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テレビのクイズ番組を見るな。読書しろ

『ドラゴンボール』というマンガにスカウターという生き物の戦闘能力を数値化して計る機械が出てくる。
それで計ると「戦闘力たったの3、ザコめ」となったりする。私はその数値が日本の学歴社会に偏差値として存在しているような気がしてならない。「偏差値たったの30、ザコめ」というわけだ。その数値は概ね出身大学名でまとめられることが多い。テレビを見るとクイズ番組で出演者の最終学歴が晒される。東大生や京大生が難しい問題を解くと「さすが」となる。しかし、あのようなクイズはわかっている人から見たら簡単な問題に見えるはずだ。あのような番組でクイズに答える現役大学生はいいバイトになるのかもしれない。しかし、見ている人はダラダラとテレビを見ているだけなのだが、一応クイズの問題に興味を持つ。テレビ番組製作者の腕は確かにある。視聴者の知的関心を刺激するわけだ。それと同時に学歴の高い人はさすがだと思ったりもするだろう。しかし、そのようなクイズ番組を見て、何が残るか?自分の知的関心を刺激されてそこからどうなるのか?視聴者はそのあと風呂に入り寝床に着くのである。学歴というスカウターを感じながら。
つまりクイズ番組は知的関心を刺激はするものの、知識を得ることはほとんどない。代わりに知的な本を読めば確実に知識を得ることができる。クイズ番組を、というかテレビをダラダラ見るという習慣を辞めてその時間を読書に当てれば相当賢くなれる。また、テレビで強調される学歴という価値観からも解放され自由な価値観を持つことができる。中卒だから無学だ、などと自信のない状態からも解放される。
私は大学を出ているが、そんなに高い偏差値の大学ではなかった。しかし低くもなかった。そのため自分の大学より高い偏差値の大学を出ている人に劣等感のようなものがあった。逆に自分より偏差値の低い人を上から見ていた。しかし、私はテレビから離れたらそのコンプレックスはなくなった。読書をしたのでその辺りは自信がある。18歳の頃にお勉強ができただけで高学歴だと、崇められたり、10代の頃に高校や大学に行けなかったからと、一生コンプレックスを持ち続けることがいかに馬鹿らしいことか。
それと私は英語ができないことにコンプレックスを覚えていた。英語ができないと世界には出られないと、三十代まで英語の勉強をしていた。英語は世界の社交界の言語だと。しかし、三十代半ばで諦めた。日本語だけでも世界に出ることはできる。人には苦手なものと得意なものがある。苦手な英語で苦しむより、得意なものを伸ばそう、そう思った。
価値は自分で作るものだ、そう思った。

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