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「理解ある彼くん」にナーバスなオタクと、それに伴う理解に知性のいらない作品たち


喉が焼けるほど弱者に甘い

最近自分のタイムラインに喉が焼けるくらい甘ったるいイラスト、漫画が流れてくることが多い。ここでいう甘ったるい、というのは原義通りではない。「オタクくん」の現状維持を促すかのような、何も人間の内面的成長を産まないような堕落、といった意味に近い。その流れてくる作品群というのはソシャゲの二次創作であったりもするし、完全にオリジナルのものであったりもする。かなり「オタクくん」からの人気を博しており、シリーズ化しているものもある。
一次創作、二次創作の別を問わず、共通してその作品に登場する女性は皆特徴として、主人公、またはそれに準ずる立ち位置の男性を好いている(または現実ではあり得ないくらいのスピード、きっかけで好きになっていく)。主人公の男性なしでは生きられない、というメンヘラ的な状態になり、凶行に走るというもの。
作品の例を挙げてみよう。
Ex.1)両親から虐待を受けている女子高生の同級生に優しく接し、その同級生は主人公に回を追うごとにどんどん好意を募らせていき、付き合ってハッピーエンド。

虐待を受けているのに、そう簡単に人を信じれるわけがないだろう。あり得ない。
仮に、そういうパターンが現実にも起こりうるものとしよう。だが、自分がこれを「甘ったるい」と表現するのは、これがあたかも「画面の前の皆さん!自己投影してね!」みたいな体で出てくるからだ。目の前の健全な精神の持ち主ともろくに付き合えず匿名のインターネットで傷を舐め合っているようなディスコミュニケーション人間が、どうして虐待で心を病んだ繊細な人間とうまく付き合えると思うのか?

Ex.2)主人公の男が、記憶喪失になり、目覚めて見たら、今まで自分に冷酷に接してきた周囲の女性(兄妹、同級生など)が恥じらいを覚えている。なんと主人公を好きだったのだ!

           書いていて発狂しそうになる

特定の作品を名指しするわけではないが、「ギャルだが〇〇」「地雷系だが〇〇」のような作品もこれらの類縁種と見做している(〇〇には育ちがいいだの人助けをするだの道徳的内容を入れればokだ)。何故なら、オタクにとっては、ギャルは自分にない攻撃性(しばしば、自分に向く)を兼ね備えた存在である事が多く、地雷系もそれに準ずる属性の人間だろう。また地雷系の場合、自分のやりたいように生きる、という信条が見て取れるが、これは反抗期が遅れてやってくるオタクくんには受け入れ難いものだ。そういった属性の女性に、道徳的、倫理的という属性を足し、いわば牙を抜くことで自分らでも楽しめる風合いに持ってくる底の浅さが見て取れる。さながらコーヒーをブラックで飲めないので牛乳を足すガキのようだ。

また、ソシャゲの二次創作でそう言ったものに分類されるものも多い。ブルーアーカイブ、アイドルマスター、ウマ娘などの、「先生」「トレーナー」「プロデューサー」といった女性に対する権威を持つ人間として、操作するゲームでこれは顕著に多いだろう。創作作品の設定自体は一次創作のものと大差ない、リアリティを恐ろしく欠くものだ。本来はそういう創作作品が全てではないだろうが、ひどく悪目立ちする。

自分は、二重にこのような作品群を取り巻く環境を許しがたいほど、怒りを覚えている現状がある。
一つに、上記のようにあり得ない状況に身を委ねる、オタクが許せない。何故現実と乖離した作品と、少なくとも、絶対に真逆の特徴の登場人物に自己を投影し、作品を良く評価するのか。その状態を居心地が悪いと思い、環境を変えなければと思わなければならない。
二つに、作者が許せない。人生経験の無いオタクくんたちの、価値判断を歪ませるような設定の作品を、「自己投影用です!」という顔でオタクくんにばら撒いているのだから。極論、目を合わせたら好きになっちゃったー、わーみたいな雰囲気の作品は、オタクくんにとっては麻薬なのだ。仮初の満足しかなく、リアルの人間関係に繰り出して正しく努力をすることで得られる真の満足を得る事を妨げてしまう。容姿を磨き、会話を進め、相手を尊重し、と種々の努力なんてしなくても創作作品で満足らしいものを得られる状態から自分で抜け出せるわけがない。麻薬に同じく、廃人の出来上がりだ。まぁ、作者も「オタクくん」で、絵を描く才能があってそれを間違って使っているだけなのかもしれないが…

理解あるカノジョ、を生やす行為

「理解ある彼くん」という概念がある。概要を掴むにはニコニコ大百科なり、ピクシブ大辞典でも見ていただければ結構だ。その二つのサイトできちんと解説記事(質はさておき)が書かれるくらいには、Twitterなどでポピュラーなものであるとわかるだろうか。また、同時にこの概念はTwitterなどで男性の生きづらさを発信しようとしている(成功しているかどうかはこの際無視する)アカウントなどにはもっぱら敵視される存在だ。その理由について、まぁまぁ正当性を持っていそうな意見を見つけたので、ここに貼っておく。

記事にある通り、この国では、定職にしっかりと就き、十分な金銭を稼ぎ、自己にしっかり投資する、という事をこなせていない男性に向けられる世間の目は冷ややかで、何なら同性のマッチョイズムを履行している者からも「危機感を持った方がいい」などと言われる始末だ。配偶者を見つけることは困難を極めるだろう。
そんな中、性別が違うだけで、同じ状況にあるような人間がまるで生えてきたかのように、配偶者を手に入れて生きている。配偶者がいることがどのような事をもたらすかは人によりけりだが、共通して人からの理解、愛情を手に入れることはできる。それを実現できない人間の心が荒み、理解ある彼くんを叩くのもまぁ無理もないだろう。

並の努力では報われないとわかっている中で、そういったオタクくんたちはどうするか? 努力せずに報われる方に逃げるだろう。それが先述の甘ったるい作品群である、というわけだ。

理解ある彼くんの特徴を思い出してみよう。

理解のある彼くんはその名の通り、何らかの理由(精神疾患発達障害がある、希死念慮がある、LGBTQなどの性的マイノリティである、自己肯定感が希薄である、人と関わるのが苦手である、etc.)により社会生活を送るうえで困難や生きづらさがある彼女に理解を示している。例えば、彼女たちが精神的に不安定な事やストレスを抱えている事などが原因となり起きる行動に対し彼らは怒ったり暴力を振るったりせず、彼女たちの行動を許したり相談に乗ったりするなどして寄り添う。そのため、エッセイ漫画などにおいて彼らは彼女たちのありのままを受け入れてくれる優しい人として高く評価され、これから幸せに生きていく上で欠かせない存在として描かれている場合が多い。(Pixiv百科事典より引用)

この文章の「ありのまま」がポイントである。「甘ったるい」作品群では、自己投影の結果として、オタクくんはいったいどのようになるのか覚えているだろうか。
そう、自分の事をあり得ないくらいの速度、きっかけで好きになってくれたり、自分なしでは生きられない、という存在で扱われたりするのだ。いわば無償の愛を受け取ることが出来る。これは、「理解ある彼くん」に対応する位置付けと言って差し支えない。
男性の自分では、理解あるカノジョ、は現実には現れないので、代わりに自分の心の中に生やすのだ。

最後に

この記事は、別に人にこうあるべきという像のままに生きる強制する事を意図した物ではない。だが、こういう図式はありそうだと言うことをある程度言葉で可視化したかっただけだ。また、ここまで、散々「オタクくん」を批判してきた。お前は何様だ、と言いたい人もいるだろう。実のところ、かく言う自分もいわゆる「弱者」だ。だが、適切な努力をする事なしに対価としての愛を受け取る事ができないことぐらいは、受験勉強の過程で、時間の対価として学力を得てきたことの積み重ねでとっくに内面化されているので、「オタクくん」にも該当しないと思っている。何とか変わろうとする様の片鱗だけでも、今後の記事から感じていていただければ幸いだ__

三月のライオンは名シーンが多すぎる



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