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リサイクル、インフレ基調を吹っ飛ばす、普通の帽子が198円

頭痛が収まってから横になって1時には就寝。日に当たった疲れでしょうか、深く眠ります。

深夜に目が覚めました。何時かわからないままトイレへ。娘も寝ています。途中のキッチンにグラスがあったので起きて何かを飲んでいたはず。私はまったく気がつきませんでした。

次に起きたのは7時頃。もう少し寝ていたいので二度寝です。そういえば昨夜は炊飯器をセットしていなかった。でも起きて米を研いだりするのも面倒だ。

思ったより長く寝て10時。そろそろ起きますか。娘の声も聞こえます。クスリを飲ませないと。

声をかけたらおとなしく部屋から出てきたのでなにか食べるか聞きます。

「食べたい」

「でも何もないよ」

と言いつつ、冷凍してある食パンをさっと焼いてからホットツナサンドを作ろうかなどと考えています。冷蔵庫を開けると昨日買っておいたヒレカツとサラダチキン(どちらも半額)がありました。存在を完全に忘れてた。じゃ、これ中心で考えよう。ということでサラダにはサラダチキン。ヒレカツはグリルで温めて、玉子は昨日買ったから目玉焼きにするか、と思ったらヒビが入っているのがふたつ。気がついてよかった。急いで焼いてしまわねば。あとは当初の予定のトースト、低脂肪乳とコーヒー。なんだかんだでいい感じの朝食になりました。

昼をだいぶ過ぎてから帽子を買いにドン・キホーテへ。水筒は用意しました。部屋で喋っている娘に声をかけてから出ます。

「パパ買い物に出かけるから。ハッピータイムだよ。パパいないからハッピータイム」

寝転がっている娘は私の言うことを聞いているのでニヤリとしているようです。ハッピータイム。

大きい通りから一本入った道を歩きます。ここも初めて通る気がする。近所で迷う感覚。不思議なようなそうではないような。考えてみるとどこにいても「ここじゃない感」は必ずつきまといます。最近は自宅の中でも「ここは自分の居場所ではない」という感覚がのしかかります。精神的な問題ではなく、人間の短い人生に於いてはどんな場所でも過ぎゆく一時の仮の居場所に過ぎないのだという、中途半端な方丈記のようなそんな感情です。まだローンを払い続けている自宅は自分のものだと思っていても私が死んでしまえば誰かのものになるわけで、そういう意味で、どんな場所でも自分の持ち物だなんてことは言えないのではないかと、割と真剣にそう思うのです。

ドン・キホーテで帽子を買おうかと思ったら二階が衣料のリユースのお店になっていました。ちょうどいいじゃないか。中古でいいんだよ、帽子は。

店内、すごく居心地が悪いというか「自分がいるべき場所ではない」感が強烈。お客さんはけっこう入っています。若い夫婦が多いな。買い物カゴに大量に入れてるよ。あれ全部買うのか。なんかすごいな。

帽子、なぜかあちこちに置いてあります。ブランド物とか要らないんだよ。なんか普通のはないのだろうか。ありました。しかも値札から8割引きと書いてあります。いちおうかぶってみました。ちょうどいいな。これにしよう。キャップではなくハット、198円でした。

そうだよな、インフレで物の値段が上がったからと言って律儀に新品を買う必要はないんだよな。油断しているとリサイクルとか中古に関心が向かいません。仕事が新品を売ることだからかもしれません。学生の頃は古本屋にも行ったし質流れ品を買ったりもしていました。働くようになってからだとするとやはり仕事の影響なのかも。でも、ここでブランド品も含めた古着を買い漁っている若い夫婦を見ると「そうだよな」と納得です。そうだよ、そういうことだよ。そして急に思い出しました。娘が小さかった頃のことです。赤ん坊はどんどん大きくなるので近所の公園のフリーマーケットで洋服を買い込んだりもしていました。住んでる隣の公園のフリーマーケットは(元)妻も主催者側で参加してたんだよな。そんなこともあったな。

リユースもレンタルも、もしかするとインフレの時代の必然なのかもしれません。私の頭も切り替えないと。

店の帰りに早速かぶった帽子は快適でした。つばで目に入る日差しが抑えられるのが思った以上によかった。目に入る紫外線、自分で考えているのよりダメージが大きいのかも。この時期は通勤時はサングラスだったりするのに買い物や散歩で使わないのは如何なものかと。頭痛も目かもなあ。まあでも熱中症も気をつけよう。

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