パッパルデッレ

50歳の太ったおじさん。ゴミ屋敷を片付けたい。料理やワイン。時々、本を読んだり美術鑑賞…

パッパルデッレ

50歳の太ったおじさん。ゴミ屋敷を片付けたい。料理やワイン。時々、本を読んだり美術鑑賞。自分が亡くなったあと、子どもたちが私を思い出しながら読んでほしい内容を書きます。ちょっとリアルは「感想」の中に。

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誰に向けて、なぜ書いているか

冒頭にアンカーする記事を書いてみよう、ということで、わざわざ時間を使って、何を誰に向けてなぜ書いているのか、について書いてみようと思う。 まず、誰に向けてなぜ書いているかというのは簡単だ。自分の子どもたちに向けて、子どもたちが大人になって、自分が亡くなっていて、父のことが知りたければ読んでほしいと思って書いている。要するに遺言や遺書の類というわけだ。 私の父はすでに80を超えていて、昔から自分の父母(私にとっての祖母)のことを書くといっていながら、まったく書くそぶりをみせ

    • 2024.06.01

      お元気ですか。 私は元気ですが、いろいろなことが不安です。 けれども、そんな一方でやる気も湧いてきました。 人間、結局のところ、死ぬまで何かをやっていられることが幸せなのかもしれません。 太宰治の『惜別』も読み終わりました。そのうちの「惜別」。魯迅は、仙台に留学して、医学から文学へと、180度の転換をします。そこのところを、仙台時代の友人であった老医師の視点から語った作品です。 これを読んで私は、誰かと話したくなりました。 そういう作品です。 感想を書きたいなと

      • 孝の「サービス精神」 〜齋藤孝の研究 6〜

        太宰、太宰で日が暮れる俺の毎日は、ときどき孝の風によって、空気が入れ替わる。 いや、そうじゃないな。 太宰関連本を読んでいると、孝が時々顔を出すことがあって、なんだか変なところで会いましたな、みたいな気持ちになる。 そんな感じか。 「ナイフを持つ前にダザイを読め!!」という煽りの入った『文豪ナビ 太宰治』(新潮文庫)。ダメだよダメダメ、判定じゃダメだよ、KOじゃなきゃ、というフレーズが思い浮かぶほど、ちょっとこれ、秋葉原連続殺傷事件の加藤智大を連想させるフレーズで、二

        • 太宰治「黄金風景」

          《太宰の明るい小説ベスト10》を選べとなったら、明らかにトップ3くらいにランクインするんじゃないか、と思われる短編。 * 小さい時に、嫌味をいったりしてわがまま言ったはずの「女中」さんであったはずのお慶。あの頃は、金持ちのボンボンだったので、偉そうにしていたけど、今や落ちぶれた文士になった自分。 あるとき、お慶の知り合いである同郷の人物を知り合い、お慶のその後を聞いた。結婚して、いい家庭をつくって、幸せにしているという。それだけじゃない。あの頃のことを思い出して、自分に

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        • 「感想」
          7本
          ¥100

        記事

          太宰治「燈籠」

          もう読む順番も適当でいいや、と思いなしたら気分もよくなって、「右大臣実朝」を読んで、その次に配置してある「惜別」を読んでいる途中に、この「燈籠」を読んだ。書いた順、発表の順に読んでいくと、その書き方の変化が感想のネタになるんじゃないか、と思った姑息の心をひねりつぶした。それでも、「燈籠」は、今まで読んでない習作以外の短編の中では、最も古い作品である。 「あさましきもの」が、パピナール中毒で具合が悪い時に無理して書いた端正な短編だとすると、「燈籠」はパピナール中毒から回復、で

          太宰治「燈籠」

          マシュー・カスバートの問題

          私の最寄り駅の近くにはまだ多少の古本屋が生き残っている。 その店は私が大学生だった頃からあり、まだやっているんだということに衝撃を受けて、自転車の上でだらしなく棒付きのキャンディを舐めていた下の子を無理やりおろして、古本屋の中に入れた。 物珍しいようで、児童書コーナーで、子ども向けの『赤毛のアン』を発見し、それが欲しいと主張する。 やや高価な価格設定で、いささか悩ましかったものの、いつまでもプリンセスでは教育上よろしくない、と思い、購入を約束した。 ところが、私が本を

          マシュー・カスバートの問題

          どうでもいい思い

          朝、起き抜けに、鼻水の溜まりを感じたので、強く鼻をかんだら、携帯電話から発せられる災害アラートのような音がした。 頭が痒いと思って、患部に触れたら、ニキビの破裂した痕のような、先日のカラスに頭をつままれた時にできた傷の治りかけなのか、わからぬかさぶたが取れた。 オジサンは汚い。 日々、汚らしくなっていく。 嘘をつくなと言われても、嘘をつく。 照れ隠しに、嘘をつく。 体面を取り繕うために、嘘をつく。 もう、心は汚れ切っているのだから、体くらいキレイにしなくちゃ、と

          どうでもいい思い

          2024.05.28

          「最近、なにか面白いことはあるか?」と聞かれて、「最近、太宰治を読んでます。なかなか面白いですよ」と答えることが通例となっているのだけれど、その反応には2種類ある。 一つは「今さら何してんの?」という趣旨を述べる人。それは昔太宰を何冊か読んだ人で、青春文学の代表として理解している人。だからアラフィフにもなって太宰もないだろう、という思いをぶつけてくる人。この考えはよくわかる。 もう一つは、「すごいっスね」という趣旨を述べる人。これは、よくわからないけど、読書するんだフーン

          太宰治「右大臣実朝」

          傑作であった。 『吾妻鏡』の記事を挿入しつつ、従者の語りを借りて、源実朝のことを書いている。 私は、源実朝を何かのメタファーだとは思わなかった。 また、実朝に対する太宰の思い入れの質についても、巷間に言われるほどの同一化があるようには見えなかった。 悲劇の人実朝、天才の人実朝。 そういう書き方を太宰はしてないように思えた。 * 『右大臣実朝』の刊行は、1943年9月。先日、感想を書いた「故郷」や「帰去来」のちょい後である。 どんなふうに書きだしたかを知るのに野

          太宰治「右大臣実朝」

          「ウッチャン」(仮名)のこと 〜ある社の人間模様22〜

          ウッチャンは芸能人の内村さんのことではなくて、ウチの会社でzoom会議をすると、ずっと自分の写真映りを気にして前髪をかきあげたり、毛束を摘んだり、色々と忙しい彼のあだ名である。つまらない会議の時は、いつも私はウッチャンを画面に固定して、彼の一挙一動に目を光らせている。 人事評価的な意味でチェックしているわけではなく、彼に議事録のような向いてない仕事をさせることにいつか反対して、彼は彼の仕事に邁進してもらうように提言しようと思うから、彼のことをもっと知ろうとしているにすぎない

          「ウッチャン」(仮名)のこと 〜ある社の人間模様22〜

          2024.05.26

          知らないけど、恋愛に恋焦がれた日々を卒業する段になって、なにか失ったような気持ちになる人がいる。ある種、幸せの絶頂とも言える時期なんだろうと思うのに、変に憂鬱になって、浮気に走ったりする人だ。そこに恋愛があるのに、どうして別種の恋愛を志向するのだろう、と、私などは訝しんだが、本人はいたってケロッとしていて、この恋愛と、あの性愛は別、という確固とした価値観を持っていた。その人が現在幸せであるかどうかは知らない。 恋愛は成就してしまうと憂鬱になる。このテーゼにおける、憂鬱の内実

          就職小説としての『坊ちゃん』

          夏目漱石の『坊っちゃん』という小説なら、誰でも一度は手に取ったことがあるだろう。 大学卒業を目の前にした若者ならば、本棚の奥にそっとしまってあるかもしれない。 実は、この小説、中年になって読み返してみると、「坊っちゃん」の心意気よりも《青臭さ》に目がいってしまう。 漱石は、「坊っちゃん」に共感して書いているのか、それとも距離をおいて書いているのか、わからなくなってしまうのだ。それだけ、「坊っちゃん」の判断には《青臭さ》が漂っている。もちろん、若いがゆえに爽やかではある。

          就職小説としての『坊ちゃん』

          書見台と太宰本

          パソコンで、本の一節を引用しようとするとき、ページがめくれ上がるのがストレスなので、安い書見台を購入した。アマゾンで本は買うけど、物品となるとからっきしだ。なにせ、何が宣伝で、何が本物なのかがわからない。 書見台も、こういうのだったらいいな、というイメージこそあったものの、いまいち確信できず、安めのものを買った。 正直、ページをめくるたびに、腕を移動させないといけないのが、ホント面倒だな、と思ったものだけれども、表紙の書影をとるのにいいじゃーん、と使っている。 またお昼

          書見台と太宰本

          太宰治「あさましきもの」

          全集によると、単行本の中に収録されてない作品の一つだという。「HUMAN LOST」の前に書かれた短編で、太宰にとっては作中でもあれこれ言っているように「売文」の意識が強すぎたのだろうと思う。売れるなら、私なら「売文」でもよかろうと思う。 文章にはその人しか書けない書き癖というのはあるだろうけれども、内容面においてはすぐにそのオリジネーターの書いたことが、多くの人にそれとなく模倣されていていく。経験も含めて、内容面での差は出しづらいというのが本当のとこだろう。太宰の場合、普

          太宰治「あさましきもの」

          2024.05.23

          無駄に4本もアップしてしまった。書き溜めていたものに、今日の要素を付け加えて、休み時間に放出しただけの代物である。ただ、不調の時に書いていたので、案外、自分としては気に入っている。 齋藤孝のエッセイは、もちろん半ばネタのつもりで取り組み始めたのだけれども、文庫になっていない初期の齋藤孝の本を読むと、彼の本当にやりたかったことが見えてきて、それはそれで面白いと思った。彼はルサンチマンの人だ。今はそう見せてないけれども、自己肯定力が異様に強いルサンチマンの人で、良い人だと思うん

          孝が勧める秀雄「人形」 ~齋藤孝の研究 5~

          先日、言及した『読書力』の巻末100冊のリストの中に、小林秀雄の『考えるヒント』があり、それについて孝は「⑥「人形」は必読」と書いていた。「人形って、そんなエッセイあったっけ」と思った。 太宰治の文庫本を探して、本を右から左に置きなおしていたら、たいそう古い『考えるヒント』が出てきた。もう、表紙もガサガサで、紙も変色している。いつ買ったのだろう。高校生のときかもしれない。高校生のときに、古本屋で買った、というのがまあ、当たらずとも遠からずの記憶として、間違いないと思う。

          孝が勧める秀雄「人形」 ~齋藤孝の研究 5~