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団地の遊び 電車の線路

電車の線路  最近、鉄道関係のことで、いろいろ問題が起きてるが、今回の話は、あくまでも昭和の時代の事なので。  子供の頃、電車が、ストライキで全線停まったことが、記憶する限り三回あった。  で、どうするかというと、線路を歩くのである。滅多に歩けるものではない。  これは、すさまじく楽しかった。とことんおもしろかった。線路の上を歩けるのである。  線路の上は、歩きにくい。まず、当たり前だが、線路がある。そして、たくさんの石が敷き詰められている。  どこを歩いても、歩きづらかっ

    • 団地の遊び 夜の団地

      夜の団地  子供時代、なぜかあまり夏の記憶というのを、思い出さなかったのだが、最近、じょじょに甦ってきた。  そして、夏の記憶は、夜が多かった。  冬は寒かった。昭和の冬は、大変寒く、夜なんぞは出歩く気にはならなかった。しかし、夏は、当たり前だが、暖かい季節は、問題がない。  夜、外出するに関して、親は特に文句は言わなかった。たいがい団地内なら比較的安全だし、行く所も想像がつく。  塾の先生のとこ行って聞いてくる、とか、山岡(女学級委員)の所で勉強のこと聞いてくる、とか、な

      • 団地の遊び 幻のデパート

        幻のデパート  デパートというほどの、オオゲサなモノではないのだが、一応、その店の本体はデパートなので、こういう書き方をした。  なんで幻かというと、人にこの話をしても、覚えていない奴が、多いからで、いやホントにみんな忘れていて、なので、自分まで、本当にあったのだろうか?と思いたくなるレベルの事だった。  団地の中を流れる川。いつも遊んでる川。この川を、東側に向かって行くと、別の自治体になり、マンション群がある。  その北側の坂の上は、高級住宅街であった。  マンション群と

        • 団地の遊び においの記憶

          においの記憶  嗅覚の記憶は、ほかより千倍あるという。なんかの本で読んだ。  子供の頃から、においには結構、敏感だった。  団地の匂いというのは、明確に明瞭に覚えている。ドアを開けた途端、感じるにおいがある。あれはなんのにおいなのか、今もってよくわからないが、においが強い家、弱い家とあっても、どこのウチでも同じニオイなので、団地の材質の問題だろうと思う。  鉄筋コンクリートだけでなく、なんかいろいろあるだろうから、そんなのの混ざったモノではないか?似た匂いに、味噌汁がある。

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          団地の遊び 緑のピクニック

          緑のピクニック  団地は植物だらけだった。よって緑が多かった。  夏の芝生を思い出した。芝が高い。密生している。ここを自転車で走ると、タイヤが重く、大変走りづらかった。ときにはタイヤが芝生にからむ。  しかし、歩くのは、楽しかった。芝生の緑の中に足が埋まり、なんとなくそれが愉快だった。  昔も今も、なぜか、緑を見ると安らぐ。その中で生活できないか?とこの歳になっても思う。  そういうことを言ってる奴は、ほかにもいて、よってピクニックをしよう、ということになった。小五か小六の

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          団地の遊び 怪我の夜

          怪我の夜  小学何年の時か、理由を完全に忘れたが、三村夏子(仮名)とケンカした。 「何よ。しおりちゃんに頭上がんないクセに。全部聞いてるんだからね」  しおりちゃんとは女学級委員山岡のことである。これはムカついた。当たってるだけに、腹が立った。いわゆる図星というやつである。 「バーカ」三村は捨てゼリフを吐くと去って行った。  どうしてくれよう。本気で思った。  三村は少林寺拳法をやっている。戦ったらコッチが負ける。友達のキーちゃんに、理由は言わずに、三村腹立つよな、と言った

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          団地の遊び 学食

          学食  学食によく行っていたときは、昭和であった。  メニューは豊富だった(この時代では)。定食、スパゲッティ、チャーハン、ラーメン、うどん、蕎麦、カレーなど結構あった。うまくもないし、落ち着かないし、騒々しいのに、どうしたわけか、案外覚えている。  学食で一番食べたのは、カレーである。カレーが大好きというわけてはない。一番の理由は、運ぶのが楽だから、というもの。定食は、お盆が大きいのである。なんかひっくり返しそうで、席に着くまで怖くて仕方なかった。人がたくさんいる中を、大

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          団地の遊び 大予言

          大予言  ノストラダムスの大予言のことである。  ーーー1999年七の月、空から恐怖の大王が降りてくるーーー  これを知った時は、小学校何年の時か、多分、六年生のときと思う。驚いて軽いパニックに陥った。  恐怖の大王が、なんだかわからないが、要するに、1999年に人類は滅ぶのである。  だが、そのうち冷静になってきた。その時、1975年頃である。まだ、二十年以上ある。充分、生きられるではないか。果たして、その頃、自分は何をやっているのだろうか?だいたい生きてるか、どうかもわ

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          団地の遊び 大阪の女

          大阪の女  いつも行く団地の公園である。小四か小五か、そのへんの時だと思う。  何人か、いつものメンバーがいた。誰だったか、よく覚えていない。ところが、知らない女が一人いた。黒縁メガネをかけた髪の長い女の子が、ベンチに座っていた。 「こんにちは」そのコが、思いきり大阪訛で言った。  この時、自分が大阪弁というものを知っていたのか知らないのか、定かではない。記憶としては、ないのだが、テレビとかで関西漫才師など見ていたから、多少の知識はあっただろう。  誰かがこのコを紹介する。

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          団地の遊び 夜の捜索

          夜の捜索  夕食後、電話がかかってきた。八時を過ぎていた。学級委員R(仮名)からだった。  クラスメイトの日村達史(仮名)が、行方不明だという。そこで、みんなで捜すので、来てくれないか?というものであった。  夏休み、暑い季節だった。自治会長の高橋さんが、招集をかけた。クラスメイト高橋の母親である。高橋さんは「あたしの名前出しな」で、ほぼなんでも解決してしまうスゴい方であった。  この時、警察もいたのか、その辺のことは覚えていない。  団地中央グラウンドに集まった。みんなな

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          団地の遊び 冬の夜の悪知恵と警官

          冬の夜の悪知恵と警官  多分、小学五年生だったと思う。  なんかイヤなことがあって、夜、家を出た。真冬である。シャツの上にセーターを着ただけの服装だった。  おそらく、何かして、怒られる可能性でもあったのだろう。そのへんは覚えていない。  お気に入りのミニカーを一つ持って出た。  とはいえ、小学生に、夜行く場所などない。友達の家なんかに行くと、連絡があり、すぐバレる。  なので、とりあえず、団地の中をブラブラした。大変、寒かった。  見つからない場所はどこか?と考え、広い駐

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          団地の遊び 病院徒然

          病院徒然  子供の頃から実に病院にはよく行った。頭も悪いし体も悪い。まさに箸にも棒にも、というやつである。  昭和の病院は、開業医の話だが、家と一緒という所が多かった。少なくとも、自分の回りでは、そういう感じだった。  学級委員Rがいつも行っていた病院の話は、少し驚いた。ウチの号棟と学級委員Rの家は、同じ団地とはいえ、少し離れていた。  よって、よく行く内科医院も違っていた。その病院は、保険証をいつも預かっていたという。病院に行って、受付で名前を言うと、受付のおばさんが箱に

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          団地の遊び 電気の洞窟

          電気の洞窟  昔、秋葉原は、電気街、そういう所だった。それが、1990年代後半あたりから、オタクの街に変化していった。メイド喫茶、アイドル、アニメ、オタクの聖地とまで、言われるようになってからは、ほとんど行っていない。  自分の知ってる秋葉原は、昔の電気関係の街、そういう所であった。  電気の洞窟というのは、本当の洞窟のことではなく、まるでわからない電気部品とかを売ってる、小さい店がたくさん並んだ、建物の中の細い路地みたいな通路のことを言っている。つまりラジオストアーのこと

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          団地の遊び K先生

          K先生  小四、小五、小六と三年間、クラス替えがなかった。普通は、あるのだが、何かの事情で、こうなった。先生も変わらなかった。  K先生という、確か二十八歳ぐらいの男の人であった。いつもジャージを着ていた。  結論から先に言えば、大変良い先生であった。この人ほど、いい先生というのは、いなかった。  この三年間、クラスが同じだった児童たちの何人もが、K先生を結婚式に呼んでいる。こういう先生は、あまりいないのではないか?  それほど皆に慕われていた。  もちろん、人間なので、欠

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          団地の遊び 五十年目の言い訳

          五十年目の言い訳  小学校時代、運動会の記憶は、ほとんどなかった。一つだけ、はっきり覚えているものがある。  小六のリレーである。つまり、運動会の最後の最後、最上級生の六年が、対抗リレーをするという、一番盛り上がるといってもいいやつである。  自分は学年て一番足が速いと思っていた。一人、羽崎(仮名)という別のクラスの奴で速いのがいた。タメかコッチが速い、そんな感じであった。  リレーの選手に選ばれた。次は走る順番である。四人が走る。細かいことは忘れたが、太田'(仮名)にーー

          団地の遊び 五十年目の言い訳

          団地の遊び ある夏の日

          ある夏の日  子供時代、夏の記憶というものが、なぜかあまりない。しかし、冬のある日、UFO写真を撮ろうとしていたのを思い出し、そうだ、夏もあったと、記憶を甦らせた。  たいした話ではありません。  夏休みであった、と思う。緑生い茂る銀杏の木の根元にいた。  芝生も緑豊かで、草たちも、あちこち生えしきっている。  近くに、どういうわけかクローバーの群生が見られた。いつからあっただろうかと思う。  銀杏の木の根元には、自分、左に女学級委員山岡、MM2(仮名)がいた。しゃがみこん

          団地の遊び ある夏の日