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格差社会を考え、私の夢を語る

私は小説家を目指す四十代の介護士だ。
介護士は給料が少なく、そのため格差社会についてはいろいろと思う所がある。
 
サッカーの本田圭介は以前、「ラーメンの相場をもっと高くすべきだ」みたいなことを言っていた。美味いのに安すぎると。
彼は金持ちだからそれでいいかもしれないが、ラーメンの相場が高くなったら困るのは庶民だ。ラーメンという寿司に肩を並べるほどの日本のグルメを庶民は味わい楽しんでいるのである。寿司は高くてなかなか行けない。私は回転寿司にしかほとんど行ったことがない。そこには味覚の格差がある。人間は自由であるべきならば公共の福祉に反しない限りで自由でなくてはならない。介護士は寿司を食べられない、という現状は良くない。
以前、テレビで見たが、イギリスで日本酒を造っている人がいるそうだ。その人はヨーロッパのワインに比べて日本酒は安すぎる、もっとブランド価値を高めるべきだ、と言っていた。これは庶民にとっては聞き捨てならない言葉である。ワインには十万円、百万円というような高価な物が普通にあるが、日本酒の大吟醸は高いものの、ワインほどべらぼうに高くはない。それを高くしろと、なんのために?
金持ちは自分の存在意義をカネがあるところに求めることがある。必要以上のカネを持つと何に使おうか迷うのだろう。大き過ぎる家に住んだり、高級車を何台も集めたり、あるいはプライベートジェットを持ったり、あまり人間の自由とは関係ないものにおカネを使うことになる。
私は小説家になりたく、毎年、一回か二回海外旅行に行き、毎年一作か二作小説を書くという生活を夢見ている。その海外旅行の際は、別にファーストクラスに乗りたいとは思わない。しかし、エコノミークラスは嫌だ。私は現状、飛行機に乗るときは必ずエコノミークラスである。あの座席の狭さは完全に人権侵害だと思う。せめて新幹線くらいのゆとりが欲しい。あのような、ファースト、ビジネス、エコノミーと区別するところは、ヨーロッパ人の良くない階級意識から来るのだと思う。飛行機の座席に格差をつけるべきではない。誰もが快適に旅ができなくてはならない。
以前、どこかで読んだが、収入の上限を設けたらどうか、と考える人がいるらしい。その人は当然下限も決めるべきだと言っていて、そうすれば惨めな暮らしをする人がなくなると言う。その人は収入の上限を三千万円にすべきだと言っていたと思う。そして下限は忘れたが、四百万円にすべきだと言っていたと思う。なんだ、格差はあるじゃないか、と思う人がいるかもしれないが、やはり、良いことをした人、がんばった人にはそれなりに見返りを高くすべきだと思う。怠け者も働き者も平等という社会はやはりおかしい。しかし、総資産何兆円とかいう人がいる一方、今日の食事を得ることもままならない人がいる社会はもっとおかしい。生活保護、フードバンク、子ども食堂・・・。
私の夢は先にも述べたように小説家になって、一年に一回か二回海外旅行に行き、毎年、一作か二作小説を書く生活をすることだ。その生活に何兆円という大金はいらない。現在は登山を趣味としているが、今、冬山に登る登山口まで行く四駆が欲しいのだが、私は軽自動車を買ったばかりで、四駆の車を買う余裕はない。カネの無さは自由を束縛する。人間は自由に生きるべきだ。そのためにカネの無さが障害となってはいけない。

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