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おいていかないでよ(恋・愛・論)

 教室へ行く道の途中で、みすずとすれ違った。僕は手を上げて彼女に合図をすると、彼女は僕に気づいてうつむいて暗かった表情が少し澄んだ。

彼女はスターバックスの紙コップを持っていた。

風が吹いて、残酷なほど雲一つないくすんだ青は再び輝き出した。僕たちは図書館の前にある錆びた鉄のベンチに座った。

最初になにか言いたげな様子で彼女がこちらを向き、持っていたコップが少し潰れて、それから少し経って口を開いた。

「最近見なかったね」と彼女はいった。
「最近サークル行けてないから、バイトで。本当は毎週通ってなんか小説をだしたいんだけどね、いまは生活が第一だから」僕は言い訳がましくした。
「そうなんだ」と彼女。反応は余り興味がないといった感じだ。

「最近賞に出してる?」

「いや、出してないよ、私も忙しいからさ」

「そうなんだ」

「ああそうだ、短歌にはなるけど、出したかな」

「短歌なんてやってたっけ?」

「やってたのよ。散文と違って字数がもの足りなくなるとかないし、読むのも時間がかからないし。まあ、私みたいな理由で、鑑賞を良し悪しを時間で判断するのは、だめかもね」

「ふうん、それで結果は?」

「1次選考までいったかしら、2次で落ちたわ」

「ふうん、でも1次は突破したんだね」

「落ちた理由が分からないわ。テーマが悪かったのかしら」

「何をテーマにしたの?」

「テーマは今回は、孤独感とか、仲間外れ感を表現したつもりだったけど。本当にうまくできたかは分かんない。そもそも、恥ずかしくて人に見せる積りもないし、もう送った記憶さえ自分の中から消してしまうわ。書いたものを後で見返してみたら、自分のグロいところ全部出てたから」

「ふうん。ちょっと見たいかも」

「絶対見せないわ」

「どうして?」

「どうして、、っていう事はないわ。とにかく見せたくないの」

「ふうん」

僕はこういうとき、何が何でも要求を通すタイプではない。この距離感を近づけるでもなく遠ざけるでもない保とうとするところが、昔僕が恋をしていたとき、相手の女の子に好かれた理由の一つだった。

『あなたって、距離感しっかりしてるよね』
『距離感?』
『うーん。なんかさ、引き下がれって思ったときは絶対引き下がってくれるところとか。そういう距離感はっきりしてるとこ、私は好きだよ』


「そういえばさ、去年の年末くらいに書き上げて、あなたが文藝賞に出すって言ってた小説はどうなったの?」

「あああれ?なんかすごく苦しくなっちゃったからだすの止めたんだ。なんか自分の過去の恋愛をそういう作品にするのって、それを完全に相対化してしまう感じがするじゃない。私があいつに未練があるのかって言われたらそうではないと思うけどさ、なんかアイツが私とこれから先関わらないし話もしないことを、永遠にそれでいいと思ってるのがめちゃくちゃ気に食わないんだよね。だから、私はアイツにそういう態度を取らないようにしようと思ったら、これを公開するのがとても怖くなっちゃって、なんかバカみたいよね」

「そうかな」

「そうよ?」

「それって、まだ元彼が好きってことじゃないの?」

「そうなのかな。そうなのかも。でもまあいいわよ、永遠にLINE無視してればいいわ、私ってメンヘラだから、私みたいなのと付き合ってるほうが不幸なのよ。私が好きだったからそれでいいの。相手はもう私のこと何てたぶん忘れたわ、幸福な男ね。はー。せいせいしたわ。」

「…君は新しい恋に行ったほうがいいよ」

「行けてたら行くわよ。でも、行きたくてもいけないの。本当に私ってバカなんだけどさ、今の元彼以上に好きな男がいないの。無理やり新しい関係をつくるってことも試してみたけど、1ミリでも合わないところがあるともう無理になっちゃうから。なんも進展しなかったわ。私は、次に好きな男が更新されるまで、それを続けるしかないの」

「大変だね」

「君は彼氏いないの?」

「僕はゲイじゃないよ」

「じゃあバイなんでしょ?」

「違うって」

「なんだ」

みすずが下卑た引き笑いをした。
それは、太い木材を切るとき、力いっぱい引いたのこぎりの歯が木の繊維を傷つけるのに失敗し、から回る音に似ている。僕は笑い方の汚い女の子が好きだ。

「、、」

「いい男いた?」

「、、、。ああ、今はいないわね」

「まあ。すぐに見つかるさ」

「そうかしらね…」

「うん。実は僕も最近マッチングアプリでであった女の子と遊びに行くんだ、真剣な付き合いですっていう子だから、期待してる」

「そうなの?どんな子?」

「守山に似てる」

「そんなら守山と付き合えば良いじゃない」

「あいつ4年の先輩と付き合ってるから」

「そうなんだ、知らなかったわ」

「うん」

「その女って、昔付き合ってた男とか居なかったの?真剣な交際なんていって、恋人取っ替え引っ替えなんて、私はごめんだわね」

「きみは生きづらい奴だね」

「普通よ」

「普通は別れたら恋人には区切りをつけて行くもんだよ、いくら悲しくても。だらだら相手に期待してると自分が無くなっちゃうよ」

「でも信じたいのよ」

「じゃあ好きにすることだね」

「…」

「わかったわ」

「忘れるようにしてみる、できるだけね。できるだけ」

「忘れなそうだな」

「忘れるって、、。ね、今度また飲も」

「サークルで?」

「あー、、そうかな」

「忙しくなければ行くよ」

「分かった」

「でも女の子とデートとかバイトとかあるから、前みたいに頻繁には行けないよ」

「いいから、来たかったら来てよ、、」

「わかった」

「ばかみたい」

彼女は最後の言葉をぼそっと誰にともなく呟いて、「次の授業があるから」といって走って行ってしまった。彼女が行ってしまった先を目で追いかけて、そのまま上をみると、赤レンガで作られた建物の間から覗く空は、薄いベールを何枚もかけて僕をその内側に包んでいた。

破ろうとしても破れない、びくともしない。
後はふたたび生まれることもできず、腐って膜の中で朽ちていくだけなのだ。

それから僕は授業を欠席し、散歩をした。
サークル会館の後ろの藪で、猫を見つけた。猫は毛並みが光っているかのごとく白く、太っていた。彼女は僕が近づくと逃げようともせずただ震えていた。僕も震えていた、
「僕にサヨナラを言ってくれ」僕は言った。
「さようなら、ニンゲンさん」猫はいった。


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