陽香/ haruka

『美しく調え、身体性を取り戻す』𓂃日々がもっと贅沢になる身体感覚を感じるセルフケアヨガ…

陽香/ haruka

『美しく調え、身体性を取り戻す』𓂃日々がもっと贅沢になる身体感覚を感じるセルフケアヨガをしています。/元 看護師・保健師のヨガインストラクター/ Oita✈︎Toronto✈︎Tokyo✈︎Oita

最近の記事

心地よさや楽しさの先にルーティンが生まれる。

私のヨガを受けてくださった方の中で、 「運動なんてきついし苦手だし全然やろうと思わなかった」 「ヨガはきついから続かない」 と言っていた方々が 長期にわたってヨガを続けてくれている といったことがよくあることに気づきました。 (私のヨガクラスをご自身の都合により受けられなくなった後でも、YouTubeや以前お渡しした動画を見たりして続けていらっしゃるようです) 私においても、そうです。 自分に合った身体を動かす方法(ヨガ)を見つけたから7年も続いています。 . .

    • 自分だけにしか分からない身体感覚を自覚する。

      意識が身体に向く瞬間、 入る瞬間、 戻ってくる瞬間。 その時いろんなことに気づく。 脚があること。 その上に胴体があること。 胴から手が伸びていること。 頭が頚椎の上でストンと収まっていること。 意識が身体に入る瞬間というのは、 本当に “スイッチが切り替わった”みたいな瞬間で、 「今入ったな。」って 思考に上げるまでもなく感覚でわかる。 目を閉じ外界の情報を遮断する。 深い呼吸をして、 呼吸から得られる何かしらの感覚を感じていく。 確かに身体がここにあることが 身

      • 身体があるから大丈夫。私がいるから大丈夫。

        新卒で看護師として就職した病院をきっちり2年で辞めた私は、その後すぐにカナダはトロントへ一年間ワーキングホリデーに行っていたことがあります。 . . 九州のど田舎に生まれ、まだ県外にも住んだことがない、そんな当時の私にとって海外移住(一年間と短期でしたが)は、かなり勇気のいる行為でした。まず英語も話せない。誰一人知り合いがなく、友人や家族ともしばらく会えない。仕事も辞めた。もう本当にまっさらになって、未知の場所に身一つで飛び込む経験。 だからせめて、向こうで住む場所はギ

        • 励まされること。

          最近、皆さんにすっごく励ましてもらっています。 それがそのまま言葉としてということもあるし、 行動やプレゼントでということもあるし、 一緒に過ごす時間でということもあるし、 推しからはライブで励ましてもらうということもある。(サイコー!) 時折、励ましに見合わない自分なんじゃないかということが脳裏によぎったり、 期待に応えないと!なんてちょっとしたプレッシャーを感じてしまう自分も一瞬現れたりして、 励ましによってせっかくぽかぽかに温まった心を、自らの思考で冷ましにかかっ

        心地よさや楽しさの先にルーティンが生まれる。

          とりあえず、踊ろうか。

          問題を熟考し討論し解決していくことの限界。 強さの証明とその強さを持たない人の口封じ。 考えることを放棄したりなんて絶対にしないけど、 とりあえずみんなで音に合わせて踊ってみたい。 問題が作り出す境界線とその壁の上空で踊ってみたい。 境界線も壁も一生あるかもしれないけど、 上空で踊れば関係ない。 たまに足が当たって壁が崩れるかもしれないし。 なんて机上の空論、理想を今日も書いてみる。 でもイメージできないことは叶わないから。 もっと具体的により精密に この日常で自分

          とりあえず、踊ろうか。

          ある時からしなくなったこと。

          よくInstagramのストーリーズで「エモつぶ」と題して、 ちょっと自分の中にあるエモい観念や思想をつぶやくみたいなことをしばらくやっていた時期がありました。 振り返るともう半年以上そういう発信をしていなかったのに気づき「ああ自分も進化したんだなあ」と善きように最近は自分の変化を捉えてみたりしています。 そもそもエモつぶってどんなことを言ってたの? というと、 例えば「環境保護は人間のエゴという視点が抜けてやしないか?地球のためにではなく自分のためにというニュアンス

          ある時からしなくなったこと。

          呼吸で今を繋ぐ。

          “呼吸ができるのはなんと気持ち良いのだろう〜!” 今日もヨガにてそんな体感を味わっていたら、呼吸について改めて書きたくなったので今日は私の解釈で呼吸の話しをしていきたいと思います。 . . 「ヨガは呼吸ができてこそのもので、 呼吸が止まったらそれはもはやヨガではない」 と私は思っています。 (厳密にいうと呼吸がコントロールできなくなったら) ヨガでは呼吸のことを “プラーナヤーマ”と呼び、ヨガの大事な概念の一つであり実践であると考えられています。 プラーナは “生

          呼吸で今を繋ぐ。

          ただ一人私だけの好きを。

          好きだけど、人に言うのは恥ずかしいやらどう思われるかやらで、内緒にしておきたいことって誰でも一つくらいはあると思うのですが、今日はそんな “本当は内緒にしておきたい私だけの好き” をこっそり発表したいと思います。 . . 私はヨガのインストラクターを始めて今年で7年目になるのですが、現在はオンラインでの活動がメインで(お呼びがかかればリアルでも飛んでいきますが)ZOOMでヨガクラスや自主練の様子をほぼ毎回録画しています。 録画の理由は、参加者さんに後で動画をお渡し

          ただ一人私だけの好きを。

          プレイヤーになる努力。

          この情報社会。 絶賛、情報の波に翻弄され中です。 と書くと大袈裟でちょっとやられている感があるので名誉のためにもうちょっと良き言葉を探すとすると、 情報の波に対峙する自分を 色濃く感じている最近です。 . . 特にThreadsとかXの話なのですが、今年になって「あ、私とは違う価値観だ」と思う頻度がとってもとっても多くなってきました。例えば、それが追ってみているインフルエンサーの方だという場合もあるし、知らない誰かという場合もあります。 私の場合、そういった意味で

          プレイヤーになる努力。

          誰かの時間の中の私の時間。

          こうやって文章を書いて公開するということは、少なからず誰かに時間を使ってもらいたいということで、誰かの時間に私が登場することを望んでいるのだと自覚する。 私はただ一人で自分の自分だけの時間で過ごすことがとても好きだけれど、 "誰かの時間の中で私の時間(私が登場している時間)”が増えることもとても好きである。 総じて “私の時間”が増えた気がするからだ。 とはいえ “誰かの中の私の時間” は、今ここにある私とは別の場所にある切り離されたものであり、そしてそもそもは他人の

          誰かの時間の中の私の時間。

          コーヒーをもっと美味しく。

          身体感覚を感じるヨガをやっています、陽香です。 ところで皆さんはコーヒーは好きですか? 私は毎朝のコーヒーを人生の楽しみの一つとして数えるほど好きです!体調によって控えたり、実験的に少し止めてみて体調の確認をすることもありますが、朝にコーヒーを飲む生活はかれこれ6年ほど続けています。 そもそも本格的にコーヒーが美味しいと思うようになったのは、カナダのローカルカフェでバリスタのバイトをしたことがきっかけです。(ワーホリで一年間の滞在でした)コーヒーをよく飲むようになったの

          コーヒーをもっと美味しく。

          途端に日常が贅沢になるアレ。

          身体感覚を感じるヨガをしています、陽香です。 今日は、これを “最低3つ持てば” 途端に日常の体感が贅沢になる!というものをご紹介します♩ それではいきなり答えの発表! それは、、、 ボディソープ/ シャワージェル! 皆さんはボディソープいくつ使っていますか? 私は最近頂き物が重なり、お風呂場のレギュラーボディソープ/シャワージェルが3つを超えました! そもそもシャワータイムはとても大事にしている時間で、絶好のセルフケアタイムだと思っています。 特に、好きな香り

          途端に日常が贅沢になるアレ。

          本心と身体。

          生きているとかなりの頻度で、 「あれ?これでよかったっけ?」 「なんか違う気がする」 なんていう気配がしてくるのですが、 皆さんもありますでしょうか? 違和感の気配の発信源は、何となく身体の内側に感じていて、片方のお尻が5cmくらい椅子からはみ出しているような「大体座れているし、大体安定しているけど、しっくりこない。」そんな感じです。 大体こういう時は「本心からずれている」ことが多い。 もっというならば「本心からずれていることに気づいていない(自覚していない)」こと

          本心と身体。

          “気づき”に欠かせないこと。

          7年前にヨガを始めて「身体の感覚を拾う」という概念が私の人生に登場しました。 7年間、毎日毎瞬それを意識し続けていたかと言われればそうではありませんが、ここ数年は、毎瞬とは言わないけれど毎日必ず意識していて、身体の感覚を拾うということが身についてきた気がしています。 この身体感覚を感じている中で、特に最近「付随してくること」があります。身体感覚とセットみたいになっているものです。 例えば、私は車を運転するのが好きで、時と場合にもよりますが、運転中に “爽快で身体は落ち着

          “気づき”に欠かせないこと。

          存分に享受するには。

          常に与えられている私たち。 それらを存分に享受できているのだろうか。 受け取る力 推しのライブに行ったとする。 最高の音、演出、空間。 聴覚、視覚、触覚、嗅覚などの五感は刺激され使われる。あとはファンを含むその会場全体の何かしらの雰囲気(バイブス)を捉えている第六感みたいなものももれなく使われる。 でも、私は存分にそれらを享受できているだろうか? ベース音を拾えているか、パーカッションの細かなテクニックに気づくか。ステージ上のダンス、モニターの映像、それぞれの演出が何

          存分に享受するには。

          オチがない、一貫性がない、何を言いたいのかわからない。そんなこともポンと出して行こう。ただの記録よ。今日はそんな日。

          オチがない、一貫性がない、何を言いたいのかわからない。そんなこともポンと出して行こう。ただの記録よ。今日はそんな日。