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頭をすっきりさせる3つの行動

現代に生まれて本当に幸せだと思う。
やりたいことができたらすぐに実行できる環境もあるし、欲しいものが配達で翌日には届くし、アプリやブラウザでキーワードを入力すれば欲しい情報が3秒後には手に入る。
が、その一方で、なんだか色々なことを見たり試したりしているのに、気持ちがすぐれない、なんとなく頭がもやもやしたような感覚はないだろうか。
慢性的に眠いとか、何かをするのは億劫だとか、人付き合いが辛いとか、そんなふうに感じている原因は、もしかしたら「頭がすっきりしていない」からかもしれない。
頭がすっきりした感覚と言われてもピンと来ない方は、そもそもすっきりした状態がどういう感じなのかも分からずに過ごしている場合が多い印象だ。事実、僕もその感覚は最近まで分からなかった。
最近僕が実践してみて、すっきりした感覚を徐々にだが確実に得られるようになったと感じる行動が3つある。
この記事を読んでいるあなたも、自分の普段の行動と照らし合わせて一考してみていただきたい。

逆に「私はいつも頭すっきりしてるから別にいいや」と思われる方はこの記事を今すぐ閉じ、そのすっきりした頭を別のことに活用してほしい。さようなら。

1.自分に必要のない情報を遮断する

スマホをワンタップする、あるいはPCのブックマークをクリックするだけでニュースやSNSに簡単にアクセスできる便利な時代になった。一方で、過剰ともいえる情報量を瞬間的に受け取って脳はパンクしている。
芸能人の誰それが浮気をしたとか、大きな火災で人が亡くなったとか、さっき投稿した絵にフォロワーさんがいいねをしてくれたとか、話題の映画にまつわる新作グッズが発表されたとか、枚挙にいとまがない。
それらの情報は、そもそも今のあなたにとって必要なものであろうか。
芸能人の誰それが浮気をしようが、交通事故を起こそうが、謝罪をしようが、あなたには何も影響がないのではないだろうか。
大きな火災があったのは不幸だし、火の元には用心しないといけないと意識することにはなるが、その火災はあなたに直接関係しているだろうか。
実際にはどうでもいい情報ばかりだろう。
情報はあなたの脳を圧迫する。どうでもいい情報が多く入ってくることで、本来自分にとって大切な情報が入る隙間は小さくなり、見落とされてしまって後で大変なことになる、といった事態も起こりうる。

僕にとってはニュースもSNSの通知も他人の意見もどうでもいい。
たとえ自分のライフワークであるイラストに関することでも、自分にとって必要がないと思えば、いいねもブックマークもしないし、誰もが認める優れたイラストレーターさんであっても「画風が好きくない」「今は興味ない」と思えばフォローしない。
あの人が僕のイラストにいいねをつけてくれたのは嬉しいし感謝もしているが、そのいいねの通知を見た後で僕にどんな変化が起こるだろうか。(最終的に1万いいねの絵と10いいねの絵を比べて、画風の方向性を探ることはできるが)
最近はツイッターのアプリをスマホから削除したことで、人からの評価を気にすることも少なくなったし、ずっとツイッターに張り付いてしまうということもなくなり、かなりの時間の節約にもなった。そしてよりクリエイティブな時間に充てられるようになった。
僕の約1400グラムの小さな脳みそに入れられる情報は限られていると自覚して、情報を取捨選択したいものである。

2.使わないものを捨てる

長年使っていないものや、もう使う予定のないものは思い切って捨ててしまおう。
物は存在するだけで家の中のスペースを取る。
つまり、あなたはあなた自身だけでなく、持っている物のためにも家賃を払っていることになる。
しかも物は物理空間に存在するだけでなく、あなたの脳内にも「これを持っているな、ここに保管しているな」という情報として存在している。
1つめでも触れたように、情報は脳を圧迫する。所持している物が多ければ多いほど、情報も増えて脳の負担になる。
たとえば「このイヤホン5000円もしたから捨てるのもったいないな、でも売るのも面倒くさいし、いつか使うかもしれないから残しておこう」みたいな物は真っ先に捨てたほうがいい。
引き出しの奥にしまい込んで一時的に忘れることはできるかもしれない。
その後、引き出しを開けて使わないイヤホンがコンニチハするたび「そういえば……でも面倒だしいつか使うかもしれないからこのまま……」と、そっ閉じするという無限ループ。
想像してほしい。いつか使うかも、いつか使うかも、その「いつか」とは一体いつだろう。
近い将来で使う予定がなさそうなものは、おそらく未来永劫使う予定はない。つまり自分にとっては必要のない物だ。
もちろん、絵画やフィギュアといった飾るためにあるものや、将来的に価値が上がったら売る予定のある限定グッズといったものを残しておくのは構わない。自分にとって必要性があれば、だが。

読みもしない本、組み立てもしないプラモ、飲むことのないもらいものの茶葉、こういったものは「価値があるから捨てないほうがいい」と人に言われて残してしまうこともあるだろうが、あくまで『「価値がある」と言っている人にとって価値がある』というだけで、僕にとって価値があるかどうかは僕が決めることなのだ。
そろそろ山のように積まれたプラモをどうにか組み立てていくか、人に譲るか、捨てるかする時期だろう。

3.何もしない時間を作る

「何もしない」時間を意識的に作ってみていただきたい。
本当にただ何もしない時間を、5分でも、15分でもいい、一日のどこかで意識的に作ってみるのだ。
椅子に座ってぼーっとするだけ。
寝転んでもいい。
なんなら目を閉じて、視界に入ってくる情報を遮断してしまうのも一助になる。視覚は脳に入ってくる外的な情報のおよそ8割を占めるという。
さらに耳栓をして雑音を消すのもいい。
僕のやり方は、暗くした部屋で、あぐらをかいて楽な姿勢を取り、ヘッドホンで耳を塞いで(ただし何も聴かない)、目を閉じて、5分ぐらい何も考えないでぼーっとするようにしている。
世間ではこれを「瞑想」と呼ぶらしい。
僕はかつて瞑想を宗教的なものだという偏見を抱えて忌避していたが「ただぼーっとするだけで頭がすっきりさせる効果のある行動である」と知ってからはほぼ毎日実践している。

「何もしない=何もできない無駄な時間」という考えが以前の僕にはあった。
食事の時間、待ち合わせの時間、銀行の待ちの時間などはクリエイティブなことが何もできない、まったくの無駄だと思っていた。その「無駄」な時間で何かをしなければならない、と思って読書のアプリを開いたり、メールを返したり、情報を調べたりこまごまとした用件を差し込んだ。
何もできなくなる睡眠時間は特に嫌いだったし、今も睡眠の必要ない体になれたらいいなとつい考えてしまう。

が、実際は真逆だ。
何もしていない時間、本当に何もしていないかというと、そんなことはない。
人間には顕在意識(≒意識)と潜在意識(≒無意識)という2種類の思考状態が存在していて、ほとんどの人は顕在意識しか「意識」することはないだろう。潜んでいるものはなかなか「意識」しにくい。
そのうちの後者、潜在意識は「何もしていない時間」に強く活性化する。
睡眠時間に夢を見て情報を整理している、というのもそのうちの一つ。
お風呂に入ったり、トイレに入ったり、車を運転したりしているときに何かを閃いたりするのもそのうちの一つ。
人は「何も考えていないとき」に閃きや気づきを得ることがある。
古代ギリシアの数学者アルキメデスも入浴時にひとつの原理を発見し「エウレカ!(分かった!)」と叫んで風呂を飛び出したという。

空白時間の重要性を説いた『WHITE SPACE』の著者ジュリエット・ファントは、かつてキャンプで火を起こそうとしたときに、インストラクターに言われたとおりに材木を組み上げたはずなのにまったく火が着かず、戻ってきた夫が材木を組み直してすぐに火を着けることができたのを見て間違いに気づいたという。
「木を燃やすのに必要な『酸素を入れる空間』までも材木で埋めてしまっていた」ことに。

絵を描いている間は、確かにクリエイティブになれている実感はあるし、実際に作品が完成に向かって進んでいくから楽しいものだが、本当にクリエイティブになれる瞬間、例えば「これとこれを組み合わせたら面白いものができるぞ」というアイディアは、椅子に座ってぼーっとしているときに思いついたり、ジムで運動しているときに思いついたりすることが多かった。
一方、机の上でうんうん唸りながらアイディアをひねり出そうと格闘してもあまり進展がないことが多かった。

常に情報を取り入れ続けなければ時代に追いつけない、流行に乗らなければ孤独になってしまう、この商品を買えばもっと便利になるが買わないと時間が無駄になる、そんなふうに煽られてついつい色々なものに手を出してしまう。
だからこそ一歩立ち止まって考えておきたい。
その情報は本当に取り入れる必要があるのか否か。頭のスペースを圧迫していないか。
その商品を買ったり手元に置いたりしておく必要があるのか否か。部屋のスペースを圧迫していないか。
あらゆるものには相応の「余白」が必要なのだ。
この記事で述べた3つのことは、すべて関連している。
今でも時々、何もしていない時間を無駄だと感じてしまう過去の自分の精神状態が戻ってくることがあるから僕も気を付けていこうと思う。
スペースが確保できれば、頭もすっきりする。
あなたにはスペースが足りているだろうか。

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