無名の小説家

不可視の教会を心に持つ者は、そこに復活したイエス・キリストの霊の宿る者である。キリスト…

無名の小説家

不可視の教会を心に持つ者は、そこに復活したイエス・キリストの霊の宿る者である。キリストを復活させた父なる神の霊によって生きる者は、完全に自由である。が、不可視の教会を心に持たない者は、可視の教会に心身を支配される。支配しているのは人に恐れを抱かせて、奴隷とする天上の悪の霊である。

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海を割る

―― モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。 イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。 エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却

    • 出バビロン

      ―― ほめよ ほめよ 主の御名をほめよ 主の右手は わたしの歌 力 救いの手  命つづく限り 主に歌え ―― ここ数百年あまり、世界中で叫ばれ、提唱され、実践され、あるいは犯され続けて来た資本主義や共産主義、デモクラシーやグローバリズムとは、とどのつまり、その体制の中にあって生まれ、育まれた蠢爾の民衆について、いかに生かさず殺さずの、否、搾り取るだけ搾り取ったあげくのはてに、口減らしと口封じのために屠殺するための、愚かにして従順なる家畜として”商品化”するべく勘案され、計算

      • 生きたくば、虚心坦懐に聞け

        ―― しかし、イエスは言われた。 「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」 ―― 『神殿なんかいらない』という文章の中で、私はかつてこう書いている。 ……イエス・キリストは生きている。 原初の昔のその前から生きていたし、過去の歴史の中にも生きていたし、今のこの時代の、この瞬間においても、生きている。 わたしのかたわらで、わたしの姿をその佳美しい虹彩の中に映しこみながら、動いている。 昨日は右へ行け、

        • もののあはれ

          ―― 神を畏れることは知恵のはじめである 愚者は知恵と訓戒とを軽んじる ―― さて、わたしはここにはっきりと書き記しておくものである。 彼らが聞こうと聞くまいとわたしの言葉を語れ―― という命を下されたかつてのある者のように、哀歌と呻きと嘆きの言葉をもって...。 一年の計は元旦にありという格言には、この国の先祖たちの知恵が込められている。 何事もことの始まりが肝要である――そんな元日の一日にあって、本年令和六年一月一日に能登地方を襲った巨大地震とは、けっして単なる

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          自分で食べて、自分で味わえ

          ―― ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。 ―― とても単純な、あまりに単純な筆遣いをもって、これまでなんどとなく確言して来たことと同様の事柄を、ここにふたたびはっきりと書き記しておくものである。 すなわち、 死人を復活させることのできる神にせよ、罪を赦す権限を持った神にせよ、いったい「神」なる存在とは、自分の足をもって探しまわり、自分の目をもって仰ぎ見るものである。 その者の背に、

          自分で食べて、自分で味わえ

          あてがいぶちの命

          ―― 彼らは蝮の卵をかえし、くもの糸を織る。 その卵を食べる者は死に 卵をつぶせば、毒蛇が飛び出す。 くもの糸は着物にならず その織物で身を覆うことはできない。 ―― バカはあてがいぶちの教育を修了すれば、それでよしとする。 バカはあてがいぶちの報酬を得ていれば、それで満ち足りる。 バカはあてがいぶちの預金年金にしがみついて、それで生き長らえようとする。 バカはあてがいぶちの憲法を押し頂いて、それを顧みることもない。 バカはあてがいぶちの法話をありがたがって、それにお布施す

          あてがいぶちの命

          不可視の教会

          ―― かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。 ―― こんな日が自分の人生の上に訪れるとは思ってもいなかった。目に映るところはすべて神に対する疑いと怒りと憎しみしか生まず、死と絶望と孤独とばかりがひねもす満身にもたれかかって来るばかりだというの

          不可視の教会

          かみおもふ、ゆえにわれあり

          ―― 神想う、ゆえに我あり ―― 彼の「ゲッセマネの祈り」を聞き及んでより、ことあるごとに、それについて考えさせられて来たものである。が、今この時ほど強く、思いを馳せたこともなかったかもしれない。それと同じぐらい、同じ彼による「十字架上の死」についても。 先に結論から述べてしまうが、これらはいずれも、すべて、現在進行形の話であるということだ。 すなわち、なにひとつとして、「すでに終わった話」などではありえない。 すくなくとも、これからわたしの語らんとする「ゲッセマネの

          かみおもふ、ゆえにわれあり

          約束の地

          ―― いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 ―― 黒暗暗たる懊悩煩悶の中にあって、なんどもくりかえした。 かの若き日に、聖書なんか、手に取らなければよかった、 偽善と欺瞞の教会の門なんぞ、くぐらなければよかった、 腐敗と堕落のユダヤ教キリスト教だのいう世界のいっさいに、関わるべきじゃなかった、 かてて加えて、 「イエス・キリスト」をなど、けっして知ろう

          命をかけた祈り ③

          ―― たとえ王宮の半分をくださっても、わたしは一緒に参りません。ここではパンを食べず、水も飲みません。 主の言葉に従って、『パンを食べるな、水を飲むな、行くとき通った道に戻ってはならない』と戒められているのです。 ―― ―― さあ、立て。ここから出かけよう。 ―― 事の詳細はだれに問われても語らず、なにを引き換えにしてもけっして口外することもなければ、たとえこの世の富と繁栄のすべてを与えてやろうと迫られても、ぜったいに譲歩することはしない、 ただし、私はかつて、大きな

          命をかけた祈り ③

          わたし、わたし自身のために...

          ―― わたし、このわたしは、わたし自身のために あなたの背きの罪をぬぐい あなたの罪を思い出さないことにする。 わたしに思い出させるならば 共に裁きに臨まなければならない。 申し立てて、自分の正しさを立証してみよ。 ―― 今は昔の話として語りうる事柄となったものだから語るものであるが、かつて、私の愛した人はある者によって奪われた。 その者は、私の愛する人に対しても、私に対しても、大きな罪を犯した。 それはもはや取り返しのつかない間違いであり、生涯をかけても償いきれないよ

          わたし、わたし自身のために...

          産めよ、増えよ、地に満ちよ

          ―― 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。 「産めよ、増えよ、地に満ちよ。…」 ―― 「もしもモーセやイザヤよりもお前に愛されている、この俺の言っていることが間違っているのならば、さっさと殺せ。 地震や津波で命を失うべき同胞の代わりに、この俺を殺せ。同胞はお前について、こんなふうに口汚く罵ったりしない。だがこの俺は、なんのためらいもなくお前を罵る――だから、お前の名前が憐れみでないならば、俺を殺せ。今すぐにでも、同胞の代わりに、俺を殺せ」―― 本年令和六年一月一日に

          産めよ、増えよ、地に満ちよ

          イエス・キリストの福音 ②

          ―― そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」 …また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行

          イエス・キリストの福音 ②

          イエス・キリストの福音 ①

          ―― わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。 「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教

          イエス・キリストの福音 ①

          復讐の預言、励ましの預言 ②

          ―― エフェソにある教会の天使にこう書き送れ。 『右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が、次のように言われる。 「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。 しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。 だから、どこから落ちたかを

          復讐の預言、励ましの預言 ②

          復讐の預言、励ましの預言 ①

          ―― イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。 ―― 全六十六巻から成る、聖書なる書物の最後の一章『ヨハネの黙示録』とは、上のような書

          復讐の預言、励ましの預言 ①