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【お絵描き論】自分が描きたいように描け

絵を描けば描くほど「絵は難しい」と思う。
何を描いたらいいのか、どう描いたらいいのか……毎日悩んで迷っている。
それでも突き詰めて考えた結論はやはり

「自分が描きたいように描け」

である。
今回はその考えに至った要因を3つ述べたい。

○要因1:AIの発達

AIに頼むと短時間・高水準の絵が出てくる。まるで絵の自販機。
数行の命令文、数秒の時間で一流イラストレーターの絵に匹敵するクオリティのものが出てくるのだから、同じ水準で勝負をしようとするのは人間では不可能だろう。
驚くべき技術革新だ。正直嫉妬を通り越して恐怖すら感じる。絵描きの出番はもうないのではないか、と。
でもAIにお願いしても完全に自分が描きたいものが出てくるわけではない。
細かいデザインが違ったり、自分の描きたい絵柄ではなくあくまで「学習された絵柄」のものが出てくる。
AIは市場で流行っている最高クオリティの絵を中心に学習して(させられて)いるから、マイナーだったり古かったり独特だったりするものは出力しにくい。
いわゆるヘタウマみたいな味のある絵も同様の理由で出力しにくい。
デザインが自分の中で決まっている自作キャラも学習データが蓄積しにくいため出力しにくい。
別に誰が描いても似たような結果が出てくるものであればAIに任せてしまうのが早いし楽だろう。
でもAIでは描けない絵というものはあるのだから、自分がそういう絵を描きたいならAIのことは無視して描きたいように描けばいいのだ。

○要因2:好き嫌い

どんな著名なイラストレーターが渾身の力を込めて描いた絵であっても嫌いと言う人はいるし、どんな素人が描いた雑な絵でも好きになる人はいる。
流行りの絵は好まれやすいから流行っていると言えるが、流行りの絵そのものが嫌いという人もいる(僕なんか特にそう)。
僕がイマイチ上手くいかなかった、失敗したと思っても思わぬプチバズに見舞われる絵もあれば、気合を入れて描いても全然見向きもされないということもある。
自分が「好き」と思った絵が他人にとっての「嫌い」だったり、その逆だったりすることもよくある。
「こういう絵が良いという答え」などというものは存在しない。
僕はかなり名誉欲(あるいは承認欲求)に左右されている人間だから「どう描いたら多くの人から評価してもらえるだろう」という意識はどうしても残ってしまう。
そこで優れた絵(とされているもの)や流行の絵にも目を向けてみるが、やはりどうにも「ここが嫌い」といったポイントは出てくる。
その「嫌い」の感情が乗ったものを学習しようと思ってもなかなか技術として定着しない。
一方で「ここが好き」と思ったものはすぐに身に着くし、描いていて気持ちがいい。
見る側だけでなく描く側の好き嫌いという感情も最終的な絵の良し悪しに出てくるのではないか、という実感がある。
何より「好き」を大事にしなければ絵を描くこと自体が辛くなる。
努力しても絵がなかなか伸びない、絵が楽しくない、やめよう、そんなふうに筆を置いてしまう人も見かける。
超一流の人気作家でさえそういうことが起こりうるのだから、好き嫌いは無視できる要因ではないと思う。
好きなものを好きに描き続けること、つまり描きたいように描くことが肝要だ。

○要因3:岡本太郎「流行は文字通り流れて行く」

今流行している絵は、社会の風潮だったり経済だったり人々の心理状態だったりといったものに左右されがちだ。
その流行に乗るというのも戦略的には誤りではないのだが、長期的には続きにくい。
流行の絵を追うことが苦手な人(特に顕著なのが僕)は別に流行を知る必要さえないと思う。
結局、その時々で流行っているものが自分の嫌いなものならずっと嫌いな絵を見続けたり描き続けたりしなければならないし、たまたま巡ってきた別の流行が自分の好きなものであってもその流行は文字通り流れて行く。続かない。
さらに流行の絵柄というものはレッドオーシャン化しやすい。
皆が同じように成功しようと群がってくるから競争相手も多く取れるパイは少なくなる。
皆が同じように流行の絵柄を追えば均質化されて「あー最近こういう絵柄多いよね」という程度で見向きもされなくなる危険もある。
僕の場合、三輪士郎絵師が2013年頃に描いた絵(7thDRAGON2020の絵)が一番好きで、正直今の流行からはかけ離れているのは事実だ。
むしろ今風の流行の絵柄に寄せられたりした絵は正直心を打たないと感じる。大好きな絵師であってもそうなのだから、好きでない絵師の絵なら尚更だろう。
流行を追うことで絵が好きになったり嫌いになったりするぐらいなら、流行など知る必要はない。どうせ流れて行くものだから。
たまたま見かけた「これだ!」と思う、自分の心に刺さる何かを大事にする方がよっぽどいい。
流行のものが心に刺さったのならそれを追えばいい。
自分に刺さったものであれば見ていても描いていても楽しい。そういうものは最終的に流行に左右されない。
結局、描きたいように描くのが最強ということだ。

以上3つの要因により絵は「自分が描きたいように描け」ということを結論としたい。
その結果誰からも見向きもされないこともあるかもしれない。
で、それがなんだというのか。
一次的な承認欲求(あるいは名誉欲)を満たすことが人生にとってどれほど意味があるのだろう。
自分が一生をかけて「こういう絵が好きなんだ」と言える絵が身の周りにあることの方が、よく分からない誰かから承認されるよりよっぽど幸せではないだろうか。
僕は2013年頃の三輪士郎絵師の絵が好き。そういう自分の心に刺さったものを再現したい。
絵を楽しく描くには「描きたいように描く」のが一番いい、そう思って自分が好きな絵を描いている。

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