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辛いときは逃げてもいい

学校で勉強する意味が分からない、働くのが辛い、そういう方は今すぐ逃げてみるのもアリではないかと思う。
「親に怒られるから勉強する」
「世間体があるから働く」
僕はこういうのは大嫌いだ。
それは自分ではなくて他人の価値観に支配されているから。

僕は受験勉強から逃げ、ふつうの会社員生活から逃げ、恋愛から逃げ、東京から田舎へ逃げて今に至るが、なんやかんやで現状は幸せだ。
高校卒業後は3年間ニート生活だったし、大学はドイツ語学科だったし、就活もしなかったし、最初の会社にはゲーム友達のコネで入ったし、そこをやめて鹿児島へ移り親族の経営する会社に入ったし、最近は毎日引きこもりに近い感じで絵を描いているし、大型バイクに乗っている。
いわゆる世間一般の「ふつう」という言葉で表されるのとはまるで逆の人生を送ってきた「ふつうじゃない」人間だが案外なんとかなっている。

僕は「ふつう」という言葉はよく分からないし、正直嫌いだ。
人は誰もが違う場所で生まれ、違う本を読んで、違う校歌を歌って、違う食べ物を食べて、違う顔を持って生きている。
なのに「ふつう」なんて曖昧な枠で一括りにされて、それに甘んじるのは違うんじゃないかと思う。
考えてみてほしい。
将来、あなたがなりたいあなたは本当に「ふつう」の大人だろうか。
誰もが「自分はすごい人間になりたい」とか「人から認められたい」と思っているはず。
1億円稼ぎたい、バズりたい、モテたい。
そのためには「ふつう」の人間ではなく、人と違う何かが必要ではないだろうか。
「ふつう」という言葉を辞書で引くと、多数派である、ありふれている、ほかと差がない、という意味が出てくる。
その「ふつう」の人間にどの程度の価値があるのだろう。

父親には小さい頃から
「最低でもMARCHぐらいの大学を卒業してふつうの会社で働いて結婚して子供を作るのがふつう」
「絵を描いたりゲームをしたりするのは時間の無駄、ふつうの趣味をしろ」
などと散々偏った価値観を押し付けられて嫌な思いをしてきた。
学校は学校で、中学生のときにはクラスで自作小説の原稿を全員の前で読み上げさせられるという屈辱を味わったり、絵を描くやつは変態、オタクは犯罪者予備軍などとそしりを受け続けてきた。
今の僕があるのは、たぶんその反動だろう。

僕は絵描きとしてもそこそこ有名になりたいし、物語を作ってアニメ化したいと思っている。
毎日部屋にこもって絵を描いて、本を読んで小説の書き方だとか、漫画の描き方だとか、アニメの作り方だとかを勉強している。
それは誰もが想像する「ふつう」とは真逆のことをしている人間だろう。
でも僕はそういう人間でありたい。
ふつうの勉強は好きじゃないし、ふつうの仕事も好きじゃない。
だから逃げてきた。
でも、意外となんとかなっている。楽しく生きている。

勉強が楽しくないのは将来の自分像に直結していないように感じるからだったり、仕事が楽しくないのは誰かの役に立てている実感がないからだったりするものだが、していて辛いことは心にも体にもよくない。
こんな生活を続けていて将来どうなっちゃうんだろう、とか、自分はここにいていいのだろうか、とか、あれもこれもやりたかったけど結局できなかったな、とか悩んでいる方は、今からでも自分がなりたい未来の姿を思い浮かべて、それにつながりそうなことを始めてみてはいかがだろう。
楽しい未来を想像して、そこにつながるものに打ち込むだけで、人生はもっと生きやすくなると思う。
辛いことではなく、あなたが楽しいと感じることを始めてみたり、あなたがなりたい姿に向かって、そのための勉強をしたりしてみてほしい。
他人の価値観という束縛から逃げ出せ。
逃げたって案外なんとかなる。

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