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文章を書く歓び

私は小説家を目指しているが、このnoteを三年前から始めて、小説以外の文章を書く歓びを知った。
私は人と会話を楽しむことを苦手としているところがあるが、文章をパソコンに向かって書くということは、本当に楽しいことだと思っている。
小説を書く歓びは、自分の身をもうひとつの世界に置くという体験ができるところにあると思う。私は冒険ファンタジーを書くことを人生の軸にしようと思っていて実際に書いたり、そのために調べたりしている。それも楽しい。また、純文学も興味があって、今も一作短い物を書いていて、新人賞に送ろうと思っている。純文学小説は一文一文の意味を深く考える楽しみがある。この表現にはどういう意味があるか、などと熟考することがまた楽しい。
noteにはエッセイを中心に書いている。
スキが付くと嬉しいのでつい、思いついたことをそのまま書いてしまう。これは現在、社会的に問題になっているところで、スキをもらうことに自分の存在意義を見いだすことで、スキに依存している人が多いという。
しかし、人間には承認欲求というものがあり、人から支持されるのを喜ぶのは当然のことだ。
私は最近、冒険ファンタジー小説をnoteに投稿した。これは長編小説で、noteで長編はあまり読まれないことを知っているが、それでも読んで欲しくて投稿した。
noteで読まれるのは、短めのエッセイだろうと思う。ツイッターほど短くなく、一冊の本のように長くない、十分以内で読めるほどの長さが適当なのだと思う。自分の意見をはっきりと書く文章が好まれるようだ。
私はこの三年ほぼ毎日、文章を書いている。これは文章力を磨くいい機会になっている。
長編小説を軸にして生きていきたいが、noteで評価された過去の作品は長編小説ではなく、その時の気分で書いた哲学小論文や、登山についての記事だ。登山の記事はマガジンにまとめていて、その中でも文学的に価値があると思った物は「山の美学」というマガジンにまとめてある。私の記事では登山についての物が、note編集部の人に取り上げられて、アウトドアの記事としてタイムラインというのか知らんが、多くの人に読まれることになったことも何度かある。そうなると、一気に全体ビューの数字が何千と伸びるのだが、実際に読まれているか私は知らない。しかし、タイムラインに載らなくとも、私の哲学に関するある記事は、ずっと読まれ続けていて、タイムラインに載った山の記事といい勝負をしている。そのようにどれだけ読まれているかということを見るのも楽しいことだ。無論、そういうものに依存してはならないのだが、小説家になりたい私は自分の小説がどれだけ読まれるかに人生を賭けているので、noteで読まれることも、ひとつのステップと思っている。
とにかく文章を書くことは楽しい。
この楽しさには今後、ハマり続けるだろうと思うし、小説家になるならば忘れてはならない歓びだと思う。

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