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「知ってる」という言葉で逃げる人生は今日でおしまい

「あーそれ聞いたことある」
「もう知ってるよそれ」
こんなセリフを、口には出さないまでも、つい思ってしまうことがある。
色々なYouTuberの諸先輩方が
「こういうのがおススメ!」
「これが真理」
と教えてくださる色々な知識、知見、知恵、そういったものを見聞きして取り入れると、同じことに触れた瞬間『知ってる知ってる病』の発作が出る。「知ってる」と思うところまでは当然の反応。
しかし「知ってる、だから聞かなくていいや」とか「知ってる、でも自分には関係ない」という発想につながってしまうと、たぶん成長できなくなる。

絵を描く人の間では「模写をすると絵が上手くなる」というのは常識レベルで浸透している知識のように思う。
どのイラストレーターさんも漫画家さんも「模写はいいぞ」とお勧めしてくる。異口同音。

知ってる。
なのに最近の僕は模写がほとんどできていない。
知っているのに、実践していない。

以前は全体的あるいは部分的に模写をしていた。そしてその模写をしていた時期は、上手さが瞬間的に伸びたときが何度かあったように思う。
最近の僕は画力は上がったかもしれないが、絵作りの部分で迷走しているという実感があり「もしかして模写が必要なのだろうか」という懸念が頭をよぎってきたため、こうしてキーボードを叩いている。

模写に限らず、知識や知恵はただ知っているだけという状態では意味をなさない。
実践し、習慣化し、息をするように自然に行えるようになり、自分のスキルとして定着することこそが本当の価値なのだ。
実行せずに知識をため込むだけの行為は、いわばどんどん食べて脂肪を蓄えていくだけでまったく運動をしない無精者と同じだ。
食べたら運動して筋肉に変え、その筋肉を維持するためにまた食べる、食べてまた筋肉を鍛える、というサイクルに入らなければ、ただの脂肪だ。
脂肪は寒さや衝撃から身を守る鎧の役割を果たすものだが、筋肉に比べたら貧弱で、ときに厄介ものですらある。
ため込み過ぎた脂肪は運動どころか、日常生活や生命活動にすら悪影響を及ぼしうる。

人間はつい楽な方に流れてしまう。
人間に限らないかもしれない。あらゆる生物は数万年の進化の過程で「効率の良さ」を追い求めてきた。
生存のため、自分の生活圏に点在する限られたエネルギーを効率的に取り入れ、効率的に使う必要があったからだ。
僕が模写から逃げてしまうのには「効率が悪い」と感じてしまう心理が根底にあるように思う。
「模写は自分の作品として発表できない」
「模写の間は自分の作品が描けない」
だから効率が悪いのだと感じてしまっている。

ここを乗り越えるにはどうすればよいか。
簡単だ、習慣化してしまえばいい。
一日一回、何らかのお手本を見て、ほんとうにごく一部でもいいから自分にとって足りていないと感じる点を見つけて、真似をする。
翌日になったら、また同じことをする。
慣れてきたら、少しだけ描く範囲を広げたり、段階を増やしてみたりする。
筋トレと同じように、軽い負荷から徐々に強度を上げていくイメージ。
どんなに苦手なものでも、効率の悪いものでも、習慣化することで超えていくことができる。
それは「どんなに描きたくない気分でも一分間は筆を取って何か描く」ことを実践してきた結果、毎日の自由時間の大半を「絵を描くこと」に充てるまでにできた自分自身がよく理解している。
ならば次は「どんなに描きたくない気分でも一分間は筆を取って何か模写する」ことを始めればいい。

さて、今日は何を模写してみようか。

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