガーハッハッハ! 恐れ入ったかエレナ・ローゼンハイム! もはやお前は俺の敵ではないっ!」

卑怯な手を使ったダビィに、エルは湿った視線を投げたものの、もっと卑怯なことをしようと企んでいる自分を顧みて肌が粟立った。

「ちょっと、手洗いに行ってくる」

そう言い残して、エレナを追跡すべく図書館を抜け出した。

手洗いに行くふりをして乗馬場の横を過ぎると、男子寮の裏側で立ち止まった。エレナが再び髪の毛を逆立ててカペラに怒鳴る声が聞こえてきた。

「なによ、調べがついてないって、立派な職務怠慢だわ! なぜだか私が寮を抜けたことは知ってたくせに! あのいけ好かない豚の丸焼き、腹立つーっ!」

「まあまあ、図書館の職員さんだってお忙しいのよ」

エルは「いけ好かない豚の丸焼き」のところで思わず吹き出しそうになったが、すぐに冷静になって、そして驚いた。エレナが使った悪口は、現在もう使われない古ユーリア語だったからだ。

「あのエメラルドの瞳……。彼女もハマル神父と同じ、ユーリア人なのか」

このまま隣の女子寮に入られては、男子が追いかける余地がなくなってしまう。そうなる前に、エルはごく自然な足取りで彼女たちに近づいた。

「ちょっと失礼します。最近ここに着任した者なのですが、あまりに広くて迷子になってしまって。すみませんが、図書館の正門はどこでしょうか」

「あらあら、それは災難。私がご案内差し上げますわ」

予想通り、常識を備えた社交的なカペラが案内役を買って出た。一方のエレナは憮然とした態度を崩さず突然の来訪者を睨み据えている。計画通りの二人の反応に、エルは内心うすら笑いを浮かべた。

「ありがとうございます、お嬢様セニョリータ。こんな美しい方のお手数をおかけして申し訳ない」

「あらあら、お上手ね」

見え透いた社交辞令だがすっかり上機嫌のカペラを見て、エレナはつまらなさそうに拗ねている。どうぞご勝手に、と言わんばかりに二人と距離をとって女子寮に向かって歩いた。夕暮れの庭に二人と一人を映した影法師が長く伸び、徐々に距離ができてくる。

「はじめまして、私はエルクルドと申します」

「こちらこそ。私はカペラです。あの子はエレナと言います。私の親友であり、ルームメイトです」

ある程度の距離――走ってもすぐに追いつけないが、ぎりぎりこちらの声がエレナに届く範囲――まで離れた瞬間、エルの瞳が緑色に妖しく光った。

「そうそう、カペラさん。無粋な話で申し訳ないが、一昨日に強盗事件がありましたね」

「はい。私も初めて聞いたときは震えが止まりませんでした。なんて恐ろしい……」

「そのとおり、恐ろしいです。しかしながら……。実はちょうど、あのとき私は事件現場にいたんですよ」

え? とカペラが怯んだ瞬間、カペラのみぞおちに手をかざし、鋭い衝撃波を放つ。瞳孔が一瞬ひらき、痛みさえ感じることなく眠るように失神した彼女を柔らかく受け止め、エレナを呼んだ。

「す、すみません! 突然この方が意識を失ってしまって」

「ええ、はあ!?」

状況が理解できないエレナだったが、親友の急場とあって跳んでくる。明らかに動揺した口ぶりで「仕事のしすぎ……? 私が引っ張り回したせいかしら……?」と呟いている。

「とにかく、あの小屋の裏へ」

それとなく人気の少ない小屋に誘導し、ぐったりしたカペラを壁に寄せて休ませた。

「すぐ看護のシスターを呼んできます」

踵を返すエレナに、エルは氷柱のごとく冷ややかな声で答えた。

「その必要はない」

エレナの色白な左手首の関節が玩具のように捻じ曲げられる。腕をもがれたような激痛が全身に走った刹那、無防備なくるぶしを外側から払われ、いとも簡単に地面に倒れこんだ。エレナが状況を理解する隙も与えず、エルは仰向けの彼女に馬乗りになって喉仏に強く爪を立てた。

「命が惜しければ、これ以上の詮索はするな」

どくとん、どくとん。

エルの心音が、エレナのそれと重なって奇妙な拍を刻む。

顔を引き攣らせながらも、無言を突き通すエレナに、喉をさらに圧迫させる。気管を狭められた彼女は苦悶の表情を滲ませる。

「あと1センチ深く押さえれば、お前は死ぬ。……いいか、これは軍人の情けだ。あの事件について詮索はせず、このことを口外しないと誓えば、お前を解放する」

「……。人殺しの言うことが信じられると思って?」

エルを睨み上げる彼女の言葉に、指先が微かに揺れ動いた。エルは生殺与奪の権利を握っており、エレナがなんと言おうが意のままに操れる。しかし、エレナの毅然とした態度に若干、心が乱れた。

「もし私が手を引くと言ったとして、その後も私が約束を守る保証はないではありませんか」

「お前を監視し続ける。俺を都市庁に連れていくような真似をした瞬間、お前を殺す」

エレナは静かに、エルの右腕をつかんだ。骨格は細いのに、筋肉は巨木のようにびくともしない。エルの瞳に僅かな緑色が混じっていることに気づき、彼女は言った。

「あなたもユーリア人ならば、きっと同族の私を殺せない。そして、一昨日の事件のときだって、あなたは誰も殺さなかった。そのことが私には不可解だった。必ず訳があるのだろうと考えたのよ」

「……」

当たっている。自分と初めて会い、命すら奪おうとした対象が、エルクルド・エーフォイという人間の本質を見事に理解している。

エルは腕の力を抜き、こう宣言した。

「エレナ、お前を解放しよう。その代わり、お前はもう強盗事件には関わるな。いいか、お前のために言ってるんだぞ。下手に野次馬根性を出されると命がいくつあっても足らないからな」

エレナはなおも言いたげな様子だったが、大きな瞳を閉じて首肯した。

「あ、そ。わかったわ。でも、私のことはさておいて」

エレナは無遠慮にエルの肩を小突いた。

「カペラを巻き込んだこと、絶対に許さないから。全力で償いなさい」

(つづく)


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