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紫本05 戦闘の非エリート

 他の生き物と戦闘能力を比較してみると、私たち人間は、遥かに体格差のある小さな生き物に対しても有利とはいえない面があることが見えてきました。そもそも人間の身体は、素手素足の戦闘向きではありません。その理由をフィジカル面から考えてみましょう。

1 .武器となる牙がない

 人間に近い霊長類であるチンパンジーやボノボ、ゴリラには鋭く尖った犬歯(牙)があります。チンパンジーは、他の種類のサルを襲ってしばしば牙で食い殺すことがあります。子ザルを食う場合は、頭から食らいついて脳を食し、大人ザルを食う場合は胴体から食べるという観察も報告されており、

「(肉食ならぬ)脳食が人類の脳や中枢神経系の進化にも影響したのではないか」

という仮説も注目を集めています。この犬歯は同族同士での争いでも使用され、チンパンジーはボス争いにおいて、犬歯を使って相手を殺してしまうことさえもあります。

 しかし、人間は犬歯が平らであるため、あくまで「人体の中では」硬く、強力な武器ではあるものの、他の霊長類や哺乳類と比べると武器としては弱く、食べ物を食いちぎる用途にかなり傾いていると考えられます。人間が歯を使って他の生き物を食べることはあっても、歯で仕留めるために使うことはほとんどありません。

 直立二足歩行を獲得し、両手がフリーとなった人間は、石器や槍や刀といった武器をつくり、身体を動かしてそれらを使う能力を獲得してきたため、「対外的武器としての牙」が退化してしまったと考えられています。


2 .弱点をさらしている

 命の奪い合いレベルの戦闘ということになれば、動物も本能的に相手の弱点を狙い、自分が負けるリスクの低い選択をします。

 ライオンがシマウマを倒す時に「シッポだ けを噛んで振り回す」「いちばん体力的に優れたシマウマの個体をあえて狙う」のような独自の戦闘美学を掲げたりしません。

 逃げ遅れたシマウマを狙い、後ろ足で蹴られて負傷するリスクを避け、背に捕まって首に噛みついて一瞬で仕留めようとします。逃げるシマウマも命懸けですが、ライオンもシマウマを仕留めなければ餓死する運命が待っていますので、両者共に生死をかけたギリギリの攻防であり、狩りや戦闘において、野生動物たちは実に合理的な戦略をとるのです。

 トラ、ライオン、オオカミといった動物は、主武器である牙や前足が最前面に、内臓は下面に、浅層にある大血管は背中側ではなく腹側に、生殖器は後面にあります。武器が前、弱点が下方や後方に位置しているわけですが、人間は立位の時点で弱点である「内臓」「生殖器」そして総頸動脈や大腿動脈といった「浅層にある大血管」を外敵に向けてしまっています。

 動物から見て人間は「高さ」はあるものの、弱点の塊がジャングルを歩いているようなものです。

3 .動きが遅い

ネコとの比較しかり、人間は他の四足歩行動物に比べて走るスピードが致命的に遅いです。水中でも同様で、世界トップレベルの男子競泳選手でもスピードは時速9キロメートル。、一般の人の泳ぐスピードは時速4キロメートルほどです。

 映画『ジョーズ』のモデルともなったホホジロザメが狩りを行う時のスピードは時速40キロメートルです。サーフィンや海水浴での遊泳中にも犠牲者が出ており、泳いで逃げ切るのはとても不可能です。

 ちなみに魚類の中で最も遅いのはタツノオトシゴです。1時間での移動距離は150センチメートル。あまりの遅さについ守ってあげたくなるくらいのスピードです。

以上のような身体特性上の理由から、人間は「強いとは言えない戦闘非エリート」であり、ある意味、フィジカル面では弱い部類と言ってもいいでしょう。

データの収集と分析を行うグループYouGov America が「もし1対1で動物に遭遇したら勝てるかどうか?」をアメリカ人を対象に調査しました。

すると、69%の人が「ネコに勝てる」と考えており、15%がキングコブラに(主な敗因:猛毒注入)、14%がカンガルーに(キックで内臓破裂)、12%がオオカミに(あっさり噛み殺される)、8%がゾウに(ドン、ぶにゅぅ~、踏まれて終わり)、同じく8%がライオンに(前足の一撃だけで簡単に首が飛ぶ)、勝てる」と答えています。

ライオン、ゾウあたりになると現実的にはほとんど無理でしょう。でも、「勝てると思っている人がいる」というのもまた、人間という種族らしさでもあります。

 自然界は「喰うか、喰われるか」の弱肉強食の世界です。捕まってしまえば、餌食になるしかない。勝負の世界ではなく、生死の世界です。厳しい掟の中で「弱き生き物」がサバイヴするには「逃げる」「見つからない」「捕まらない」「(群れをなして)襲われない」などがあります。

 もちろん命や子ども、卵を守るために命懸けで天敵と戦って、弱きものが逃げ切れる、守り切れる例はあります。窮鼠猫を噛むのことわざ通り、ライオンに襲われたシマウマが後ろ足で蹴飛ばして撃退する、といった例もあるわけですが、少なくとも命を守ることが目的であり、「天敵を喰おう」「敵を上回ろう」としているわけではないでしょう。

 ところが我々人間は、弱肉強食の「肉」となる運命に逆らい続けました。フィジカルが弱いのであれば、武器や防具、砦、移動手段、戦闘手段、情報手段などを発達させて、フィジカルを遥かに超える戦闘能力を手にする。大型動物を沼地や崖、落とし穴に誘い込む戦略を企て、実力を発揮させない状況に持ち込む。イエネコの祖先であるリビアヤマネコや、イヌの祖先であるタイリクオオカミの亜種を飼いならし、自分たちの共同体に取り込む。そのような積み重ねの結果、食物連鎖のピラミッドから抜け、最高峰に位置する存在となりました。

 その功罪は数多あるとはいえ、事実、人間くらい多種多様な動植物を食材として口 にする種はいません。致死的毒薬である青酸カリの1000倍の猛毒、テトロドトキシンをもつフグでさえ、調理法や養殖法を確立して食してしまうのですから(しかも 美味しい!)。


 きっと他の種族から見たら、「アイツらフグまで食べてるぞ、俺たちも食べられるかも」といちばん怖ろしがられる存在なのかもしれないですね。戦闘の非エリートだった私たち人間は、食物連鎖そのものにも勝利した種族と言えるでしょう。  (『強さの磨き方』第1章 強さと人間理解より)

PS 弱さは強さの源泉なり

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